第32話

「……っ!?」


 しかして、視界の先に俺とリージェという予想外の姿を見たトリーシアは、そのままの姿勢で硬直する。平民を数と数えない貴族の悪習、裏目に出たな。


「それでは、ごゆっくりどうぞ」


 状況的に、トリーシアにはゆっくりしている時間はないはずだが。定型句とはいえ他の言い方を探せなかったのか。


「工房に入ってもいいかな?」

「いえ、こちらは、その、散らかっておりますので。失礼ながら、奥の控えの間にてお話を伺いますわ」


 工房の方をちらりと見やったトリーシアは、そう言ってイルミナを――俺たちを私室の手前にある、来客を一時待たせておくための部屋へと導く。


「申し訳ありません、このような所で」


 客に対する扱いとして不本意なのか、トリーシアの声には本物の謝意が感じ取れる。招かれざる客人であっても、礼節が優先される性質らしい。


「昨日の今日だもの。こちらこそごめんなさい」

「本日はどのようなご用向きでしょう? お分かりでしょうが、今は立て込んでおりますので。あまり長時間のお相手はできかねますわ」

「うん、だからね。トリーシアさんの作業を二人にも手伝ってもらおうと思って」

「……手伝う?」


 イルミナの提案にトリーシアは呆けた声を上げてこちらを見ると、すぐに眦を吊り上げる。


「ご冗談でしょう。そんな暇があるなら、さっさと自分の役割を果たすべきだわ」

「そ、それは大丈夫です。今は成形して固まるのを待っている状態で、明日にはこちらにお持ちできます」


 レベル一の品をD・Eランクでしか納めない俺では説得力皆無なので、この辺もリージェの担当だ。始めからリージェに制作者になってもらうつもりだったので、丁度いいとも言う。

 しかしそのリージェの言葉は、トリーシアには衝撃だったらしい。


「な……何ですって……!?」


 ギルドでのやり取りしかり、トリーシアはリージェを下に見ている。まあ、リージェ自身も同じだから無理もない関係だと言えるが。

 ともかく、そんな相手から自分より早く役目を終えたと聞かされて、相当動揺しているようだ。傲慢だが。


 だってそうだろう。修練は身になる。昨日できなかったことが今日できるようになる可能性を持つのが、努力という力だ。それによって力の差が縮まることも埋まることも逆転することがあっても、驚くに値しない。


「ええとその、こっちはわたしでも何とかなったというか……」

「……そう」


 作っている物が違うので、それでは己との力量差はそもそも計れないと思い直したらしい。トリーシアの態度に若干の冷静さが戻った。

 相手が自分より下である理屈に納得できほっとするって、どうなんだ? 自己の危うい奴だな。


「調合はともかく、他の作業は手伝えると思うんです。わたしもこの町にいるんだから、結界が完成してくれないと困るし……」


 リージェの言葉にトリーシアはぐっと唇を噛んだ。部品が完成していないならともかく、出来上がっているのだ。これで結界が完成しなかったら、すべてがトリーシアの責任となる。更なる重圧を感じたことだろう。

 数秒迷ったあと、トリーシアはぎこちなく、首を縦に動かした。


「いいわ。なら、手伝ってちょうだい」

「ありがとうございます!」

「そちらの彼も一緒に? リージェはともかく、彼が役に立つとは思えないのだけど」

「雑用ぐらいならできる。洗い物や片付けに時間を割かれるより、作業に集中してもらった方が効率的だろう」


 たかが洗い物。たかが片付け。

 しかしどの業種でもそうだと思うが、使う道具の手入れ・保管方法は、使う人間でないと分からない、細かな常識があるものなのだ。錬金術とて同じ。携わらない人間には、片付け一つ任せられない。


「……そうね」


 そしてやはり時間が惜しい意識はあるのか、トリーシアはうなずいた。


「それならリージェには調合を、貴方には片付けを手伝ってもらうわ」

「はい」

「よろしく頼む」


 こちらから頼んだ立場なので、俺もリージェも低姿勢だ。


「じゃあ、わたしはこれで。二人とも、頑張ってね」

「お前は少し休め」


 大氾濫が起きてからこちら、イルミナが満足に休んでいる形跡がない。


「第二波までそう時間はないぞ」


 イルミナは単独でのダンジョン討伐を決めている。周辺にたむろしている魔物を相手に疲労を蓄積させるのは得策ではない。本人も分かっているまずだ。

 今町の外にたむろしている魔物など、結界が完成すれば町までは侵入できない。その対処には少しの余裕がある。

 俺が言わなければやはり外に出る気だったのか、イルミナは少し気まずそうに微笑した。


「……うん、そうだね」


 そして、うなずく。

 意外だ。もっと強固に譲らないかと思っていた。


「万全にしておくよ。休んでおけば、なんて後悔したくないから」

「そうしろ」


 見張っていることもできないので、イルミナがきちんと納得したのは幸いだ。納得していなければ、うなずいておきながらさらっと町の外に出ているだろうからな、こいつは。


 彼女を送り出し、扉を閉める。そして俺は洗い場に放置された使用済みの器具の洗浄に取りかかった。

 後で纏めてやるつもりだったのか、一日以上放置されているのが確実な、汚れがこびりついているものが結構ある。


 というか、これだけの量を使いっぱなしで次の作業に行けるとは。ざっと壁の棚を見てみれば、そちらにもまだ未使用なものが沢山ある。資金力が垣間見えるな。

 しかし揃え方が雑だ。すべての器具を一律で同じ個数揃えている感がある。この工房、使い難そうだな。何も知らず、何も考えない者が用意した工房ならこんなものか。


 リージェたちの方を見てみれば、丁度レシピを確認しているところだった。これで最悪、ここでこれ以上の何もできなかったとしても、結界装置を作ることはできるだろう。

 至高の一品を作るのならともかく、錬金術において、代替品のない素材など殆ど存在しない。どうとでもなる。


 見たところ、トリーシアの魔力経路はリージェやイルミナに比べてやや整っている。おそらく多少なら属性を意識した魔力操作ができるだろう。

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