「漢字」のこと (ひどく個人的な文章の話①)

 自慢ではないですが、いや自慢ですけど。

 私は漢検2級を、あと少しで満点だったほどで持っています。


 1級にも挑戦できるのですが、もう少し勉強足りないな、勉強してからのほうがいいなと思いつつ、時間のなさも言い訳にそれへは挑戦していません。


 むかし買ってもらった「大辞林」第1版は30年以上使い込んで、すでにボロボロ。もう見るも無残なほど。

 辞書はほかに広辞苑とか、類語辞典とか、いろいろ。

 パソコンで作品打つようになってからも、そのすべてを使い込んでいます。


 そのレベルなので、ほとんどの漢字を読めますし、書けます。

 地名とか、クイズにも出てくるような難読はご勘弁、ですが。


 ですので、ワープロ自動変換で漢字出てきて、それを自分が普段使いしているなら、そのまま使ってしまうことがあります。

 あとで人に読んでもらうと「読めない漢字が多い」といわれて、驚いてしまいます。


「読めるけど、書けないなあ」


 世間の人はだいたい、そんな感じで漢字と相対すると思うのですが、本当に読める漢字なのかどうか、わからない。


 私はわりと文章もヴィジュアルでとらえるたちがあります。


 びっしり改行もなく文字だけで埋め尽くされたページは敬遠してしまうような。


 文章だって視覚イメージが大切だと。


 細かいことでいえば、例えば「毎日毎日」とするとちょっと硬い、そんな時は「毎日まいにち」としてみたり。「一つひとつ」も私の定番です。

 あるいは、漢字だけが連なるとちょっと読みにくいなというときには、適度にひらがなも交えます。「きょう」と「今日」の使い分けとか。この話の最初でも「むかし」としているのは、その下に漢字がすぐあって、熟語としてとらえられかねないと思うので、そうしている、とか。

 さらに、物語の質、「昔話」であれば当然だれにも読んでもらいたいので漢字を少なくする、難しい言い回しを避けることも。


 新聞の校閲ほどかっちり決めていませんので、そこはまた「話が違うじゃないか」とくるかもしれませんが。


 その漢字の「形」「意味」だからこそここで使っているというときもあります。


 だから「もしかしたら読めないかも?」とふとよぎれば、ルビを振るようにしています。

 ページに同じ漢字がある場合は、最初のそれに。

 ページが変われば、また。

 幸いにもこの「カクヨム」様ではそれが可能ですし。


 web掲載なら、漢字などすぐにネット検索で読みも意味も出てくるはずですが。

 それでも、漢字が読めないだけで詰まってしまわれるのは、書き手としても本意ではない。


 何が言いたいかといえば、「こんな漢字にルビ振ってもらわなくても読めるよ!」というのがあっても、そこは「ああ、気をまわしすぎているんだな」と、ご容赦いただきたいのです。


 反対に、「これ読めないよ」というものあれば、ご指摘いただいて構いません。


 その時はその漢字を避けるか、あるいはルビを振るか致します。


 よろしくお願いします。


 ▼▼▼ ▼▼▼


 本来、【近況】にでも書けばいいことなのでしょうが、ちょっと気になったので広く皆さんに私を知ってもらいたいという意味で、「エッセイ」としました。


 ある意味これこそ「エッセイ」つらつら、なのでしょうね。


 貴重なお時間を取らせていただきました。

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