第177話 選択
正直、アイザックの姿を模した眷属から逃げられるとは思ってない。運がよくても一秒、生きられれば御の字と行ったところだろう。
そう思って逃げの一歩を踏み出した。全力全開、踏み込みで足が砕ける程の加速が、この身を遥か遠くまで押し出しーー
『■■■!!』
平然と俺に追い付いてきた漆黒の騎士が、長大なる剣を上段から振り下ろす。その速度、タイミング、俺の体勢。あらゆる要素を加味して、それが避けられない一撃だと悟る。
今この一撃を視認できているのは、死の間際で間延びした体感時間の中にいるから。本来は目で追えない速度域なのだから、体が動かないのは道理だろう。
今の俺が本気を出してもこの程度か……
フランネルとヴァーゼルが瞬殺された時点で分かり切っていた事実、圧倒的な殺意を伴った斬撃が、死が、迫るーーーーーー
◯◯◯
ーーーーーー
気付けば一面暗闇の世界にいた。地平の果てまで伸びる虚無。そして目の前には巨大な扉と、その前に立つくたびれた様子の青年が一人。
「死んだと思ったかい?」
青年が語り掛けてくる。その一言で、俺の状況を向こうが把握していると理解した。
「前から少しだけ気になってたんですけど、俺はここに来る方法を知りません。連れて来てるとしたらあなたですよね?」
「まあそうだね。君が有資格者だから呼び出せるっていうのはあるけど」
「……俺になにをさせたいんですか」
「賢い人との会話は楽でいいよね。無駄な過程や説明を省けるからさ。凡人じゃこの少ない問答だけで、僕が君に何かを求めてる事を察せられないだろうし」
「……答えになってません」
「まあまあ焦らないでよ。ここは特殊な場所でね。ここでどれだけ過ごしても、向こうじゃ一秒も経ちやしないんだ」
一般的な法則からは隔絶された世界ってことか。そんな場所にいるこいつは、好き好んでここにいるのか、それとも縛られているのだろうか。
「ま、そうは言っても、もったいぶった話は君が好きじゃなさそうだし、早速本題に入ろうか」
「本題……」
「そう。結論から言うと、僕は君に力を与えようと思ってる」
青年は人好きのする笑みを浮かべてそう言った。けど、見た目通りの好意だとは思えない。なぜならーー
「タダじゃない力ですよね。力に縋らざるを得ない状況で呼び出すんですから、普段なら絶対に断る内容ですか」
「随分と用心深いんだね。うん、その癖はニコラスとよく似てる」
ニコラス。ノルウィンの父である男の名を口にした瞬間、青年の顔が憎悪に歪む。
一体どれほどの恨みを込めればそうなるのか。悲劇で溢れるこの世界ですら、まだ俺が見たことのなかったレベルの憎しみを感じる。
俺を呼ぶのは復讐? ニコラスに連なるノルウィンを殺すのが目的か? ただ、それにしては回りくどい気がする。
「俺をどうこうしたところで、父上に被害が及ぶとは思えませんよ。身内の情があるかも曖昧ですし」
「あっはっは! 嘘はやめておきなよ。君を取り巻く環境、どう考えても特別扱いだろう? それに君だって理解しているはずだ。ニコラスは君に何かをしている。そしてその何かがとてつもなく大きなものであるってね。君は異質な存在だよ」
「それ、は……」
確かにそうだ。ニコラスが、敵ではあるがアルジャーノが、このノルウィンという人間の成長を望んでいる。そのための舞台を整えてくれている。
もしかしたら転生だって仕組まれたものかもしれない。そんな仮定すら行き過ぎた話ではないと思えるほどに、過剰に介入されている。
「だから僕は、あいつの計画を崩してやろうと思ってね。力の代償はそれだと思ってくれればいい。さあどうする?何も受け取らずにここを出て殺されるか、それとも九死に一生を得るか」
九死に一生を得るか……。
ん。
え?
は?
一瞬そのまま飲み込みかけたその言葉が、猛烈な違和感となって脳裏に蘇る。
「今、あんた、ことわざっ」
「ああ、それね。そうだね。ことわざだね。ニホン、って言うんだっけ?僕はあんまり詳しくないけど」
「なんでお前が日本を知ってる!?」
「へぇ。そうか。そういうことか。ニコラスのやつ、初代の血で器を満たしたな?」
初代? 器? こいつは何を言ってるんだ。俺はただの日本人で、ノルウィンはーー。
ノルウィンは、ニコラスが用意した何だ?
