集積と拡散

 昔話(各地の口承)が先か、作られた物語が先か。


 タマゴが先か、ニワトリが先かの論争も、事この世界においては結論は出ています。


 記紀神話は各地に残る神話を記憶していた稗田阿礼が口述、それを筆記、記録したもの。「各地の物語が先にあり、それをまとめて統一した」ということです。


 日本の昔話、かぐや姫とか、桃太郎とか、浦島太郎とか。


 元の物語はあるといわれますが、各地に似たような伝承もあります。


 そうした時にどちらが先かといえば、やはりそれも各地の物語が先となるでしょう。


 でも、みんな同じようなものじゃないか。

 物語が先にあって、それが地方に分散されたんじゃないのか。


 それもその通り。


 日本は集権国家となってから、首都機能を持つ町から地方へと赴任することが多くなりました。そこから帰ってくれば、各地の口伝もまた町へと集まってくるでしょう。

 江戸の時代なら、参勤交代。あるいは江戸(大阪)への出稼ぎ。

 そこで各地の人々が都市に集まり、各地の物語もまた集まってくる。

 江戸の出版ブームに乗れば、そうした各地の昔話や化け物などが、現代のファンタジーに引き寄せられるのと同じ、奇々怪々な物語となって派手な絵付きでどんどん世に出てくる。

 そんな絵本を、今度は土産として地方へ持って帰る。

 食べ物は保存がきかない。それなら何か都会の流行り。となれば、絵本はまさに土産としてうってつけのものだったでしょう。文字をあまり読めなくても絵付きならばだいたいの物語は分かる、子供らにもぴったりだと。


 そうして、江戸の物語が地方へとまた回る。


 それが各地で独自に発展して。


 そしてまた、都市へと。


 集積され、拡散し、また集積されて、循環する。


 日本は広い。

 日本をヨーロッパへ持って行ったとすると、九州がイベリア半島、北海道はドイツまで渡ることになる。いったい、その間にいくつの言語があるものか。

 それほど広い地域なのに、北から南まで、わりと同じような物語が語られる背景、それを私は「集積と拡散」にあると分析しています。


 これはあくまで机上の私論です。

 立証するためには地方に行って、江戸で出版された絵本が蔵の奥底にでも眠っているだろう、それを見付けなければいけません。

 残念ながら、私はフィールドワークでそこまでのことはしていないのですが。


 それでも、大きくは外れていないでしょう、この考え方は。


 桃太郎の物語一つとっても、似たような物語は地方にたくさんあります。

 鬼の姿は何を現すか。

 何故、犬、猿、雉なのか。

 学者は分析しますが、桃から生まれたのでもなく、鬼退治でもなく、おともも犬猿雉でもない、そんな物語、実は地方に行けばたくさんあるのです。

 だからこそ、桃太郎の原話がどれかははっきり言い難い。地方に桃太郎が広がって、各地の土地柄に合わせて発展したともいえる。一つの何かより、いろいろなものが混ざったとみるほうがより説得力があるでしょう。

 土地によって進化するということは、その土地柄も物語の変化から読み取れることも意味し、その変化を読み解こうとすることは土地の歴史を知ることにもなる。

 昔話の隠された意味ともいえるものです。


 とはいえ、理屈ばかりが先行しても何も面白くない。

 物語はただ、その世界に没入するからこそ、面白い。

 日本ならではの事情が隠された昔話。それを読み解きつつも、もっと大事な日本の原風景、日本人の心、それを昔話から素直に感じ取る。それでいいのです、昔話の楽しみ方としては。

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