目的の道

西野ゆう

見えない道

「その先にね、君の望むものがあるのさ」

 僕にとっては、とても複雑なおまじないだった。複雑だからこそ、ほんのちょっと信じてみる気持ちになった。

「まっすぐ行けばいいんだね?」

 僕は確認した。

 調べた通りの場所の、調べた通りの向きに、調べた通りの道ができているはず。

 急な階段を登った頂上の小さな小さな神社。

 小さな鳥居をくぐると、狛犬がいて、小さな拝殿という建物がある。普通は拝殿の後ろに本殿って建物があって、御神体が祀られていることが多いそうだ。だけど、この神社に本殿はない。御神体は、この神社の向こうに聳える、もっと高い山らしい。

 そんな小さな神社の狛犬。阿と吽の口をした二体の視線が交わる場所。そこから先に真っ直ぐ進めばいい。

 進めばいいのだが、それはそのまま今僕が登ってきた階段の方向だ。

「本当にこのままでいいの?」

 僕は階段の下を指差して聞いた。

「ああ、そうだよ。ただし、目的を見失わないように。道さえも見失ってしまうよ」

 僕は狛犬たちとの会話を終え、言われるままに今きた道を引き返そうとした。

 でも、それはできなかったんだ。それはおまじないが成功したという証だった。僕は示された方向に歩いていったけど、その先の階段を降りることはできなかったのだ。

 だって、僕は逆にその先を登っていたのだから。

 最初は見えない登り階段につんのめった。二歩目も。三歩目でようやくスムーズに一段登ったけど、四歩目を登ったところで進めなくなってしまった。

 怖い。

 このまま遥か下の地面にいつ叩きつけられてもおかしくない。そんな感じだった。

 僕はしゃがみ込んで、五段目を両手で探った。すると、それは本物の階段と違って、どこまでも横に拡がっていた。ただ同じなのは、一段の奥行きと高さ。どちらも約二十センチだ。

 神社までは百段くらい登ってきた。つまり、この丘は二十メートルくらいの高さがあることになる。ビルで言うと、六階か七階くらいだ。その高さに今僕は浮いている。

「本当にずっと真っ直ぐ?」

 僕はちょっと震える声で聞いたけど、答えはもう返ってこなかった。狛犬たちも、僕よりずっと低い方を見ている。

「少しずつ行こう」

 僕は自分にそう言い聞かせて、足を進めた。

 見えない道も、慣れてしまえばなんてことなかった。思えば学校の階段だって、足元を見ずに一段飛ばし、二段飛ばしで駆け上がることも常だった。

 下を見ないように、ただひたすら歩き続ける。登り続ける。

 途中弱い雨が降った。

 見えない道が濡れて、見えるようになるかと思ったけど、雨は道を通り抜けていった。おまじないをした僕だけこの見えない道に乗れるのだな、と納得した。そういえば、さっきツバメが僕の真上を飛んでいた。本当なら道にぶつかっているはずだ。でも、ツバメはすり抜けていた。その時のツバメが落とした一枚の羽根を僕はポケットに忍ばせていた。なんとなく楽に登れるようになる気がしたから。

 僕はそれ以降、余計なことを考えないようにして登った。下を見ずに登った。登って、登り続けて、雲の高さにやってきた。

 その時、僕はとうとう下を見てしまった。下を見ると怖いに決まっているのに。

「うわっ!」

 僕は思わず大きな声を出した。

 それは怖かったからじゃない。凄く綺麗だったからだ。緑の山々に、その間を流れる澄んだ水。長い編成の列車は生き物のように走って、建物はおもちゃのブロックみたい。

 遠くの方には、もうすぐ夏だというのに、山頂に雪が残る山々も見えた。

 あまりの高さに、怖さを感じなくなっていたんだ。

「もうちょっとかな? 頑張ろう」

 その景色を見て、なんとなくゴールが近い気がして、僕は疲れ始めていた足に気合を入れてスピードを上げた。

 どんどん登っていく。雲を抜けて、空に近づく。いいや、もうここは空の上なのかもしれない。

 無心で登る。見えない道をただただ無心で。

「あれ? 僕、どうしてここを登っているんだっけ?」

 そう思った瞬間、見えない道が消えた。

 真っ逆さまだ。世界が逆さまになった。頭から凄いスピードで落ちている。

 僕が登ってきた神社が遠くに見えた。

 そうか、あんなに遠くになるまで夢中で歩いて登っていたのか。見えない道を。

 そうぼんやりと考えたのが最後だった。


 僕が悪かったんだ。しっかりリードを握っていなかったから。

 だから道路に飛び出して、はねられたんだ。これはその罰なんだろうな。

 僕の手をするりと抜けていったリードの感触。その後に聞こえたブレーキの音と衝突音。そして、マルの鳴き声。


「ただいま」

 お母さんの声だ。お母さんの手には、何も繋がれていないリードと、タオルしか入っていないケージが握られていた。

「あっくん、寝てたの? マルね、助かるって。後遺症も残らないみたいよ。お医者さんが奇跡だねって言ってた。よかったね」

 お母さんは、ソファに横になっていた僕に早口で言って、僕を抱きしめてきた。

 その僕のポケットから、ツバメの羽根がひとつこぼれ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

目的の道 西野ゆう @ukizm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