第4話 再会

 大会のゴールゲートを過ぎて、息を整えていると、大会のスタッフから完走記念のタオルやらスポーツドリンクやらを支給される。ありがたい、さっそく飲ませてもおう。


 ごくごくと飲みながらゴールゲートの方を見やると、次から次へと参加者がゴールゲートを駈け抜けていく。ほどなくして、彰浩がゴールゲートを通り抜けているのを見届けていると、後ろから不意に元気な声が聞こえてきた。


「完走おめでとう、お疲れ様!」


「おう、ありがとう。」


 返事をしながら振り返ると、元気そうな女の子がいた。


 身長は160センチぐらい。健康的に日焼けした小麦色の美しい肌に茶髪のショートボブ、かわいらしい顔立ちの元気そうな少女。真っ白なTシャツと七分丈のジーンズにビーチサンダルという夏の装いが一層快活な印象を与えている。


 福崎ふくざき由紀ゆき、いわゆる幼馴染だ。


 中学生までの記憶だと、まず、由紀は髪を伸ばしていた。たしかにかわいい女の子だったとは思うが、制服の着こなし方にしても地味な装いをしていたし、おとなしめな印象だった。それでも、同級生からいわゆる「告白」を受けたような噂は何度か聞いたことがある。なぜか一度も誰とも付き合わなかったということだったが、それがその内気な性格によるものだったのかどうかは知らない。


 そんな由紀は、髪型によるものなのか、服装によるものなのか、はたまた別の何かによるものなのか、雰囲気がガラリと変わっていた。元々かわいかったところに、その快活さがそのかわいさを一層引き立てている。一言でいえば、とにかくかわいい。


 久しぶりに会ったせいということもあるだろうが、あの由紀がとにかくかわいい美少女であったことに気づかされ、マイペースがモットーの俺も少し動揺してしまう。


 言葉に詰まってふと周りを見渡してみると、周りの視線が由紀に集りつつあるような気がした。


「どうしたの、ゆーくん?」


 黙り込んでいる俺に、やや上目遣いに、由紀は以前と変わらぬ呼び方で俺を呼び、それがまた俺の動揺を誘う。あれ、由紀ってこんなにかわいかったっけ。まずいな、なんかドキドキする。なんでこんなにドキドキするんだろう。


 あ、そういえばちょっとまで走ってたんだった。ドキドキするのはそのせいか。うん、そうだ。


 納得した俺は、正気を取り戻した。


「いや、なんでもないよ。久しぶりにこんなところで会うなんて、びっくりした」


「私もびっくりしたよー」


 まさか、久しぶりに会ったらすっごいかわいくなってたからびっくりした、なんてことは言わない。なんかチャラいし。


 それにしても、中学卒業してからかわいさが格段にレベルアップしている。これは、高校デビューというやつだろうか? なんてこと聞いたら怒られそうな気がするから言わないでおこう。


 ……と思ったけど、どんな反応するのか気になってきた。


「久しぶりに会ったらすっごいかわいくなってたからびっくりした。高校デビューしたのか?」


 ああ、言ってしまった。


 由紀は一瞬固まったかと思うと、高校デビューと俺が言った瞬間、不満そうな目になり俺をじっと凝視してくる。


「なんか、ゆーくん、チャラくなった?」


「前からそんなに変わらないと思うよ」


「へぇー」


 うーん、やっぱ言わない方が良かったかな。かわいいはさておき、高校デビューという言葉はどうも由紀にはまずかったらしい。


 それにしても、チャラいだなんて不本意だな。俺が女の子にかわいいなんて言ったのは今のが初めてだぞ、なんて言ったらどうなるか気になったけど、ついさっきので懲りたので黙っておくことにする。


「おい勇作、お前、速すぎるって」


 先ほどゴールした彰浩が、俺がもらったのと同じ完走記念のバスタオルで汗を拭き、まだ整わない息をしながら近づいてくる。


「お、無事完走できたようだな、お疲れ様」


「ああ、疲れた。……っておい!」


 彰浩は由紀に気が付いたのか、突然びっくりしたような声を上げる。


「お前、こんなかわいい女の子に声かけて何やってるんだ?」


「え、彰浩、気づいてない?」


 どうやら彰浩はこの女の子が由紀であることに気付いていないようだ。無理もない。彰浩と由紀は俺と同様に小学校からの幼馴染とはいえるものの、中学に上がってからは2年生の時に1度だけ同じクラスになったことがあるぐらいの接点しかない。俺はというと、由紀とは中学時代はずっとテニス部で一緒だったという、顔を見分けるうえでのアドバンテージがある。


 とはいえ、彰浩がこうも気付かないとはかなり鮮烈な高校デビューがあったのだろうか。そんなことを懲りもせず考えていると、由紀が先ほどの不満そうな目を一層険しくした。


 え、どういうこと? 思考がばれてる? 由紀って俺の思考が読めるのか?


