第20話

「いいこと? 魔物大氾濫が起こった以上、この町は危機的状況にあると言わざるを得ない。低能なあなた方は身の程を弁え、絶対にわたくしの邪魔をしないで頂戴」


 どうもそれを言いたかったらしく、高慢に言い放つと彼女は去って行った。


「くぅ……っ。何よ。世の中は才能のある人間だけで回ってるわけじゃないんだからね!」

「暇な奴だな。他人を見下す時間があるなら、研究でもしていた方が有意義だろうに」


 広間から出て行ったトリーシアへと、リージェと俺はそれぞれの感想を口にした。


「……っていうかニア。貴方この期に及んでまだ研究なの? そこはヒールポーションの一つでも作っていた方が、とか言うところじゃない?」

「ヒールポーションの研究をしたいならそれもいいと思うが」


 基礎薬品に分類されているが、あれは奥が深い。


「そうじゃなくて! 魔物大氾濫が起こってるのよ? 前線で戦ってる人たちを治す薬がいくらあっても足りない状態なのに」

「理解はしているが」


 俺には関係のないことというだけで。


「……貴方って本当……」


 頭痛を抑えるようにリージェが眉間を揉み解す。本当、何だ?


 そんなことをリージェと話していたら、正面の扉が開かれた。上級の使用人らしい、パリッとした制服を身に付けた中年の男が入って来て、一礼する。執事長とか、そういう感じだろうか。


「お待たせいたしました。これより、主からのお言葉をお伝えいたします」


 主――つまり領主の言葉を伝えるのにトリーシアがこの場にいないということは、個別に伝え終えているということだろう。

 リージェの話だと、彼女は上流階級の人間らしいし。

 下級市民と一緒の扱いにはしないようだ。


「ここにいる錬金術士三名に、特別なレシピを開示いたします。こちらは国より領主へと伝えられる、強力な結界を作り出すための部品となります。どの仕事よりも最優先でこちらを完成させるように」


 そう言った執事長(おそらく)の後ろから薄い冊子を持った侍女が現れ、俺、リージェ、もう一人の錬金術士へと手渡していく。

 結界の部品、ということは、完成像は見せないつもりか。それをやるのは信頼のおけるトリーシアなんだろうな。

 ……ふむ。そう難しくはなさそうか。

 ざっと概要を把握したのとほぼ同時に、隣で初老の錬金術士がひぃと声を上げた。


「こ、こんな難度の高いもの、私には無理でございます」

「勿論そうでございましょう。こちらのレシピは王宮錬金術士一級相当の品となります。しかしトリーシア様には更に難度の高い調合をしていただく必要があるので、こちらはここにいる皆様にやっていただく他ありません」


 本体からして壊れてるのか? 相当暢気に放置してたんだな。おかげで助かったが。

 しかし、どうしたものか。

 ここに俺がこうしていられることが示すように、ノーウィットの町の結界はほとんど機能していない。魔物大氾濫で押し寄せてくる魔物には、到底効果を出さないだろう。

 放置していたそれを、今慌てて作り直そうとしているのは分かった。

 だがこれが完成すると、俺はこの町にいられなくなる。


「話は以上です。すぐに作業に取り掛かってください。必要な材料はこちらに用意がございますが、あまり無駄にしないよう注意したほうがよろしいでしょう。完成品の買い取り価格を超えた際は、各々に負担していただくことになります」

「そんな無茶な!」


 冊子には材料の市場価格も記されているが、失敗できるのは一度か二度。それを超えると、俺たちレベルの所得ではまず返済できない金額が請求される羽目になる。


「そして現在は緊急事態のため、怠慢は国家への反逆と見なされます。戻りましたらすぐに調合を進めてください」


 言う執事長の言葉に宿る響きは、期待。成功への物じゃない。金欲の期待だ。

 物事というものは、できないものはできないのだ。分かっていてこいつは俺たちに損を与え、自分に得を招こうとしている。


 ……気分が悪い。


 魔物社会にも上下はある。しかし権力を得た個体が義務を放棄することはない。それは群れの全滅を意味しているからだ。

 たとえば外敵に襲われたとき、真っ先に先陣に立つのは力の強い個体だ。

 代わりに平時の彼らに仕事はなく、力を維持するための食物を優先的に得る。強い子孫を残すため、複数の個体と関係を持つこともざらだ。

 権利とは、義務のための待遇なのだ。


 魔物の群れから離れた俺に、魔物社会での義務はない。代わりに権利もない。しかし居ついた人間社会の中ではルールにのっとって暮らしている。


 だが、こいつらは何だ?


 有事となった今でさえ、やることは貴族としての権力を使い、生まれる損害を下流層に押しつけてあわよくば金を得ようとする。

 こいつは俺たちが失敗を重ねて、かさむ材料費に上乗せをして吹っかけてくることを考えている。


「通達は以上です。それでは、お戻りください」


 外へと向かう扉が開かれ、衛兵たちが急かすように後方に立つ。随分な扱いだ。

 とはいえこの場に残る理由もないので、さっさと自宅へ戻ることにする。

 屋敷を出て、町を仕切る階段を下り、自分たちの領域に戻ってきたところで、リージェは大きく息を吐く。


「こんなの無茶苦茶だわ。錬金術協会に訴えてやる」

「それで何とかなるのか?」

「できない調合をやらせて材料費を取る、なんて命令は撤回されるはずよ」

「それはありがたいな」


 なら、失敗し続けてこの依頼を流すのも有りか。

 そもそもあの執事長は、このレシピを王宮錬金術士一級相当だと言った。そんなものを完成させたら目立つ。冗談じゃない。


「うん、でも……それとは別に、結界は完成させないと町が危ない」


 リージェの声は沈んでいる。

 そうか。こいつは元々有志で駆けつけるぐらい献身的な奴だった。自分の身へ降りかかる理不尽への怒りと、町への心配は同時に発生するらしい。


「お前は作れるのか?」


 作れるのなら、すべてリージェに任せてしまえばいいのではないだろうか。どちらにしろこの町に留まるのは難しそうだし。


「分からない。同ランクの物をわたしが作ろうとしたら、七割方失敗するレベルだもの」

「三割成功するなら問題ないだろう」


 おそらくそれぐらいの材料在庫はある。多分、俺たちから金を奪うために。


「……そうね。やる価値はあるわよね、この状況なら。――で、貴方は?」

「俺が作れるわけがないだろう」


 即答したが、俺を見るリージェの目は疑いを宿したまま。

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