第111話

 隠者の粉が自然に効果を失うまではまだ数十分あるが、もう姿を隠す必要はないので魔力の風で強制的に粉を払う。

 今の状況がどうなっているか、正確に知りたいところだ。俺が知るのならトリーシアに聞くのが手っ取り早いだろう。隣だし。


 疲れてはいるが、本格的に休むのは事態を把握してからでいい。ことによっては休んでいる暇はないかもしれんし。

 息を整えるだけの時間を置いて、部屋を出る。そして隣のトリーシアのアトリエの扉を叩いた。


「はい、どなた?」

「ニアだ。少しいいか」

「ニア!?」


 声が一気に鋭くなった。

 ものの数秒で、勢いよく扉が開けられる。姿を見せたトリーシアは、声に違わず険悪な表情をしていた。


「貴方……。今まで何をしていたの。状況が理解できていて?」

「それなりには。だからこうして正確な情報を聞きに来た」

「わたくしの問いを無視するのはおやめなさい。今まで何をしていたの」

「俺の所在を気にしているのはお前だけか?」

「あとはリージェぐらいね。イルミナ様は一介の錬金術士の不在など、すぐに情報が回るような立場ではないから。」


 遠い距離がもどかしいときの方が多いが、今回は幸いだったかもしれない。


「いい加減に答えなさい。一体何をして留守にしていたの。こちらでは大変なことが起こっているのよ」

「俺がどこで何をしていようと、大した問題ではないはずだ。気にされていないなら丁度いい。お前も気にするな。不在さえ気付かれていないなら、このままずっとアトリエにいたことにしておけ」

「貴方――ッ」


 なおも追及しようとするトリーシアの顔のすぐ横の壁に片手を付き、逃げ場を奪ってから彼女を見下ろす。

 トリーシアは驚いた様子で目を見開き息を詰め、俺を見上げてきた。


「俺はアトリエにいた。いいな」

「あ……なた……っ」


 問いに答えないどころか隠蔽の要求までした俺を、トリーシアは小刻みに震えつつ睨み付けてくる。

 その頬は血が上って赤く、睨み付けている瞳も興奮のためか潤んでいた。


「トリーシア」

「あ」

「返事は」

「――っ。わ、分かったから、どきなさい!」


 ついに顔を逸らして、トリーシアは追及を諦めた。声も屈服していたから間違いない。

 手をどかして解放すると、壁を支えにやや覚束ない足取りで数歩の距離を確保してから、再び俺を睨んだ。


「力を誇示して敵わない者を威圧するなんて、最低ね」

「お前と大して変わらないだろう」


 俺は暴力で、トリーシアが使ったのは権力だが。


「わ、わたくしは……。――う、うるさいわね!」


 否定しようとしてできなかったらしく、怒鳴って誤魔化した。別に誤魔化せてはいないが。


「それで。大変な状況とやらを教えてくれるか」

「事故があって、神殿内に設置していた装飾のいくつかが壊れたの。作り直しを余儀なくされているわ。半日ほど前に魔物の軍勢の方でも何かが起こったみたいで、魔力反応が減った報告がされている。そこに留まったまま、動きも止めているわ」

「作り直す許可は出たのか?」


 整え直さなければ失敗は目に見えているが、それでも強行しようとするのでは、という考えが過らなかったわけではない。


「貴方、まさか関わっていないでしょうね……?」

「『事故』なんだろう。それ以上の究明に益があるのか?」

「……ないわ」


 そうだろう。そのために犯人が必要ない、自然現象による事故にしたのだから。


「事故が起きて会場の装飾が作り直しになったところに、魔物たちも足を止めてとりあえずの時間ができた。強行するのではなく、作り直しを待つんだな?」

「ええ、そうよ。そう言われればあまりにも都合のいい偶然だけれど」


 じとりとトリーシアが睨んできたが、黙殺する。その件は追及しないと諦めたはずだ。

 背中を壁に付けて先ほどのやり取りと意識させてやれば、トリーシアは顔を赤らめて悔しそうに腕組みをする。


「それでも急ぎよ。虹の氷樹はいつ完成するかしら?」

「七日後の夜だ。儀式は翌日に行うようにしろ」

「わたくしに決める権限などないわ。……八日目に何があるの」

「王都を滅ぼしたくないなら、その日付で調整しろ。権限などなくても、実行しているのは俺たちだ。どうとでもできるだろう」


 上からの圧力はうっとうしいだろうけどな。


「でなければ隣国の町と同じことになるぞ」

「説明はしてくれないのね」


 トリーシアの声に宿る感情は、怒りと悲しみが半々。

 若干気は咎めるが、本当に知らないままでいた方がいいこともある。

 俺は親しくもなければ敬意も持っていないアストライト国王に正確な情報を渡さなくとも良心の欠片も痛まないが、トリーシアは違う。


 常々口にしているように、彼女は貴族だ。本人も誇りを持っている。

 国のための嘘なら平気で付くだろうが、俺がしている情報隠蔽の最たる目的はリーズロットの願いを叶えるためのもの。

 トリーシアは魔物のために、王へ嘘を付きはすまい。


「いいでしょう。もっともわたくしが何もしなくても、七日後の……そうね。午後三時を越えた時点で翌日に回されるでしょうね。光神たるディスハラークを称えて、加護を願う儀式ですもの。陽が落ちてから行うとは思えないわ。勿論、魔物の軍勢の動き次第ではあるけれど」

「なるほどな。感謝する」


 午後三時、だな。


「トリーシア」

「何よ」

「心労をかけて悪かった」

「……馬鹿。そこは『心配』と言いなさい」

「心配? したのか?」


 お前が?


 立場上心労は覚えても、俺自身のことを心配までするとは思わなかった。

 だが今の言い様だと、トリーシアの心を占めたのは心労ではなく心配だった、らしい。


「心配をして何が悪いのッ。さっさとアトリエに戻って仕事をなさい!」


 俺が意外に思ったことそのものが結構な屈辱だったらしく、トリーシアは声を荒げて怒鳴ってくる。

 退散しつつ、悪いことをしたなとは思った。


 次……の機会などない方がいいが、もしできてしまったら。素直に心配を受け取ろうと思う。

 ……自分で考えておいてなんだが、本当に来ない方がいいな。

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