妖怪学
「見えない世界の覗き方」2006年刊(佛教大学)
「日本人はなぜ妖怪を畏れるのか」2011年刊(新人物往来社)
私の妖怪についての考え方に、大いなる影響を与えてくれた本はこの二つ。
前者は佛教大学で行われた、当時から妖怪的民俗学をリードする方々の公演をまとめたもの。
後者は哲学館(東洋大学の前身)創始者、井上円了先生の足跡を追ったものです。
「妖怪学」とは、その井上円了先生が体系化した学問です。
一般に「妖怪」というと、おどろおどろしいキャラクターや不可思議な現象のことを思い浮かべるでしょう。しかし、江戸の昔にはまだそれらを総称するような言葉はありませんでした。妖怪という言葉もありましたが、それも見えない世界を表わす言葉の一つでしかありませんでした。
化け物や鬼、天狗、不可思議、奇妙……
モノもコトも「妖怪」とまとめて定着したのは明治に入ってから、井上円了先生からといわれています。(「モノ化するコト」は「見えない世界の覗き方」にもある、京極夏彦先生の論です。)
「妖怪」は彼の妖怪学によって明治に大きな流行りとなり、かの頑固な柳田国男先生も抗いきれなくなり、ついには自らも「妖怪」の言葉を使い始めたものでした。(「妖怪談義」にその苦渋がにじみ出ている箇所があります。)
ということは、井上円了先生は今日的な怪異の妖怪キャラクターを世に現してくれたのか!
それは違います。
全く逆に、迷信打破を唱え、明治の世、文明開化に日本人の心を世界に拡げようとしたのです。
迷信打破。
すなわち、今までは見えない世界を恐れるだけだった日本人に、迷信を合理的に説いて、無闇に恐れないようにする。文明開化で夜道を照らす明かりを明治の人々は得ましたが、心の闇にも灯をともすような。
井上円了先生は仏教哲学者です。
浄土真宗東本願寺派の寺の子に生まれ、洋学を収め、世界に出て、外から日本を、仏教を見直したのです。
「ヨーロッパが千年かけて考察したことも、すでに仏教は何千年も前に至っているではないか」
当時の哲学は今日の心理学、科学、化学など多く内包したものです。
先進的なヨーロッパのものの考え方、当時の日本とはまるで違うはずなのに、逆にそこでこそ仏教の奥深さに気付かされる。
ヨーロッパの学問、仏教の心、両面から見た時、なんと日本は、日本人の心は拓かれていないのかと啓もう活動に目覚められたのです。
ちなみに仏教は、少なくとも真宗本来の親鸞上人の教えでは、幽霊も死後の世界も認めていません。
悪人も善人も死ねば皆同じ、仏さまのいる世界へと旅立つ。
安らかなその世界から、死者が返ってくることはない。
「死んだ人のことも、死んだ後のことも、それを見た人も知る人もいないんだから分かるはずない。そんなものは南無阿弥陀仏と唱えて仏さまに任せて、あなたは今の世で、今のあなたでありなさい。迷いは仏さまが聞きましょう」
簡単、意訳的ですが、真宗の真理とはそのようなものです。
少し話がそれますが、私の理解としては、仏教こそ哲学です。
お経は死者を弔うまじないでもなければ、何か超自然の力を得る呪文でもありません。
お経の文句一つひとつ訳せば、それは人生訓。
如何に人生を迷いなく生きていくか、いけるかをとうとうと説いている、お釈迦さまの言葉をまとめたものです。
つまり、円了先生はそのような考え方を根本に持つ人なのですから、文明開化の世になっても迷信に縛られている日本人の姿には忸怩たる思いがさぞかし強かったのでしょう。
妖怪を、不可思議な現象を山のような書物からも解き明かし、哲学でもって合理的に説明する。
例えば「虫の知らせ」
夢など毎日見ているものだし、夢の内容など目が覚めればうすぼんやりとしか覚えていないもの。それを自分勝手に現実の出来事と結びつけているだけだ。
フロイトやユングも夢の内容そのものと共に、それを自分がどう解釈しているかも重要視していました。
虫の知らせというのも、あとから「そういえば……」と無数の夢のなかの一つの、どこか接点があるものを現実と結びつけているに過ぎない。
偶然の産物でしかない。
後付けだ。
妖怪学も、現代の科学からすればそれでもまだ神秘学的なところあります。しかし、その合理的な発想に明治の人々は手を打って、時の明治天皇さえ、彼の講義本に熱中したと言われます。
私の妖怪等への考え方の根本はまさに「妖怪学」。
突き詰めれば、私の考え方のすべてが「妖怪学」。
「この世には見えないものもある」
と、そこで考えを停止させず、「じゃあ、見えるところへ持ってこようじゃないか」というもの。
神秘を神秘のままにしておく、そのほうがロマンじゃないかといわれるかもしれませんが、それでは新興宗教のエセ教理に惑わされ、いま生きている自分、いま生きている世界までも否定してしまうことにもつながりかねない。
円了先生は迷信すべてを否定しようとしたわけではありません。
円了先生が「妖怪学」で求めた真理は、「真怪」です。
円了先生が目指したのは、迷信を一人ひとりがその意味までもしっかり考えてほしいということ。その解明を自らしてほしい、その筋道を立ててあげようとしたものです。
その果てには否定しようとしても否定しきれず、合理的な説明すら不可なもの、人知及ばぬ真理がある、それこそ「真怪」だと。誠の不可思議だと。
(蛇足ですが、不可思議も仏教用語です。)
一説には、円了先生が追究した「真怪」とは自然の理そのものともいわれます。
確かに、科学的な自然現象の説明は出来ても、風がそよぎ、光が注ぎ、水は流れ、そのなかで人間は生きている、それは否定しようのないものです。
われ思う、ゆえにわれあり。
自分がなければ、否定も肯定もありようがない。
世界を否定するも肯定するも、おのれ自身。
闇を恐れず、光の中で生きてほしい、そんな願いが円了先生の根底にあったのかもしれません。
最後に。
「妖怪学」は今の世のほとんどの人には知られないようになってしまいました。
反対に、円了先生が打破しようとした迷信こそが「見えない世界はきっとある」と残り続けています。宗教は否定しつつも妖怪は信じる矛盾、それはいかなる心からくるものでしょうか。
「円了先生が今の世を見たらいかに思うか」と、「日本人はなぜ~」は締められています
柳田国男先生も、合理的な考え方を捨ててはいません。
むしろ「(小豆洗いが小川の音を勘違いした心理から生じたものというなら)小豆洗いが発生している地方で小川があるのか、それを確認しなければいけません」と、実証の大事さ、部屋にこもってものの本をあさるばかりではない、今でいうフィールドワークを大切にしていました。(それもまた、円了先生への反発といえなくもないのですが)
妖怪(の正体)を突き詰めていくことは神秘を捨てることではありません。
むしろ神秘の追究こそが、妖怪を輝かせるといっても過言ではない。
「信じるか信じないかはあなた次第」
と、そこで思考を止めるのではなく、もう一歩踏み込めば更なる真理も見えてくるはずです。
個々人の「真怪」にさえ至れば、目に見えないものへの敬意も、目に見えるようになったからこそ確かに持てるようになる。
神社やお寺、さらには黙して語らずも生きていることは同じ木々にさえ、他心なく素直な気持ちで感謝の思いを持って手を合わせることも出来る。
私はそう、考えています
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