第5話 夕闇

 夕焼けもあっという間に過ぎ去り、辺りは暗くなっていて景色も変わってしまった。川の下流から来たのはいいが、一向に渡ってきた橋が見えない。

 頑固おやじを見失って寝たのが間違いだった……。


 徐々に夕闇が迫る。


「ふへへ、見~つけた!」

「(な、なに!?)」

 俺は声のする方を振り返った。

 こいつは! 転生したとき初めて出会ったこの世界の動物。猪又いのまただ。


「おい、貴様。昨日はフォルスターに邪魔されたがよ。改めてうちに来いよ?」

「う、うちに来いと言われましても……どういった職種で?」

 フォルスターが転生者を働き手にしようと言ってたことを思い出した。

 巨体の猪が月明かりに照らされて、昨日よりも一層迫力がある。

「魔力を注ぐだけの簡単な作業だ。お前なら即採用だ。それともうちを蹴って、軍に入りたいのか?」

 魔力を注ぐ? そもそも魔力って何だ?


「貴様のその手を出して、台座に乗せるだけだ」

「単純作業ですね……」

「楽して稼げるんだから、いいじゃねーか」

「今実は希望しているところがあるもので、そちらに行こうと思っています」

 どうやっても猪又のところには行く気はないけど。


「ふん、そう言うと思ったぜ。だから、この夜になるのを待っていたんだからよ!」

 猪又は突然こぶしを振りかぶってきた。

 あぶね! 後方にジャンプして避けたはいいけど、これ以上先は川に落ちる。


「俺のところで働くか、ここで死ぬかの二択だな。フォルスターも来やしない」

 確かにやばい。川底がどれぐらいあるのかわからないし、流れもそこそこある。落ちれば死ぬ。

 異世界で死んだら完全に死ぬのだろうか……

 そんなこと考えていても仕方ない。この状況でどうにか逃げ切るしかない。


「残念だな。折角この世界に生を受けて、働き口が得られたのによ!」

 ボンッ!

 あ、あれはこん棒だ。

 魔力の力? 右手にこん棒が現れ、高く掲げられ振りかざしてきた。


 やむを得ない!! 川に飛び込もうとした瞬間……猛烈な風が吹いたかのように横へ飛ばされた。

「いててて……」

 右肩から突っ込んだのか、スーツに血が滲む。

「何だ……殴られた感じじゃなかった……」


「これはなー、魔力により遠距離でも風圧で攻撃ができるこん棒なんだよ。まぁ死ぬやつに説明しても意味はないがな」

 魔力はそんなことができるのか。

 この状況やばいぞ。フォルスター来てくれ……フォルスター……

「(何かありましたらご連絡下さい)」

 そうだ、手帳だ。手帳で呼べばいいんだ。


 ズボンの右ポケットにしまっていた手帳を出した瞬間、強烈な風に再び襲われた。

「ぐわああああ!!」

「手帳さえなけりゃ~、誰もこね~!」

 幸い川に流されず土手にある低木に引っかかった。でも流石に取りに行けない。


「この魔力は転生者から搾取することで日に日に強くなっている。俺はこの国で最強になるんだ」

 そういうことだったのか。こいつは転生者から魔力を奪い、自分の物にして強くなろうとしている……やばいやつだ……

「最後のチャンスをやろう。俺様のために魔力を捧げるか?」

 一度は死んだ身。奴隷になるぐらいなら、もう一度無に帰す方がましだ。

「望んでもない仕事なんてするもんか……」


 フォルスターは来ない……。

「よかろう。それが貴様の答えだな」

 万事休す。


 最後の一振りが飛んできた。


 眼前にいた猪又が横に飛んでいく。

 あれ!?


 俺が横に飛んだのかと思ったが、猪又が横にすっ飛んだ。

 どういうことだ!?


「このクソガキが! 跡をつけるからこうなるんじゃ」

「え? あなたは……」

「だまって、後ろにすっこんでろ」

 背中に見える「一徹酒店いってつさけてん」と、この口調で紛れもなく頑固おやじということがわかった。


「おいおい、誰だてめーは!」

「ただの通りすがりじゃ」

「ふん、シベリアンハスキーの爺に用はねえよ! 吹っ飛べ!」

 猪又が頑固おやじに向けてこん棒を振りかざしている。

 その瞬間、頑固おやじの全身から何かが発光したように見え、こん棒の風圧を跳ね返した。

 すげー!


