第161話 迫る絶望

 巨大な軍馬に跨がるアイザックが猛然と距離を詰めてくる。部下を置き去りにする勢いからは、単騎でこちらを壊滅出来るという自信が感じられた。


「反転するぞ」


 オブライエンの指示を受けると、部下は巧みな手綱捌きで馬を反転させて勢い良く駆け出した。


 そちらは元々逃げてきた方、つまり無数の敵兵でごった返しているのだが、それでもアイザック一人と戦うよりはまだ生存率が高いだろう。

 まるで馬鹿げた話だがそれが最善。この世界の強者は天井知らずに強いのだ。


「ウェールズは衝突直前で右に逸らせ。メイザーは直進、ギリギリまで引き付けよ。それから―――」


 アイザックから逃げた先で、千はあろうかという軍勢との距離が縮まっていく。そして後方からはアイザックが、俺たちより速く地を駆け間合いを詰めてくる。


 進むも地獄戻るも地獄。しかし止まってなどいられない。


 そんな最悪な状況を打開すべく、オブライエンは裂帛の気合いを叫びに乗せて、僅か数十の騎馬隊で軍勢に突撃を仕掛けた。


「今だッ!!」


 軍勢と衝突した瞬間、俺たちの中で最も巨大な軍馬に跨がるウェールズという男が、敵の最前列を受け止め、巧みな剣捌きで右に押し流した。


 すると最も勢い付いていた敵軍右舷が渋滞を起こし、玉突き事故のように前後が衝突して何十人と倒れ込んだ。


 彼らは剣や鎧で装備した者たちだ。起き上がるのにも時間が掛かるだろう。


 その横では俺を乗せたメイザーをはじめとする騎馬兵が、蓄えた走力を殺さずそのまま敵兵を轢き潰していた。


 騎馬隊の破壊力とメイザー達の卓越した剣捌きが敵の陣形に穴を穿ち、そこを俺の魔術で掻き乱すことによって瓦解させる。


 そうして生み出した隙間に―――


「突撃!!」


 オブライエンは再度突撃を命じた。


 穴を穿ったとはいえ、進む先は数百人がひしめく人々の壁。彼らが俺たちに向ける濃密な殺気は死を覚悟するには十分すぎる程で、されど後方からはそれ以上に絶望的な戦意が近付いてくる。


 だから俺たちが地獄へ突き進むのに躊躇はなかった。


「行くぞお前ら!!閣下のため、道を抉じ開けろ!!」


 先に穴を穿ったメイザー等を先頭にして、騎馬隊が突っ込む。


 前と左右から絶え間なく剣が、槍が、人の手が伸びてくる。それらに絡め取られれば、俺たちは軍馬から引き摺り下ろされて殺されてしまうだろう。


「続けええ!俺に続けエエエ!!!」


 片手で手綱を捌き、もう片方の手で自分と軍馬を狙った攻撃を弾きながら、メイザーは突撃の勢いが止まらないよう前へ進んでいく。


 進むしかないのだ。殺されたら終わり、止まっても終わり、迷うなんてもっての他。


 だから俺も―――


「メイザーさん、ちょっと離れます」


 風属性魔術でその場から浮くと、メイザーは視線を戦場に向けたまま声だけを寄越してくる。


「どこへ行くつもりだ!?戻れ!」


「いえ、魔術師は敵の注目を集めるでしょう。少し暴れてきます。この軍勢を抜けた先で合流しましょう。止めても俺は行きますよ」


「―――ッ。分かった、死ぬなよ!」


「はい!メイザーさんこそご武運を!」


 それを別れ台詞として俺は高く宙を舞った。なるべく目立つように風を起こし、執拗に旋回して、そうして視線を集めて―――


 溜めていた魔力を眼下、軍隊が密集した地点へと解き放つ。


 発動させるのは火属性第五階梯魔術、《ヘルフレア》。かつて裏社会の動乱で、邪教団幹部であるカサンドラにも用いた魔術だ。


 あの時はまだ実力が足りずブラフとするのが精一杯だったが、今は違う。


 迸る魔力に文字通りの殺意を込めて、俺は手のひらから極大の火炎を放出した。


 火炎放射器の威力を数十倍にしたような獄炎が瞬く間に地面を覆う。獄炎は断末魔すら遮る爆音を奏で、一切合切を飲み込んで大きく舞い上がる。


 影のように見える黒いシルエットが次々に倒れていく。一人、二人、数えるのも億劫な人数が死んでいく。


 それを見る度に綺麗な思い出が醜く塗り潰されるような気がした。


 戦場に出て二年は経った。もう人を殺すことにもある程度は慣れてしまった。だけど、クレセンシアの笑顔と、サラスヴァティやルーシー、ミーシャの笑顔が交互にちらついて、俺はどれを取ればいいのかが分からなくなってきて―――


