第30話

「お前の用件はそれだけか?」

「ううん、あと一つ。お礼を言いに来たの」

「礼?」

「昨日、わたしを休ませてくれてありがとう。でも、もし次があってもやらないでね? きっとわたし、後悔するから」


 昨日は俺が神殿の負傷者を癒すよう神に願い、神はそれを聞き届けた。ゆえにイルミナは後悔しなかった。

 犠牲者が出ていたら、悔やんだんだろう。分かっている。だから祝福を願ったのだし。

 イルミナは俺が彼女を止めたことを喜んでいた。それでも次は止めるなと言う。本気で。


 ……複雑だ。


 一つの事柄に対する、並び立たない気持ち。それなのに両方ともが真実だ。

 俺は、どうだろうか。

 イルミナが悔やむと分かっていて、もし俺の力ではどうにもならない状況に飛び込むと知ってしまったら?


「……分からんな」


 考えてみたが、答えは出なかった。だから仕方なく、そのまま答える。

 イルミナはきょとんとして、次に困ったような微笑を浮かべた。


「そう答えるんだね、ニアさんは」

「俺は? なら一般回答はどうなるんだ?」

「うーん。大体はこちらの意思を汲んでうなずいてくれるか、もしくはきっぱり断る感じじゃないかなあ」


 そういうものなのか。


「あいにくだが、俺は、俺がお前が倒れる姿を見たくないと思ったからやったんだ。お前がどう思うかは関係ない」


 怒る可能性を思いついていてもやったぐらいだ。


「どうして?」

「どうして、とは?」

「どうして、わたしが倒れるのを見たくなかったのかな、……って」


 その言葉には、口にすることへの多大な照れが含まっているのが俺には分かった。同調して頬には朱が差しているし、声も最後の方は聞き取るのが難しい程の尻すぼみだ。


 イルミナの問いに、俺は――返すべき答えを持たなかった。


 なぜ、そうしたのか?

 嫌だと思ったからだ。それは間違いない。だがイルミナの質問は更にその先、なぜそう思ったのか、だ。


 ……それは、分からない。


 実行したときは、感情が先だって考えもしなかった。それはいい。だが今冷静になって考えてみても答えが思いつかないのは、なぜだ?

 自分の心だ。答えがない訳が……。


「その顔は、分かっていない感じ?」

「……ああ」


 己で己の抱いた感情の由来が分からず戸惑う俺に対して、イルミナの問いは的確だった。もしや人間はこういった感覚に多くの者が覚えがあったりするのだろうか。


「うん、だったらいいや」

「……そうか」


 イルミナが答えを諦めたのはありがたかったが、だからといって放置はできない案件だ。何しろ自身のことだからな。しっかり把握する必要がある。


「ニアさんは多分、真面目に考えてくれる人だから」

「……」


 なぜ、たった今思ったことが分かる?


「答えが分かったら、教えてほしいな」

「お前にも関わることだ。いいだろう」


 再度イルミナに得も言われぬ空恐ろしさを感じつつ、道理だとは思ったのでうなずく。するとイルミナは期待を宿した瞳を和ませ、柔らかく微笑んだ。


「うん。お願いね」

「用はそれだけか?」

「そうだね」

「なら帰ってもらえるか。分かっているだろうが、今俺たちにはやることがある」

「あ……うん。今更だけど、ごめんね。いきなり来て」

「それは別に構わん」


 予定を聞くにしても、一度は予告なしでの訪問をする必要がある状況であるし。


「ありがとう。それじゃあ、結界の作成、頑張ってね」

「お前は無理をするなよ」

「無理って、たとえば?」

「一人でダンジョン討伐を行おうとする、とかだ」


 言いながら、ふとイルミナはこの町が国から半ば諦められている状況なのを知っているのかどうかが気になった。


 イルミナは有能だ。それは彼女の職業が証明している。そして懸命だ。魔物大氾濫が起こって、増援の要請をすでにしたかもしれない。

 だとすればおそらく、国はリージェにしたのと似た返答をしただろう。ならイルミナはおそらく、ノーウィットが国から見捨てられたのを悟ったはず。


 だがリージェと同じように、イルミナはまず諦めない。逆にその情報を得てしまえば、一人で行動を起こす腹を決めてしまうんじゃないか?

 懸念を口に出して問えば、イルミナは丸々一呼吸分、沈黙した。

 これは、行く気だったな。


「ええと、でもね、ニアさん。それが最善で、後になればなるほど悪化するのが分かっているのなら、やっぱり行動した方がいいと思わない?」


 図星を指された反応を取った自覚があるらしく、イルミナは誤魔化そうとはしてこなかった。


「え!? だ、駄目ですよイルミナさん! そんなの危険すぎます!」

「危険が大きいのは分かってるけど……。でも、国の対応を待っていたらノーウィットは助からない」

「……」


 リージェも、イルミナの言葉の正しさが分かっている。言葉を詰まらせ目線を落としたその反応で、イルミナもリージェが分かっていることを理解した。


「もちろん本当に放置する気はないだろうけど、大氾濫に対応する軍隊、ダンジョン討伐のための精鋭、この二つを揃えて実行するのは何ヶ月か後になるよ」


 特に軍隊が遅いだろう。行軍の足は個人の移動とはわけが違うというからな。


「だから、行くよ」


 イルミナの声には、覆せないだろうと思わせる強さがあった。そして国を待っていたら助からないのは同意する。

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