「さっさとそこの手帳を取らんか!」

「あ、はい!」

 急な土手を降りて、低木にかかった手帳を開いた。

 フォルスターが映っている。豪快に酒を飲んで……おい、こっちはこんな状況なのに何してるんだ!


「んあ? ユウトか? 今酒屋探しに飲み屋にきて……」

「飲んでいる場合じゃない! 猪又が襲ってきて殺されそうなんだ! すぐ来てくれ!」

「話を遮るぐらいやばそうだね。今行く! 店員さーん、これお代ね~!」

 代金払っている場合じゃないよ全く。


 その間にも、土手上では猪又と頑固おやじが戦闘を続けている。

 頑固おやじは手を出さないで、さっきの光で跳ね返すばかりだ。


 手帳を閉じて10秒もせずに、何かが勢いよく降りてきた。

 ビュン!!


 フォルスターだ! ようやく来てくれた!

「おうおう、来たかフォルスター」

「猪又よ。また悪事をしたのですね」

「悪事じゃねぇ、てめぇら騎士団を倒すためだ!」

 昨日は身を引いていた猪又も、ここは食い下がらないようだ。


「ユウト! 無事か? 肩から血が出てるじゃないか! あれ、シベリアンハスキーもいる」

「ただの通りすがりじゃ」

「この方が、自分を守ってくれたんだよ!」

 右肩は痛むが、折れてはいなさそうだ。

「そうか! 時間を稼いでくれたっつーことね!」

 キュア! とフォルスターが唱えると俺の右肩はたちまち傷口がなくなり、痛みもなくなった。


 魔力すご! ゲームの世界じゃんか!


「通りすがりのシベリアンハスキーさん、ありがとうございます。ここからは騎士団にお任せください」

「いつかぶっ倒そうと思っていたんだ! ここでてめぇとはおさらばだな!」

「相変わらず口が悪いですね」

「いくぞ!」


 二匹は激しくぶつかり合うと、接近して打撃戦となった。殴る蹴るその速度といったら早くて目で追うことが困難な程だ。俺がこんなの食らったら、即死だろう。

「フォルスター! これが俺の本気と思ったか!?」

「この程度、酔い覚ましには丁度良いですね」


「はあああああああ!!!!!」

 物凄いエネルギーを感じる。

 それに猪又は3倍以上にでかくなってないか?


「でかくなったら動きも遅くなる。それが命取り」

 フォルスターが小声で何か言ったように聞こえたときには、猪又の後ろ側に飛び、首に手刀をかましていた。

「ぐ、ぐわぁ……」

 巨大化した猪又は倒れこみ、元の大きさに戻った。片をつけるのが早い。


「ふう、処理完了」

 助かった。アニメを間近で見ているような感覚だった。

 わかったこと。フォルスターは滅茶苦茶強い。

「猪又は刑務所に連れて行くから、二人はこのまま街に帰れるよね?」

「え! 実は街がわからなくなって、迷っていたら猪又に襲われたんだ」


「いい、いい。こっちで何とかするから」

「そうですか! ご老人、お名前は?」

一徹いってつだ」

一徹いってつさん、この度はありがとうございました。この者は転生したばかりなものでお世話かけました」

「……」

 この頑固おやじが一徹いってつということは……もしや社長か……。


「では、私はこれにて!」

 フォルスターは猪又を抱えると、飛んで行ってしまった。


「行くぞ」

「は、はい!」

 頑固おやじの後ろを歩きながら、背中の「一徹酒店いってつさけてん」の文字にたくましさを感じる。


「あの、先程はありがとうございました」

「……」

 無言だ。昭和のおやじだな。

 川沿いを下流に進んでいく。

 こんな夜道に二人で歩いて、声もよく通るのに聞こえていないはずはない。


「あの、転生前は酒屋で仕事をしていたのですが、一徹いってつさんの酒屋は納品、回収、引取全て一貫して一人で行われているんですか?」

「……だまって着いてこい」


 これは心開くまで時間かかりそうだな……。

 無言のまま、一徹の背中を追いかけ、ようやく城下町が見えてきた。

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