「ッうぉ!?」


 背後から風を割いて迫る真空の刃が俺の思考を打ち消した。


 慌ててその場から飛び退いて周囲を見渡すと、敵軍の中にこちらを見上げる魔術師がいた。


 メイザー達からの横の視線では捉えられずとも、上から見下ろせば全てが分かる。


 素早く反応して俺を攻撃してきた判断力、そして先程の優れた魔術師といい、あの魔術師はここで殺っておくべきか。


 俺は無差別に炎を射出しながら魔術師の方へ飛んだ。


 時折反撃の魔術が飛んでくるが、かわすか迎撃するかで無力化して目的へと一直線で迫る。


 手元には分かりやすく《ヘルフレア》の魔方陣を見せびらかしておいて―――


「さっきの魔術が来るぞ!水属性で備えろ!!」


 彼と、彼の部下であろう魔術師たちが律儀に水属性魔術を唱え始めたところで、俺は手のひらの魔方陣をゴミ同然に握り潰した。


 魔方陣を演出するだけなら、光属性魔術で描いてやればいい。


 もう何年前の話か。エンデンバーグ家の別館に幽閉されていた頃、ミーシャから『魔方陣とは違う魔術を使えたら凄いですね』みたいなことを言われてから習得を目指した技能だ。


 だから本物はこっち、既に無詠唱で発動待機状態にしていた、ハイアンオリジナルの雷の魔術。


「落ちろォ!!」


 全身から全力で魔力を解き放ち、敵の密集地に落雷を撃ち込んだ。


 一撃、目当ての魔術師が俊敏にその場を飛び退き、彼の周囲にいた者たちが焼け焦げて倒れ伏す。


 二撃、目標の逃げ道を予測してそれを塞ぐように落雷を落とし、逃げ足を止める。ついでに撃ち込んだ周囲の敵を殺す。


 そして止めの三撃。


「あ、がっ」


 悲鳴を上げる間も無く、稲妻の直撃を受けた魔術師が即死した。


 これで少しはオブライエンたちがやりやすくなっただろうか。


 周囲を警戒しつつ視線を戻してみると、彼らはメイザーを先頭に敵陣の中を切り開いていた。


 俺が飛び立った時より人数が減っているが、まだ全滅する雰囲気はない。あれなら平気だろう。


 彼らの進行方向の先に数発の魔術を撃ち込んで混乱させてから、俺は特大の戦意が迫り来る後方へと視線を向けた。


 猛烈な勢いでこちらに駆けてくるアイザック。敵を殺しつつ逃げる俺たちと、ただ進むだけの彼とでは速度が違いすぎる。


 このままでは幾ばくの猶予もなく追い付かれてしまうだろう。


 無論、あのオブライエンがただで追い付かれるような男だとは思わない。きっとこの状況にもなにか種を仕込んでいるはずだ。


 それでも不安が残る。


「今、俺は何をするべきか」


 オブライエンの策を邪魔せず、アイザックの足を止める。


 俺目掛けて放たれた魔術から敵の位置を逆算して敵魔術師を排除し、ついでに暴れ回りながらひたすら思考を回す。


 しかし良い案は思い浮かばず、そうこうしている内に―――


「妙なガキだなァ、ここで殺しておくか?」


 本気のシュナイゼルを彷彿とさせる絶望的な存在感が、俺の反抗心を木っ端微塵に打ち砕いた。


 これは、これはだけは、まだ駄目だ。


 魔術の腕を磨いたとか、そういう次元の話じゃない。


 俺じゃまだ敵わない。絶対に殺される。


 猛然と迫るアイザックの間合いに入る前に、俺は全力でその場から避難した。


 そろそろ騎馬隊が敵陣を抜ける頃だろう。一先ずはオブライエンと合流するのだ。






―――――――――――――――

ちなみに魔術で圧倒していますが、現状ノルウィンが武力のみで敵と戦うのはほぼ無理です。


敵は体格に勝る大人でなおかつ練兵ですからね。それでも1対1なら勝ち目もありますが(それですら一般的にはおかしい)、集団戦となったらノルウィンが得意とする小細工は通用しないのです。フェイントで目の前の数人を騙しても別の角度から槍を放たれたらきついって具合で。


単純なスペックの差に負けます。まあ死なない程度に頑張ることは出来るでしょう。はやく成長しないかなって感じです。

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