第112話

 ほぼ丸一日の徹夜と、疲労度合いを度外視して魔力を使った影響か、翌日の昼までぐっすり眠った。

 おかげでまあまあ回復したが、万端とは言えない。

 これから戦いになると分かっているのだ。準備はいくらしておいてもいい。起きてすぐ、虹の氷樹の作成準備に取り掛かることにした。

 時間ができたので原料の水にも徹底的に拘れる。しっかりと神力を満たして、光の聖水にしておくのだ。


 作り始めるのは五日後。設備を整え直す時間が生じたので、むしろ作るのを待っている状態である。

 先に作り終えても劣化していくばかりの品なので、妥当な判断だと言えよう。


 魔王軍はと言えば、まだ進軍を止めている。リーズロットの一撃で失われたオーガとゴブリンの同数近くが、魔王軍の元へと向かっているようだ。これを待っているんだろう。

 このオーガとゴブリンは近場のダンジョンから補充したのだと思われる。

 これをするために、ダンジョンを支配下に置きたいのかもしれない。


 しかし今回に限って言えば魔王軍が与える脅威は俺にとっても悪くないのだ。リーズロットが交戦の腹を決めているなら、あいつらを利用してアストライトとダンジョン間で停戦ぐらいには持ち込めるだろう。

 敵の敵は味方、と昔から言うぐらいだ。


 そんなわけで、余裕はないが時間はある。回復を待ちがてら、一番気にかかる歌い手たちの様子を見に行くことにした。


 歌い手たちは神殿手前の庭に集まっているようだ。中を使わないのは、まかり間違って更なる被害を生まないためか。

 歌い手たちのせいではないんだがな。一応狙い通りに事故として片付いたらしいから、責任は問われていないはずだが。


 外に出ているおかげで様子も窺いやすい。流れている空気感は……よくはないな。

 やはり心の向き先がばらばらだ。

 だが、変化も見える。数人が中心になって積極的に交流を計り、意志の統一を促している。その中の一人にサラがいた。というか、中心がサラなのか。


 サラは時折手首を顔に近付ける仕草をしていた。癖ではないだろう。俺が知る限り、彼女がそんな癖を見せたことはなかった。

 ならば――そこにアカネユリの香りを付けているのかもしれない。


 ……こちらはどうにかなりそうだな。


 徐々に変わっていく雰囲気に、そんな期待が生まれる。

 仕込みは整いつつある。後は上手くいくよう祈るのと、自力で成功のための糸を手繰り寄せるのみ。


「何とかなりそうじゃないか」

「そのよう――……!?」


 たった今考えたことが音になって聞こえてきて、思わず相槌を打ちそうになってしまった。

 声を掛けられて初めて近くに第三者がいるのに気付いた俺が慌てて振り向くと、フレデリカ王女がにやりと笑って見せる。側には護衛としてか、イルミナもいた。


「よしよし。驚いてくれたな」

「悪趣味だぞ」


 今、フレデリカ王女とイルミナは意図的に気配を絶って近付いてきた。何が楽しい。


「許せよ。私の技術がどこまで通用するか試したかったんだ」

「ごめんなさい」


 どうも以前、俺が二人の気配を魔力波長だけで見抜いたことへの対抗意識かららしい。


「子どもか」

「そう言わないでくれ。姫で騎士なんてやっていると大変なんだ。重臣たちはすぐに私から剣を取り上げてドレスを着せようとしてくる」

「まあ、それは面倒だな」


 やりたいことが定まっているのに、道が塞がれるのは苛々する。

 道のりは長かったが、俺の前には立ち塞がる者はいなかった。それはそれで幸運だったのかもしれん。


「そうだろう! 話が分かるな」


 あまり彼女に同意する者はいないらしく、フレデリカ王女は嬉しそうに破顔した。

 悪趣味な登場の仕方はともかくとして、だ。


「お前たちがここに来たのは、歌い手たちの様子を見るためか?」

「ああ。だが、心配なさそうだな」


 フレデリカ王女の見解に、俺も同意する。当日までには意思の疎通も間に合うだろう。


「だが、魔物の軍勢の方は問題だ。奴らの進軍速度からして、結界拡張が間に合うかは微妙だ」

「到着したとしても、おそらくすぐには攻めてこない。きっと間に合うだろう」

「どうして?」


 痛みの少ない手段として、奴らはリーズロットのダンジョンデュエルの結果を待つ。

 ダンジョンデュエルの援護のために来たのかとも思ったが、それにしては日数に余裕がない。彼らの第一目標はダンジョンデュエルで支配することだ。


 自軍の被害を減らすという意味で、魔王軍の判断は間違ってはいないだろう。リーズロットのダンジョンを擁すれば、彼女の配下である神力依存種が人の町を容易く蹂躙する。

 他の国や町の対策がどうなっているかは知らんが、王都の聖神由来の結界は神力依存種にはほとんど無力だ。中枢まで侵入されて結界を破壊されれば、壁があろうとも町を護り切れなくなるのは必定。

 もし他国にも同様の町があるのなら、アストライトは実験場に選ばれたのかもしれないな。


 だが――この話はイルミナたちにはまだできない。

 危機が必要だ。足元のダンジョンを許容するしかないという、生存のための危機感が。

 そのためには、ダンジョンの意思を知らせるのはまだ時期尚早。


「ニアさん?」


 自分の問いに対して俺が長く沈黙したせいで、イルミナは不安そうに首を僅かに傾けて名前を呼ぶ。


「まずは結界の攻略にかかるだろう。もし結界があるまま強引に突撃してきたら、ゴブリンやオーガ辺りは弾かれて、入ることも叶うまい。そんな連中を連れてくるはずがない」


 ダークエルフは入ってくるだろうが、リーズロットの証言からしても能力は格段に抑えられるはず。

 そして、数は力だ。犠牲を覚悟しての迎撃は不可能じゃない。

 強引な侵略が与える被害を、奴らは理解している。


 だがおそらく、ダンジョンデュエルの勝敗が決した瞬間奴らは動く。勝っても負けてもだ。ステラまでもが同行しているのがその証。何もしないで帰るわけがない。

 地上に降りた神人は、地上種に許された範囲までしか力を使えないという制約がある。そしてその力は、星の神力、魔力間の均衡に大きく左右される。


 王都周辺は神力七割、魔力三割といったところ。ディスハラークの神力で構成された結界の影響が特に大きい。

 魔力依存種にとっては不利な土地柄と言えよう。


 ゆえに神人が降りてきたとき一番警戒するべきは、本人ではなく神人が加護を与えた者の方だ。

 神人の加護を受けた者は、地上種の身であっても神の権能の一部の使用を許される。魔王やら勇者やらが他と比べて圧倒的な力を振るうのはそれが理由だ。


「ふむ。押し切る力を備えた奴だけで力業で結界を破り、ゴブリンやオーガを使うという手もあるな。もっとも、隠密に結界を排除する方法を用意してきたと言う方が妥当だが」

「奴らが連れているゴブリンやオーガはダンジョン産だ。いくらでも替えが利くと考えている。普通の『生命』である自分たちを真っ先に危険に晒そうとは考えんだろう。結界周辺の警備は万全なのか」


 以前の蜂のような件もある。すでに複数のダンジョンが魔王軍の手に落ちたのなら、その中に神力依存種の配下を擁するダンジョンがあってもおかしくない。


「可能な限り厳重ではあるが、未知の相手に対して万全かと問われると困るな」


 まあ、そうだな。相手の能力が分からないと、対処しようがない場合もあるし。

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