狸囃子の裏話

橘 泉弥

狸囃子の裏話

「親分! 大変です!」

 一匹の狸が、大狸の元へ駆けてきた。

「大変ですよぅ、親分!」

「分かった分かった。大変なのはよおく分かった。それでお前、何があった?」

「へぇ」

 走ってきた狸は、息を切らしながら報告した。

「だめです、今夜もだめです。あの野郎、何の反応もねぇ」

「な、何だと……!」

 今夜こそはと思っていた。今夜こそは、あの和尚に一泡吹かせてやれると、確信に近いものを感じていたのに。

「くそ! 我々の何が悪いと言うんだ!」

 大狸は、前足でたしたし地面を叩く。

「何故だ……なぜあの和尚は……」

 これで〇勝六敗だ。こんなに連敗したのは、ここに棲みついて初めての事だった。

「明日こそだ……明日の晩こそ、あの和尚を驚かせるぞ!」

 親分は目をぎらぎらさせて、子分に言う。

「おい、みんなを呼んで来い! 作戦会議だ!」

「へ、へい!」

 こうして今日も、一族揃って作戦会議が開かれた。

「何故あの和尚は、こんなにも驚かぬのだ?」

「仏道修行の賜物なのかもしれんな」

「いや、論ずるべきはそこではない。如何にあやつを驚かせるかだ」

 狸たちは、わいのわいのと話し合う。

「人間の怖いものと言えば、何だろう」

「一つ目小僧にも、唐傘お化けにも、ろくろ首にも、あやつは驚かなかったなぁ」

「他には? 他には何がある?」

 一族はううんと考えこむ。

「僕知ってるよ!」

 ある子狸が声を上げた。

「ぼん、何か知っているのかい?」

 母狸が優しく訊く。

「うん! あのね、人間はまんじゅうが怖いんだよ! 聞いた事あるもん」

 子狸の言葉に、場は騒然となった。

「まんじゅうだと?」

「何故にまんじゅう?」

「え、まんじゅうって、あのまんじゅう?」

 段々と、その騒めきは大きくなる。

「俺たちは、まんじゅうなんか怖くないぞ」

「人間て、案外弱っちいのかもな」

「実は、人間より俺たちの方が、強いんじゃないか?」

 騒めく中、親分が咳払いをした。一同はぴたりと口を閉じる。

「よし、明日の晩はその作戦で行くぞ。朝になったら、人に化けられる者は手分けして、近所の甘味処でまんじゅうを買い占めて来い」

「へい」

「ほい」

「承知しやした」

 翌朝、人間に化けられる狸が5匹、町へ出かけて行った。

「ふはははは、今晩こそ、あの和尚を驚かせてやる!」

 大狸は満足げに笑った。

 しかし、5匹はすぐに引き返してきた。

「親分!」

「どうした、お前たち」

「人間が怖いまんじゅうって、どれですかいね? 薄皮? そば? それともくず?」

「栗まんじゅうも、季節ですねぇ」

「うまいよなぁ、栗まんじゅう」

「俺は酒まんじゅうの方が好きだな」

 話がどんどん逸れていくのも、狸の習性である。

「鬼まんじゅうも、捨てたもんじゃないぜ」

「京の方には、麩まんじゅうというのも、あるらしいな」

 四半刻ほど話をしてから、話題は元のところへ戻ってきた。

「そいじゃ、買ってまいります」

「おう、頼んだぞ」

 その晩、狸たちは和尚の目を盗み、寺の縁側に山ほどのまんじゅうを置いた。

「ほう」

 若い住職は、まんじゅうの山を見てそれだけ言うと、庫裡の方へ消えていった。

「ふはははは、見たか、和尚は驚いて逃げ出したぞ。我々の勝利だ!」

 物陰からこっそり見ていた狸たちは、わーっとはしゃぎだす。

 ところが、和尚は何食わぬ顔で、急須と湯呑を持ち、縁側へ戻ってきた。

 そして、湯呑に茶を注ぐと、まんじゅうに手を伸ばしたのである。

「な、なんと!」

 狸たちは驚いた。

 彼らの目の前で、和尚はもぐもぐまんじゅうを食べているではないか。

「どういう事だ?」

「人間は、まんじゅうが怖いのではなかったのか?」

 狸たちは騒めくが、和尚が驚いて逃げ出した訳ではない事は、明らかだ。

「くそ! 今日も失敗か!」

 大狸は、ぽすぽす地団駄を踏む。これで七連敗である。

「明日こそ……明日の晩こそは……」

 そしてまた、作戦会議が開かれた。

「あの和尚の怖いものは、何だろう?」

「妖怪もだめ、まんじゅうもだめ。もうお手上げだぁ」

「いやいや、諦めるのは早い。和尚も人間だ、怖いものの一つや二つ、あるだろう」

「その一つや二つって、具体的に何だい?」

 狸たちは、ううんと考えこむ。

「あ、そういえば」

 一匹の狸が顔を上げた。

