第5話 転入生

 ペタペタと廊下を歩く2人分の足音が響く。朝のショートホームルームの開始を告げるチャイムがすでになり終わった後、俺は西高1年A組の担任、中村浩一郎こういちろう先生に連れられてこれから2学期、3学期とお世話になる教室に向かっていった。


 西高は、2つの細長い3階建ての校舎が並んだ形をしてる。正門側が教室棟、奥側が実験室や音楽室、部活などに利用される特別棟だ。


 転校の手続きの時に中村先生から受けた説明によれば、教室棟と特別棟は2つの2階建ての渡り廊下でつながれている。その2つの渡り廊下と2つの校舎に挟まれた、漢字の口の形をした中庭には茶道部が利用する茶室が備えつけられた平屋があるという。そこそこの広さのある中庭を茶道部の茶室のために使うとはなんて厚遇された部活なのだろう、と感じる。だが、それだけではなく、茶室のほかに女子のみが利用できる更衣室が備えられており、休み時間に女子が体育の着替えなどで利用することになる。


 なぜ中村先生がそんな説明をしたかというと、どうやらその茶室で活動している茶道部には現在男子部員がいないらしい。中庭の平屋を女子が着替えに利用するというルール上、自然と男子が立ち入ることがなくなり、いつしか男子禁制のような扱いになっているのだという。


 男子が入ってはいけないという明文化されたルールはないとはいえ、わざわざ先生が注意してくれたのに下手なことをして悪目立ちすることもあるまい。中庭には高校を卒業するまで立ち入ることはないだろう。


 そんなことを考えながら1階の昇降口のそばにある中庭の入口をちらりとのぞきつつ教室へと向かう。教室は、校舎の真ん中にある昇降口から校舎の端に向かってA組、B組、C組、D組と並んでいるので、A組はもう目の前だ。


 どうしよう、挨拶どうするかとか全然考えていなかった。D組だったらもう少し歩いている間に挨拶を考えることもできたのに。そういえば、彰浩はD組になったといっていたな。


 「先に軽く説明をするから、合図をしたら入ってきてくれるか?」


 中村先生がそういうと、木製の教室の扉をがらりと開けると、少しざわついていた教室が水を打ったように静まり返る。転校生がやってくるという噂をどこからともなく聞きつけたのか、開かれた教室の入り口に視線が集まっている様子が伝わってくる。俺はそんなことは容易に想像できたので、なんとなく皆の視線から隠れるようなポジション取りをしていた。中村先生が教壇へと向かうペタペタという足音が聞こえてきた。


「みんな、おはよう。その様子だと、もう知っているかもしれないが、今日から転入生がA組に加わることになったから、まずは紹介しよう。さあ、入ってきてくれ」


 え、もう? と思ったが、確かに夏休み明けの連絡をするにしても転入生を教室の外で待たせたまま話を進めるわけにはいくまい。常識的に考えて、転入生の紹介はホームルームの最初に行われるべきものだろう。さて、どうしたものか。


 俺は覚悟を決めて教室の中に足を踏み出していく。教室中の視線が集まってくるのを感じる。まさか転んだりしないように気を付けながら、ぺたぺたと間抜けな音を立てつつ、先生の促す位置、すなわち真ん中まで移動すると、ようやく皆の方に振り返る。


「えっ……」


 ふと声がする方――右側後方の席――を見ると、小麦色の美しい肌に茶髪ショートボブのかわいらしい女の子と目が合った。驚きを隠せないような顔をしている。


 一方、俺はというと、もちろんびっくりした。


 彰浩との会話の成り行きでサプライズにするとは言ったものの、まさか同じクラスになって本当にサプライズになるとは。

 

 由紀は、驚いたのもつかの間、満面の笑顔になって、俺の自己紹介を促すように目配せした。


「山本勇作です。諸事情により海王高校から転校してきました」


 教室全体に、左から右へと見渡しながら自己紹介をする。「諸事情」という言葉に対してか、それとも「海王高校」という言葉に対してかはわからないが、教室が「ざわ……」とでも表現すべきような空気になる。


