第157話 混戦必至
両陣営の指揮官の行動は、面白いくらいに対照的だった。
オブライエンは部隊の中枢まで戻ると、そこから全体へ向けて指示を出し始める。
アイザックは巨大な軍馬に跨がると、自ら軍勢の最前線に立って全体を率いる。
冷たさ、熱情、戦意、殺意。多くの感情が複雑に混ざり合い、そして―――戦争が始まった。
メルトール王国の陣形は広大な平野を用いた横陣。横に幅広く展開するそれは、縦陣とは異なり一度に多くの兵が交戦出来る攻撃的な型である。
約八〇〇〇〇という人数に物を言わせ、とにかく広く、そして分厚い軍勢が迫ってくる。しかもその先頭をアイザック率いる騎馬隊が走っているからか、全体の指揮が異様に高い。
迫り来る軍勢を前に、俺はふと地球にいた頃に見たアメリカの大規模な森林火災を思い出した。あの時ネットで見た映像ではとんでもない大きさの煙が立ち昇っていたが―――
メルトール王国軍が巻き上げる砂煙は、記憶にあるそれよりも遥かに大きく、激しい。
メルトール王国軍が接近するにつれて、息が詰まるような圧迫感が増していく。さっきまで意気揚々と剣を掲げていた最前列の兵士たちも威勢がなくなっていた。
そうして、
「ハァッ!!!」
衝突。
同じく横陣を選択したアルカディア王国軍と、メルトール王国軍がとうとうぶつかり合った。
剣を打ち合わせた金属音、怒号、断末魔。
鼓膜を引きちぎってその奥を直接殴り付けるような轟音が平野に響き渡る。
後方からその様子を見守る俺たちは、言葉を失っていた。
これまで多くの戦場を見てきたが、これは、これだけは経験がない。
一秒、二秒、とてつもないペースで大量の命が消費されていく光景は、地獄そのものだろう。
そしてそんな地獄の中で、一際存在感を放つ男がいた。
「どうしたどうした!?俺様はここだぞォ!!ここに大将首があるぞォ!!」
戦場の中心で血潮が吹き荒れる。
アイザックが見上げるばかりに巨大な大剣を振るう度に、アルカディア兵が千切れ飛び、あるいは砕け散り、殺された人数分だけ容易く戦線に穴が空いていた。
アイザックは空いた穴を抉じ開けるようにさらに一歩踏み込んで来る。
あり得ない。この集団での混戦では、前後左右敵味方の判別すら難しいだろうに。
それなのに、敵のただ中に突っ込んでくる馬鹿がいるか?
あそこに、いる。
並みの実力者なら数の暴力に磨り潰されて終わりだろう。穴を抉じ開けるために踏み込む、それは自ら包囲網に飛び込むに等しいのだから。
しかしアイザックは並ではない。
シュナイゼルを知る俺が、心の底から恐れるほどの相手だ。
「ハッハッハ!温いぞ温いぞ!!俺を止めてみんか!?」
誰もアイザックを止められない。密集した陣形の中を、まるで無人の野を行くかのような手応えで、奴はこちらへと踏み込んで来る。
そしてそんなアイザックが作り出した流れに乗って、他の者達も勢いを増していく。
「ふん。アルカディアもこの程度か。他愛もない」
恐らくアイザックの副官であろう長身の男が右翼の戦線を押し崩し―――
「ふ、くく。殺せ。殺せ。殺せ!」
黒い仮面を装着した男に率いられた部隊が、左翼の戦線を抉じ開けていく。
アイザックに好き放題された結果がこれ。
不味い、不味いぞ。シュナイゼルを見ているからよく分かるが、アイザックに戦術は通用しない。
理不尽な『個』は、弱者の集団である軍勢なんて簡単に消し飛ばしてくる。
でもこの流れを断ち切らないと、即座に詰みまで持っていかれる。このままでは負ける。
「まだ慌てる時ではない」
オブライエンの声が冷たく全体に響き渡る。彼は両手のサインで部下に指示を飛ばしていた。
その指示はサインを通じて別の部下へ伝わり、それがさらに別の部下に、まるで伝言ゲームのように伝達されていく。
そうして即座に末端の部隊まで指示が届くと、陣形が唐突に変わり始めた。
メルトール王国軍と向かい合うような横陣だったのが、あり得ないほどの速さと正確さで左右に分かれる。
「なん、だと?オブライエン、自ら死地を切り開くとは。罠か?いや、何であれ構わん」
割れた左右の間、無人と化した中央に残されたアイザックは、そこから一直線に伸びるオブライエンへと続く道のりを見て目を見開いたようだった。
僅かの静止。しかし迷いは一瞬のようで、直後には進撃を再開する。
「すげぇ、上手いわ」
今の戦場を見ていた俺は、思わずそんな言葉を漏らしていた。
左右に分かれた軍は、それぞれアイザックの副官と黒い仮面が率いる軍勢を押し留めており、さらに他の部隊の足止めまで完璧にこなしている。
彼らはアイザックの後続。それらを一挙に失ったアイザックは、広い戦線で孤立することになる。
そうしてアイザックだけを浮かして、オブライエンは戦争を再開して見せた。
当然、相手はアイザックを活かすために陣形を変えてくるが、オブライエンは相手の動きから次の陣形を先回りして完成させ、完全に行く手を塞いでいる。
上手い。あり得ないほど上手い。
アイザックが理不尽な存在なら、端から相手にしなければいい。アイザックという駒をこの戦場で浮かし、それ以外を削っていく作戦のようだ。
オブライエンの盾として機能するべき軍勢まで左右に振り分けてしまったせいで、こちらは総大将が一時的に無防備になってしまったわけだが、この状況でアイザックは攻め込めないはず。
こちらにシュナイゼルが控えている以上、あちらは強い駒を大胆には使えないのだから。
それが普通なのだが―――
「ハハ!全て読めているぞ!オブライエン!そうして時間を稼ぐ魂胆であろう!?」
ここでも、アイザックは普通を越えていた。
罠である可能性を十分に考慮した上で、なんとオブライエン目掛けて突撃を開始したのだ。
まあ、理屈は分からないでもない。
俺たちが勝つには本国からの増援が必須。その時間を稼ぐために、こうしてアイザックに二の足を踏ませようとしていると、向こうは考えたのだろう。
―――だけど、普通じゃないのは、狂っているのは、何もアイザックだけではない。
オブライエンは増援を待つなんて手段は絶対に取らない。
「脳筋の馬鹿が。削り取れ」
オブライエンは後退しつつ部下に指示を出した。例に漏れずこの時代の平均値を遥かに超える速さで伝達された情報は、あっという間に戦場に影響を与える。
「む、どこまでも俺とは戦わぬか」
今度は突出してきたアイザックについていた、ごく僅かの側近達。そこへ兵士を殺到させた。
流石に彼らを欠いてアイザック一人がアルカディア王国軍の中で生き延びるのは難しい。ゆえにアイザックは、部下を助けるために足を止めなければならず、その間にオブライエンは遠くまで移動を終えてしまう。
しかもオブライエンの指示で動いた兵士たちは、アイザックの接近と同時に逃走を開始していたものだから、結果的に無駄足を踏んだことになる。
「あまり先急がないで貰おうか、アイザックよ。せっかくの戦だ。もっと語り合おう」
「なら俺と切り結べよ、狸め」
「それは無理な相談だ」
一進一退。膠着状態のまま、戦争は続く。
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