「あんたは、何をどこまで知ってるんだ?」
「さあね。まあ、長生きな分色々と知っているよ。語り継がれる歴史も、継がれなかった歴史もね」
「教える気はないと」
「まあね。ただ、力を得れば真実には近付ける」
正直知りたい。けれど、それを得た事でクレセンシアに害が及ぶ可能性もある。
俺はどちらを取ればいいのだろう。今死ぬか、未来への不安と恐怖を抱えるのか。
こいつは、いや、ニコラス達も含めてこいつらか。こいつらは、俺が知るゲーム知識の外側にいる存在だ。
こいつらが及ぼす影響は計り知れない。軽々しく力を受け取って、もしクレセンシアが死んでしまったら、それこそ本末転倒じゃないか。
だったら俺が一人死ぬほうがマシだ。
けど、俺が死ねばクレセンシアの味方がいなくなるのも事実。きっとその後は死が待っているだろう。
引くも地獄、進むも地獄。
「悩んでるねえ。どうする?僕は君の気が済むまで待つけど」
「俺はーー」
俺が選び取ったのはーー
選択の後、またしても周囲の景色が切り替わった。
「あんた、誰だ」
今の今までいた別世界とも現実とも違うどこかの地平。そこに立つ俺は銀髪の少女と向き合っていた。
真白の肌、夜空に輝く月のような長髪、そして見る者の心を惹き付けて止まない美しい相貌。
夜の気配が周囲に漂う。まるで月のような少女だ。
『……』
無表情、どころか意識があるのかも定かではない虚ろな瞳。こちらを向いてはいるが、少女と意思疎通が出来ているとは思えない。
その不気味さもまた恐ろしく、美しい。
「さっき力をくれてやるって言われた。あんたがくれるのか?」
『……』
またしても無。こちらに向いているように見える視線は僅かに俺の目から逸れており、そこから微動だにしない。多分、意識はない。
緊張が高まる。気付けば呼吸と瞬きを忘れていた。それを思い出した途端、異様に目が乾いた気がしてまぶたを閉じーー
次に開いた時、少女が目の前にいた。
「ッ!?」
咄嗟に後退しようと力ませた足を踏み付ける少女の足。これで逃げる術を失った。次に魔術を放とうと高めた魔力は、謎の力で掻き消された。これで抵抗の術も失った。
少女の顔が近付く。作り物のような、否、作り物すら凌駕した完璧な美貌が間近に迫る。
純白の両手が俺の頭を両側から包み込みーー
『次は、あなたの番』
毒素を含む粘着質な声が、耳の奥に強く響いた。
◯
『■■■ッ!!』
眼前に迫る漆黒の大剣。それを振りかざす眷属の雄叫びを聞いて、ようやく俺は現実に戻ってきたことを悟った。
死を纏う圧倒的質量。既に振り抜かれたそれは、最早回避不可能な距離まで迫っていた。恐らくシュナイゼル並の身体能力でも避ける事はできないはず。
だというのに俺の身体は勝手に動き出す。
まず体内で魔力を練り上げ、俺が知らないはずの魔術を行使した。
魔術発動直後、世界から音が消えた。景色の色が薄まった。そして粉砕された破片が空中で止まり、俺に向かう漆黒の刃がその速度を落としたのを見て、コレが時間に干渉する類の魔術だと推測する。
こんなものはゲームには登場しなかったーー
などと考えながら、次に俺は一歩前へと踏み込んでいた。魔術によって遅くなった世界、水中を切るように速度が鈍った剣をゆらりと躱し、一歩、強烈に地面を踏み抜く。
その踏み込みは前に進むためのものではなかった。作用と反作用。押し込む力に対する反発を、完璧な身体操作によって発散させること無く吸収し、振り被る剣に乗せる。
(なんだよ、これ)
剣の才能とか、恵まれた体格とか、そんな次元の話ではない。俺が今行使している一撃は、もっと深く、ゆえにより高難度で、だからこそ正しく扱えば、
『■■■ッ!!?』
想像を絶する効果を生む。
アイザックを模した眷属の甲冑が激しい音を立てて砕け散った。この貧弱な身から出力した攻撃が通じているのだ。
嬉しいけど嬉しくない。
俺が武を学ぶのはクレセンシアを守るためだ。これはあくまでも守るための手段。それが目的にすげ変わることはない。
しかし、こっちに来てからほぼ毎日磨き続けてきた武に、愛着を感じていたのもまた事実。努力で不可能を可能にしていく日々は楽しかった。
それが急に与えられたモノで塗り替えられるのはとてつもない不快感を覚える。いや、不快なだけならまだマシだろう。あの青年は確実に俺の身体に細工を施したのだから。
ーーこれから俺はどうなってしまうのだろう。
漠然とした恐怖が全身を満たす。
まあでも、今はそれを考える暇はないか。
『■■■ッ!!』
まずは目の前の脅威から生き延びなければならない。
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