第31話
「可能性が一番高いのは否定しないし、そもそもお前の行動を制限する権利など俺にはない。止めはしないが、少し待て」
「何を待つの?」
「俺たちが結界を完成させるのを。ダンジョンに入るのは二度目の氾濫が起こった直後が望ましいだろう」
中の魔物が少しでも減った頃合いを見計らうのだ。
正確には平時通りというだけだが、溢れるほどに大量の魔物が闊歩している中を突っ切るよりは、確実にマシだ。
「必ず完成させる。だから、待て」
「――」
「信じろ」
「必ずって、言えるんだね? ニアさんは」
「ああ」
それは今まで守ってきた『普通の錬金術士』の範囲を超えることになる答えだが、構わない。それよりも今はイルミナを殺させたくない。
「分かった。信じる」
実際、部品である結晶の方はもうほぼ完成しているんだ。
最後の問題は――
「イルミナ。お前、交渉は得意か?」
「ええと……そうでもないかな」
「そうか」
聞いた俺が愚かだった。
「では、トリーシアとの交渉を頼む」
「今の答えでそうなるんだ?」
少し困ったように笑うイルミナに、俺ははっきりとうなずく。
「それでもお前が一番適任に違いない」
因縁のない相手ならリージェも同程度なのかもしれないが、トリーシアでは心情的にも難しいだろう。隣でリージェが何度も首を縦に振っている。
そんな俺とリージェを見て、イルミナはため息をつく。
「分かった。頑張ってみるけど……。トリーシアさんに何を頼みたいの?」
「結界のレシピをリージェに見せたい」
「それで、ニアさんが作るんだね?」
「そうなる。ただし、公式には製作者はリージェということにしてもらいたい」
「どうして?」
「……目立ちたくないからだ」
その理由をリージェは知っているから了承してくれたが、イルミナは知らない。果たして、普通に考えれば栄誉であるそれを拒むことを、イルミナは理解するだろうか。
「……あんまり、よくないことだと思うよ?」
やはりイルミナは否定的な意見を述べた。
そしてつい、ともう一人、確実に共犯となるリージェへと目を向ける。
「リージェちゃんはどう思ってるの?」
「ニアの状況なら仕方ないかなと思っています。えっと、詳しく説明はできないんですけど……」
リージェ自身、良く思っていないのはイルミナにも伝わっただろう。それでも俺の案に同意している、ということも。
「……そう。わたしには、その理由は教えてもらえない?」
「無理だ」
即座にきっぱり拒否すると、イルミナの瞳に寂しさと、少し傷付いたような色が浮かぶ。好意を抱いている相手から除け者にされれば、そういう感情も湧くだろう。
俺自身にも落ち着かない、ざわざわとした不快感が生まれた。が、再考の余地はない。俺はノーウィットでの平穏な生活を護りたいんだ。
「分かった。二人がそう言うなら、信じる」
「幸いだ」
話した以上、イルミナにも納得してもらわないと面倒なことになるからな。
「レシピはリージェちゃんに見せればいいんだよね? わたしが書き写させて――って言うより、リージェちゃんに直接見てもらった方がいいかも」
「はい」
イルミナは専門外だ。できるのであれば、その方がいいだろう。
「じゃあ、お手伝いに行こうか」
「それは願ったり叶ったりですけど、トリーシア様、受け入れてくれますかね……」
「んー……。大分疲れてたから、話の持って行き方次第、かな? 大丈夫だよ、多分」
大丈夫なのか……。
俺にはこちらを見下していた彼女に受け入れさせる手段など思いもつかない。流石だ。
「なら、急いだ方がいいよね? 次の大氾濫までどれぐらい時間があるか分からないし」
「ああ」
少なくとも、悠長にしていられるほどの余裕はないだろう。
「えーっと、イルミナさん。ちなみに、ニアを連れていくのは無理でしょうか」
「ニアさんはトリーシアさんとほとんど面識ないから、話してみないと分からないな。でもこちらの作業は大丈夫なの?」
「一段落着いている。問題ない」
固まるのを待っているだけだ。行けるのであれば俺もトリーシアの方に行きたい。
「そう? だったら行ってみようか」
「はい!」
元気良くうなずいたリージェの隣で、俺も首肯する。
もしかしたら、ほんの少しトリーシアに手を貸すだけで、後々の面倒が少なくなるかもしれない。労力の先払いだと思えば安いものだ。
トリーシアに与えられている工房は、領主館の中にある。と言ってもノーウィットは領都ではないので、滞在していないときは空の屋敷だ。
代官さえ常駐していないのが、ノーウィットという町の規模を表していると言える。
まったく。外壁のせいで町の面積が限られているというのに、ほとんど使わない家で土地を奪うなどとんだ無駄をするものだ。権力者が己の快適さしか求めないのは人間ならではだな。
そしてどうやら、イルミナの地位は領主相手にも通じることが判明。領主自らが歓迎姿勢を見せたあと、トリーシアの工房まで案内された。
「トリーシア様、お客様がいらしております」
「客? 誰です?」
扉の奥から応じたトリーシアの声は硬い。憤り七割、怖れ三割という感じだ。少なくとも、歓迎の感情は欠片もない。
「イルミナ様にございます」
執事は俺とリージェの存在をないものとして扱った。都合がいいから何も言う気はないが、面白くもない。隣でリージェが露骨に機嫌を損ねた顔をしている。
「……お通ししてください」
拒絶の間を一拍明けながらも、トリーシアは招き入れることを選ぶ。すぐに扉が開かれた。
扉を開けたのはトリーシア本人。それはそうだろう。工房に他人を入れるわけもない。
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