「人間は、人間が怖いって聞いた事あるぞ。村の人間が話していた」

 それを聞いて、一同はうんうんと頷く。

「確かに、人間は怖い」

「罠を仕掛けるし、皮を剥ぐし、我らを鍋にする」

「恐ろしい……恐ろしいなぁ……」

 そう言う事で、次の作戦は人間に化けて和尚を驚かせる話に、まとまった。

 次の日の晩、寺の庭に三匹の人間が現れた。

「おや」

 気付いた和尚は、縁側からその三人に声をかけた。

「この遅くに、何用でございましょう。中へお入りになりますか」

 声をかけられた三匹は、顔を見合わせる。

 彼らは和尚を驚かせに来たのだ。話しかけられるなんて想定外だった。

「どうしました、中へどうぞ。今日は風が冷たい」

 人間に化けた三匹の狸は、だらだらと汗をかく。どう反応すれば良いやら分からなかった。

 しかし、和尚が冷静を保っているのは明白である。

 三匹の狸たちは逃げ出した。

「くそ! また駄目だったか!」

 大狸は膝をつき、前足でとすとす地面を叩いて悔しがる。

「おのれ和尚、ここまでしても驚かないとは……」

 いったいどうすれば、あの住職は驚くのか。狸たちが必死になって驚かせようとしても、反応は薄い。

 もう、策もほとんど残っていなかった。

「親分殿」

 最高齢の狸が、大狸の前に進み出る。

「なんだ、長老」

「ここまで来たら、こちらも覚悟を決めるしか、ないのではなかろうか」

「……ふむ……」

「あの和尚を驚かせるためには、こちらも本気を出すしかあるまい」

「……そうだな」

 大狸は神妙な顔で頷いた。

「長老の言う通りだ」

 狸一同、真剣な面持ちで、大狸の言葉を待つ。

「明日の晩、我々は本気で和尚に立ち向かう。覚悟しておれ、和尚……!」

 秋の月が見守る中、野分がざわざわと萩の花を揺らしていった。



 あくる日の晩、鈴森の寺に住む和尚は、庭から聞こえてくる騒がしい音で目を覚ました。

 何の音かと気になったので、布団から起き、庭に面した襖を開ける。

「おお」

 そこでは、三十匹ほどの狸が踊っていた。

 庭の真ん中に座る大狸の腹太鼓に合わせ、狸たちがその周りで、調子よく体を動かしている。

 大狸がこちらを睨んでいるようだが、和尚は気にせず狸たちを見る。

 ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽんのぽん。

 愉快になってきた和尚は、堪らず得意の三味線を持ち出した。

 大狸の腹鼓に合わせて、適当に節をつける。

 驚いたのは狸たちの方だ。今晩こそ和尚を仰天させられると思ったのに。

 和尚は驚くどころか、一緒になって三味線を弾いているではないか。

(なんと、まだ驚かないのか……⁉)

 大狸は負けじと、膨らませた腹を叩く。

 それに合わせて、三味線の音も大きくなる。

 大狸が拍子をとり、和尚が節を奏でる。狸たちは踊り、十五夜の月が優しく照らす。

 拍子と三味線は熱を帯び、狸たちは踊り狂う。夜の鈴森に音楽が響き、寺の庭先は熱気に包まれる。

 やがて熱と音楽は最高潮に達し……

 みんな、疲れ切った。

 狸たちは地べたに転がり、大狸も息を切らしている。和尚の額にも汗が光り、爽やかな充足感が森に満ちた。

「やい、和尚」

 大狸がとうとう、和尚に声をかけた。

「なんだ、狸」

 若い和尚は、息を切らしたまま返す。

「どうしてお前は驚かぬ? 妖怪も、まんじゅうも人間も、お前は怖くないのか?」

「妖怪はともかく、まんじゅうは全く怖くないが……」

 前置きして、和尚は言った。

「毎晩のように驚いていたさ。不思議な事ばかり起こるからな」

「な、なんだと?」

「昔から私は、感情が顔に出にくいのだ。驚いてはいたよ」

「そうだったのか……」

 大狸も、仲間に交ざって地べたに転がる。満足感と達成感に包まれ、大狸は大きく息をついた。

「狸よ」

「なんだ、和尚」

「明日の晩も、共に音楽を奏でてはくれないか」

 和尚は額の汗を拭う。

「お前の腹鼓は見事だ。今日は本当に楽しかった。良ければまた、手合わせ願いたい」

 大狸は目を丸くし、そして微笑む。

「ああ、望むところだ」

 こうして鈴森の證誠寺では、毎晩のように囃子が響くようになった。

 その様子は永く語り継がれ、今では童謡として、子どもたちに歌われているという。

 ぽんぽこぽんのぽん。

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