どうかわたくしを諦めてください!

綾瀬七重

ライオンと羊の攻防戦

「ど、どどどうかわたくしを諦めてくださいませ!」

まあ、果たしてこのやり取り何回目かしら。

私、シェル・リズベルドは今日も王女らしくなく全力疾走している。はしたないとは思うものの背に腹はかえられぬ!


シェルはアイスリズ王国の第2王女。

プラチナブロンドの波打つ髪に白い肌。ぱちっとした琥珀の瞳に長い睫毛。いつも弧を描く赤い唇。

誰が見ても美人である。

姉の第1王女シェリルも美人だが2人の印象は異なる。同じく白い肌と同じ髪色のストレートの髪、涼し気な目元できりりと引き締まった印象を与える高い鼻、どちらかと言えば愛嬌のあるシェルとは真逆のクールな美人だ。ちなみに兄もいるが2人と似ている。

そんな訳だからシェルを連日追いかけて困らせるこの男はてっきり自分ではなく姉のシェリルが好きなのだと思いこんでいた。

追いかけ回してシェルを困らせるのは隣国の王太子ウォル・フロンド。

誰もが憧れる見目麗しい王太子で人気がある。

輝くブロンドにグレーの瞳が魅力的でうっかりすると瞬く間に吸い込まれてしまいそうだ。

歳がシェルよりシェリルと近い故に姉と仲のいい姿から貴族の間では姉と婚約間近だと言われていたのにまさかシェルに婚約話を持ちかけてくるなんて。人生何があるか分からないなぁなんて思考が疲れてシェルはついに修道院の門を叩いて悟りを開きそうだ。


普通みんなが憧れる王太子に求婚されたら喜ぶのだがシェルは諦めてくれと再三申し上げている。

なぜなら王太子妃にでもなればシェルの趣味の時間がお妃教育になってなくなってしまうからだ。

何よりそれ以上にシェルにはウォルに知られたくない秘密がある。

シェルの趣味こそ周りのごく近しい人間しか知らないが胸を張って言えるとは言えない。

なぜなら国内や他国から訪れる貴族の美男子たち、王子たちを観察して想像を膨らませ物語を書いてロマンス小説の覆面作家して王国内で大活躍中だからだ。

侍女たちからお願いだからやめてくださいと言われても勝手に続けている。しかも貴族だけでなく平民までもその小説は大人気でシェルは少々鼻が高い。

もちろん本が売れた収入は全額寄付している。

しかしここで問題なのはそのモデルの中にウォルがガッツリいるということだ。

なんならモデルとしての登場頻度はダントツ1位である。だいたい彼が登場する小説は彼がモデルになったキャラクターが主人公だ。そして売上が1番だ···。

だってこんなに整った顔のお方滅多にお目にかかれないんだもの。

そうやってシェルは心の中で言い訳をする。

なのでシェルとしてはぜっっったいに知られたくない。

自分の趣味が悪いなんて思わないし人々が喜んで楽しんでくれるのだから嬉しい。王国のそれぞれの立場も身分もありつつも少しでも辛い現実から逃れられる時間を提供できるのならば嬉しいのだ。

だけどモデルにしてしまいましたなんて恥ずかしくて言えないしそれが後の夫ともなれば後世まで語り継がれるある意味伝説である。

他国に嫁いだら覆面作家の正体も狭い貴族社会では時間を置かずに分かってしまうし他国では活動出来ない。そうなるとシェルの穏やかな趣味ライフはきっと来世までおさらばである。

彼のことは嫌いじゃないしむしろ昔から憧れていたけれどさすがに無理だ。完璧すぎる王太子の隣に並ぶ度赤面するのにどうして妻になれようか。

しかも政略結婚ならまだしも完全恋愛結婚としてのお申し込みなので超絶断りにくい。

なのでシェルは連日身を隠しては追いかけてくるウォルに見つかる度に理由をぼかしてとりあえず私は王太子妃には相応しくないと説得に力を入れていた。


一方シェルを困らせている張本人ウォルは釈然としない。

この滞在期間中に絶対にシェルに求婚すると決めてやって来た。シェルはウォルの初恋だ。

長引いてめちゃくちゃ拗らせていると身内では超有名な話だが仕方あるまい。

シェルを諦められないのだ。

うっかりしている間に誰かに取られてたまるか!