 どちらにしても、あまり面倒くさいことを後で聞かれる展開が容易に想像できる。クギを刺しておいた方がよさそうだ。


「諸事情は諸事情なのであまり聞かないでもらえると助かります」


 俺があえてそう言うと、教室の「ざわ……」が増えたような気がした。


 無理もない、高校1年生2学期からの転校、それも日本トップクラスの進学校である海王高校からの転校だ。あれやこれやと様々な想像が働いてしまうのも無理はない。実際、俺は校内で起きたがきっかけで退学となった身なので、ある意味、皆の想像通りの理由といっても当たらずとも遠からずだ。


「よろしくお願いします」

 

 特にほかに何か言うべきことも思いつかないので、そう締めくくると、中村先生に促されて自分の席へと向かう。


 教壇から見て右手側、窓際の後ろから2番目の席が空席になっている。そこが俺の席になるということだ。その後ろの席にはひょろっとした感じで髪が長めの男子が座っていた。出席番号順だろうから、一番後ろにいる男子の苗字は「よ」あたりで始まるんだろうか、などと考えているとその男子と目が合ったので、軽く会釈をして席に座る。


「じゃあ、皆、仲良くやっていくんだぞー」


 中村先生はそう言って、休み明けの連絡事項について説明を始めた。


 2学期の行事の説明に始まった連絡事項を聞き流しつつ、先生の方向に顔を向けたまま教室全体をちらりと流し見る。ぱっと見で最初に目についたのは、廊下側から2列目、後ろから2番目の席に座っている、美しく光沢のあるふわりと長いピンクブロンドに美しい白い肌の女の子だった。横顔しか見えないが、それでも分かる、なるほど端正な顔立ちをしている。


 ふと女の子がこちらを振り向く。目が合ってしまった。


 ああ、なんてきれいな御髪、そしてきれいなご尊顔なんでしょう。美しい光景を眺めることができて今日はいい日だ。しかし、転校初日から器量の良い女子を見つけてジロジロと見つめているような男だと思われるのはよろしくない。まあ実際、器量の良い女子を見つけてジロジロと見つめていたいたわけだが。とはいえ、ここで慌てて視線を逸らすようなのも恰好つかないような。


 ピンクブロンドの女の子は、俺の視線に気付くと、余裕を感じさせるような微笑みを返してきた。何を考えているんだろう。その目にはやや挑戦的な雰囲気を感じる。これは視線を逸らしたほうがいいんだろうか、それとも逸らしたら負けなんだろうか?


 数秒にも満たない間そのまま固まっていると、ピンクブロンドの女の子の手前にいる見知った顔から発せられる、強烈に不機嫌そうな視線に気付き、ハッとそちらに視線を逸らす。結局ピンクブロンドの女の子からは慌てて結局視線を逸らしたような格好になってしまった。


 由紀が不機嫌そうな目をしている理由はよくわからないが、ショートホームルームの最中に話しかけるわけにもいかず、先生のお話を聞きましょう、と伝わるかどうかわからないが目配せをする。ちょっと懲りたので先生の話を真面目に聞くことにしようと、俺は中村先生の方に意識を戻した。


 朝から特に会話をしたわけでもないのに、視線のやり取りでなんだかMPを削られたような気分になった。視線って不思議だな。目は口程に物を言う、とはよく言ったものだ。


 ショートホームルームが終わると、始業式はなく、いきなり1限授業が始まることになっている。連絡事項が多かったので、1限は間もなく始まる。とりあえず、転校生を囲んで質問攻めにあうイベントは1限後に持ち越しのようだ。いや、そもそもそんなイベント発生しない可能性もあるけど。


 とりあえず、後ろの席の同級生ぐらいには挨拶しておこうか、と後ろを向く。


「さっきも紹介したけど、山本勇作です。よろしく」


「あ、えっと、僕は横田健一けんいち。山本君、よろしくね」


「うぃ」


 後ろの席のひょろっとした感じの男子は、いきなり話しかけられて少し驚いたような様子で自己紹介をしてくれた。

 

 よかった、悪い人ではなさそう。


 まあ悪い人なんて今どきそんなにいないだろうけど。とりあえず。これはもう友達1人目できたってことでいいかな。うん、いいよね。


 そんなお気楽なことを考えていると、1限の開始を告げるチャイムが鳴る。それは同時に、俺の西高生活の開始を告げる合図でもあった。

 

 


 


 


 

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