第29話
「濃い味は駄目なのよね? 他に苦手なものはある?」
「ない」
「じゃ、適当に買い出し言ってくるわねー」
言うリージェの声は、心なしか弾んでいる。
そういえば、一晩の礼にと菓子を作ってたな。リージェは料理が好きなのか?
素材を活かし、己の求める完成形に仕上げる作業、という意味では俺も別に嫌いじゃないが、正直食べられさえすればいいとも思っているので、それほど意欲は湧かない。
……さて。
俺の方の作業はこの一昼夜で完成するわけだが、トリーシアの方はどうだろうか。装置の壊れ具合にもよるが、できる限り早く結界を発動させてしまいたい。
明日、完成したらイルミナを訊ねてみるか。
彼女は相当人が好いので、おそらくすぐにもトリーシアの様子を窺いに行ったはず。そのときに進捗も大体は分かるだろう。イルミナと会えば、多少なりと情報を得られる。
もしトリーシアの本体生成が絶望的であれば、リージェに協力させる、という体で乗り込むか。
もしこの町を救うなら……第二派が来る前に、急いで完成させなくてはならないんだ。
微細な調整を続ける、大切だがやや単調で退屈な作業を終えたのは、予測通り翌日の昼。あとは型に流し込んで成形するだけなので、固まるまでの数時間、寝ておくことにした。
寝て起きて、アトリエに寄ればきちんとでき上がっていた。これでノルマ達成だ。
「あ、おはよー、ニア。ご飯温めれば食べられるよ。どうする?」
「いただく。その間、お前に予定はあるか?」
「自学習以外はないわね。やることがあるの?」
「イルミナの元に行って、トリーシアの様子を見るよう頼んでもらいたい。直接お前が行ってもいいが……」
間に入る人間が増えるほど、情報の正確性は失われていく。なので俺としてはより少なく、リージェに行ってもらった方がありがたくはあるんだが……。
「分かった! イルミナさんに頼んでくる!」
リージェとトリーシアの関係性を鑑みれば、そうなるだろう。
とはいえ実のところ、イルミナがトリーシアの様子を見に行こうと思っていたことを俺は知っている。リージェがイルミナに会えれば、答えはその場で得られるだろう。
「じゃあ、先にご飯の用意しちゃうね」
「助かる」
支度をリージェに任せ、俺は席についてぼうっと待つ。ずっと精神を使っていたせいだろう、この一時一時がひどく安らかに感じる――と、満喫していたところに。
コン、コン。
「!!」
ノックが響いた。
リージェの提案を受け、今日も俺はフードを付けていない。慌てて立ち上がり、リージェに目配せをしつつ奥へとさがった。
急な来客には対応すると自分で言っていた通り、少しわたわたしつつもリージェは玄関に向かう。
「は、はぁーい。どなたでしょうー」
用が玄関先で話を聞いて済むならいいが、片付かなかった場合のために一度コートを取りに自室へ戻る。一体誰だ?
町の状況が状況だけに、心当たりが多すぎる。
フードをしっかと被ってリビングへ戻ると、そこにはイルミナが増えていた。なぜ。
「こんにちは、ニアさん。お邪魔します」
「えっと、イルミナさんならいいかなーって思って、上がってもらっちゃったんだけど……」
個人依頼を受ける想定などしていなかったので、俺の家はアトリエ以外はすべて生活空間である。多少抵抗はあるが……確かに、追い返す理由は思いつかない。
「……そうだな。丁度いいと言えばそうだしな」
「丁度いいって、わたしに用があったの?」
首を僅かに傾けつつ訊ねてきたイルミナの声には、少しの喜色が読み取れる。『俺』が用があった――頼ろうとした、ということに対するものだ。
……そういえば、イルミナは俺に、好意があるんだった……な。
物好きな、としか言いようがない。会って数日、身元も不明。顔さえろくに知らない相手だぞ。彼女の危機管理能力は、もっと仕事をするべきだ。
「ニアさん?」
「い、いや」
余計なことを考えたせいで、不自然な間を空けてしまった。そんなことはどうでもいいんだ。大体、俺は魔物で、イルミナのそれは俺の正体を知らないがゆえに抱いてしまった、いわば気の迷いでしかないのだから。
「お前にトリーシアの様子を見てきてもらいたいと思っていた」
「トリーシアさん? ……どうして? 気になるの?」
ぐっ。
言葉にやんわりと、しかししっかりと含まれた棘に、背筋が少し寒くなる。明確な敵意という訳でもないのに、この産毛を逆なでられるような怖気は何だ。
「結界の本体だ。気にしない方がおかしいと思うが」
「ああ、そっか。そっちか」
何がイルミナを落ち着かせたかは分からないが、言葉から棘が抜ける。……ほっとした。
「ええとね、わたしも少しトリーシアさんのことが気になったから、様子を見に行ったの。調合の方は……あんまり上手くいってないみたい。本人も焦ってる」
やはり駄目か。
期待薄ではあったが、トリーシアが問題なく作れる方がありがたかった。覚悟はしていたが、落胆の気持ちが湧くのは止められない。
「ニアさんの方は、どう?」
「まだ制作中だ。何とも言えない」
ここまで来たら失敗する要素の方が少ないが、あえてそう言っておく。
イルミナは錬金術士ではないから、調合にどれだけの時間がかかるかの想像さえできないはず。今は適当に誤魔化しておけば充分だ。
結界を完成させるのは俺じゃない。リージェである。
「そう……」
魔物避け結界の完成を心待ちにしているのはイルミナも同じなのだろう。俺の答えに、イルミナは沈んだ声音でそう言った。それにリージェが申し訳なさそうな顔をする。
今すぐやめろ。イルミナに不審がられるだろうが。
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