しかしシェルは頑なに「諦めてくださいませ!」と言っては逃げていく。しかし詰めが甘くドレスとヒールで走るから転んだり階段から落っこちそうになって何度ウォルが命を救ったか分からない。

肝を冷やすこちらの事も考えて欲しい。

逃げられるのはまだいいが目の前で怪我させてしまったり命の危険を見せつけられると思うと非常にひやひやする。

しかもシェルからウォルに対する嫌悪は感じない。むしろ定期的に顔が赤くなって照れて逃げていく。

多分シェルにも何か思うところがあるのだろうと思いつつシェルと絶対結婚したいウォルは連日シェルを追いかけ回している。


そんな攻防戦がそろそろ終焉を迎える。

元々のウォルの滞在期間は2週間あまり。その間の猛アタックに屈せずその美しい顔に流されず耐え抜いた自分をシェルは心から褒めてあげたい。

しかし最終日が近づくにつれてウォルも全力で挑んでくる。

シェルも残り3日のうち2日は何とか誤魔化して逃げ出したものの最終日にウォルに捕まってしまった。

シェルは引き留められた時点で赤くなりその後どう誤魔化そうかと今度は顔が真っ青になる。

そこでウォルが口を開いた。

「シェルはそんなに俺のことが嫌いなのか?」

その一言は強烈な威力を発した。

目の前でしゅんとされるその顔にシェルは非常に弱くつい本音を言ってしまう。

「嫌ではございませんわ、ただ···」

ついそこまで言いかけたシェルにウォルは追い打ちをかける。

「ただ?」

小首を傾げてシェルを覗き込むその仕草が非常にずるい!背丈があるウォルに覗き込まれるのはめちゃくちゃに心臓に悪い。

シェルはもう嫌われてでもこの話をなかったことにしようと思った。きっと騙し続けられないしウォルに少なからず好意があるのに誤魔化し続けるのは不誠実だと今更ながら思う。

そして瞳をぎゅっと瞑ってえい!とばかりに打ち明けた。

「わたくし!実はウォル王太子殿下や他の貴族の子息たちをモデルにして小説を書いて覆面作家として活動しているのですわ!恥ずかしくて言いたくありませんでしたが!どうですか!?それでもこんな夢見がちな世間知らずの娘を妻にしたいとここまで打ち明けてもお考えになりますか!?」

シェルの渾身の振られるための一言である。

しばし沈黙が続いたまま恥ずかしくて恥ずかしくてシェルは黙り込んだままのウォルが言葉を発するのを待った。

きっと軽蔑される。だって勝手に妄想して小説のモデルにしたんだもの。でも仕方ない。

シェルは嫌われたくないけれどウォルにこの先妻となった後に失望されるより幾分かマシだと思っていた。

すると考え込むようにしていたウォルから予想外の言葉が飛び出す。

「あー!思い出した!あの小説か!へぇ、あれシェルが書いていたのか。アンナが毎回楽しみにしていて興味本位で俺も読んだけど面白かった。いやぁまさか俺もモデルだとは思わなかった!」

「はい?」

見開くシェルの口から自然に言葉がこぼれ落ちる。

ちなみにアンナというのはウォルの妹君なのだが···待って?私の小説、隣国にまで渡っちゃってるの?

国境超えちゃってるの?作者も知らない間に?

しかも読んだの?それをモデルの張本人が!?

シェルの頭は動転して目の前をぐるぐると星が回る。

「なぁんだ、そんなこと気にしてたのか。それなら問題ない!だって面白かったしシェルが俺のことどう思ってるかっていうのがあれに少しは書いてあるんだろ?」

そう言われて気が動転しててもシェルは心の中を見透かされるように感じてぶわっと赤面する。

そしてシェルが心ここに在らず魂が抜けたままにウォルに跪かれて手の甲にキスをされる。

「シェル・リズベルド王女。私と婚姻してくださいませんか?」

いつの間にか話は流れるように進む。その一連の流れにぼやっとしていたシェルはこちらを見上げるウォルの神秘的な美しさのグレーの瞳に見惚れてしまって半ば呆けたままつい答えてしまった。


「あ···はい···」

結果2週間頑張り続けたシェルの努力は一瞬で水の泡になりうっかり流された。

そのなんとも気の抜けた返事から婚約話はあれよあれよと進んでいく。

しかしまたしてもシェルとウォルの攻防戦は続いていた。

だが今回はシェルがウォルから逃げ回る攻防戦ではなくウォルからの婚約者への甘い甘〜いお姫様扱いに照れて耐えられず逃げるシェルと大好きなシェルを思う存分甘やかしたいウォルの攻防戦である。

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