「私、ゆーくんのことは何でもわかるんだからね。」


 ん? なんか俺の思考に対して返答された? 本当に何でもわかるの? ナニソレコワイ。


 どうもこのままの流れだと分が悪い気がしたので、流れを変えつつ彰浩の誤解を解いておくことにしよう。


「由紀だよ。雰囲気変わったから俺もびっくりしたけど。」


「え、マジ?」


 彰浩は先ほどの俺以上にびっくりした様子で、由紀を二度見、三度見する。


「めっちゃ雰囲気変わってるじゃん。」


「あはは、そうかな? 確かに、ちょっと高校から雰囲気替えてみようとは思って頑張ってみたんだけどね」


 ようするに高校デビューしたという本人の告白だった。けど、高校デビューという言葉を使うと怒られが発生する。

 

 まったく同じ内容のことを言っても、表現の仕方次第で反応には天と地の差が生じる。先ほどの正解は、「高校デビューしたのか?」ではなく、「高校上がってから雰囲気が変わったね」だったようだ。こういう会話における感情の機微を捉え、言葉のチョイスにおける正解を選び続けられる人がきっとモテるんだろうな。


「そうそう、ゆーくんは言葉のチョイスに気を付けたほうがいいよ。」


「ふぇ!?」


 さっきはたまたまかと思ったけど、ちょっと本当に怖くなってきた。


「ん? 何の話だ?」


 先ほどの会話を聞いていない彰浩は当然の質問をする。


「聞いてよ、ゆーくんが私のこと高校デビューだとか言うんだよ」


「高校デビューかぁ。確かに、中学卒業してから雰囲気かなり変わってるからなぁ。由紀だって全然気が付かなかったぞ。」


「高校デビューなんて、そんなネガティブな言葉でもないんじゃないか?」


 先ほどの失点をなかったことにしようと俺が割って入ると、由紀は手で顎をおさえて考える人のようなポーズでちょっと考え込む。


「うーん。……なんか嫌なの!」


「そうか」


 ふむ、まあ嫌なら仕方ないな。


 こういう感情的な話は、好きか嫌いかのみが正解だと思う。どう論理的に話を持っていこうと、先ほどの失点をなかったことにすることはできないだろうし、できたとしてもかなり骨を折ることになる。それに、ぶっちゃけそんな失点というほどの失点でもないだろう。


「それにしても、ゆーくんはあまり変わらないね。あっくんは……ちょっと焼けた?」


「彰浩は、ちょっと焼けたというよりは、さらに焼けたって感じだな。」


「1学期は毎日サッカー部の練習やってたからな。けど、勇作は部活やってたのにそんなに焼けてないな」


「俺は日焼け止め塗ってるからな。彰浩も塗った方がいいぞ。」


「出た、日焼け止め。男子で日焼け止め塗ってるやつ、勇作ぐらいしか知らないぞ。」


「こういうのは、年を取ってから後悔するらしいぞ。今から10年後、20年後が楽しみだな。」


 あはは、と俺がやや嗜虐的な目で彰浩を見ながら笑うと、彰浩は将来のことを考えて少し怖くなったのか、日焼けした自分の腕をまじまじと見つめながら「マジか……」などとつぶやいている。ちょっと悪いことをしたような気がしてきた。


 由紀は中学時代テニス部で一緒だったけど、毎回ちゃんと日焼け止めを塗っていたのを思い出す。それでも、毎日部活で練習をしていたら少なからず日焼けはしてしまうものだ。由紀がお肌のケアをどうしているのかどうかは知らない。しかし、小麦色に輝く肌は彼女のかわいさを一層際立たせるチャームポイントになっていた。

 

 照り付ける太陽の日差しを受けて輝く笑顔、やや汗ばんだ首元。真っ白なTシャツから伸びた腕は胸元で腕組みをしており、気づけば俺の目線は胸元へ……けっこうデカい。


 はっ、いかんいかん、と視線を上にあげると、何とも言えない顔をしている由紀と目が合ってしまった。


 気まずい。胸元見てたのばれた? とはいえ、フォローのしようもない。「別に、胸を見てたわけじゃないぞ」なんて言ったところで、どう転ぼうとそんな弁明をしないといけない時点で立場がない。願わくば、由紀がそういったことを全然気にしない女の子でありますように……


 願いが通じたのか、由紀はにっこりとして頷く。よかった。


「そういえば、2人とも」


 そして、ありがたいことに、由紀の方から話題を変えてくれた。


「どうした?」


 彰浩が返事し、由紀の方に体を向ける。俺は由紀に目で続きを促す。


「2人とも、海王高校通ってるんでしょう? 日本トップクラスの進学校って、どんな感じなの? 教えてよ。」


 由紀にとっては何気ない質問だったのだろう。


 俺たちはどうしたものかと、つい顔を見合わせてしまった。


 

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