第156話 開戦

 俺とドイルたち十人隊は平野を埋め尽くすアルカディア王国軍の中にいた。


 歩兵一五〇〇〇、重装歩兵三〇〇〇、騎兵一〇〇〇、魔術師一五〇、その他衛生兵など多数。総勢約二〇〇〇〇の軍勢。


「す、凄いですね」


 カイネが気圧されたように声を震わせて呟く。

 それに答えたのはドイルだった。


「少しすれば中央からの増援が来る。これからもっと増えるぞ」


「そ、そうなんですか。ちょっと想像つかない規模だなぁ。ねえ、爺や」


「我らは元々裏社会の生き物でございますから。戸惑うのも致し方ないでしょう」


 カイネの側仕えのような立ち位置である爺やは、平静を保って周囲を見渡している。彼も長らく裏社会の一員だったから、この規模での争いは未経験だろうに。それを悟らせないのは年の功か。


「隊長。無理だけは禁物だからな」


「分かってますよ、ドイルさん。死んだら元も子もないですから」


「本当かよ。死に物狂いで訓練してる隊長を見てると、勢い余って死なないか心配で仕方ないぞ」


「大丈夫ですって。死なないための訓練なんですよ?それに今はフランケルさんもヴァーゼルさんもいないんです。無茶なんて、出来るわけがありません」


 シュナイゼルの副官であるヴァーゼル。

 ハイアンの右腕であるフランケル。

 どちらも元々は俺の部隊員だが、飛び抜けた実力を持つ二人は有事の際に備えて別の場所に配置されている。


 彼らがいない状態で無茶なんて出来っこないだろう。まあそうは言っても―――


 俺たちがいるのは最後方付近で、任せられた役目は最後方の本陣にいるオブライエンたちの守護だ。


 ここまで敵軍が攻めてくる時点でほとんど負け確定だから、俺が戦う必要に駆られた時点で無茶を強要されるんだろうなぁ。


 俺と同じことを思ってか、ドイルは顔を僅かに歪めていた。


 二〇〇〇〇から成る軍勢を見れば、早々抜かれることもないと思うが、敵国が総力を挙げて攻めてくるのなら、いかにオブライエンとて防ぎ切れないかもしれない。


 それが分かる俺とドイル、爺やは険しい顔をしている。一方で戦況予測が追い付かない残りの部隊員たちは、自軍の規模に安心しきっているようであった。


 危機感は感じられず、どちらかというとまだ楽観視している雰囲気。


 しかしこちら側にあった余裕は、たった数十秒も持たずに吹き飛んだのだった。


 広大な平野の反対側。

 地平線の向こうから黒い点がポツポツと現れ始める。

 初めは気のせいかと目を疑ったが、それらは消えるどころか次第に大きくなり―――やがて点ではなく人の形を成した。


 広大な平野を横に埋め尽くす圧倒的な人数。一列、二列、終わりの見えない隊列は徐々に分厚さを増していく。


 金属を擦り合わせる音、地鳴りのような足踏み。

 間違いない。地平線を覆い尽くすようなあれはすべて、メルトール王国の軍勢だ。


「あ、え······嘘っ」


 すぐ側でカイネが呆然と声を漏らす。

 あれだけ冷静だった爺やが目を見開いて固まっている。

 ドイルが、その他の部隊員が、そして俺達の周囲にいる軍人たちが、まとめて萎縮させられていた。


 不味い。

 ただでさえ戦力差があるのに、これだけ指揮が下がったら勝てなくなる。


 一体どうすれば―――


『落ち着け』


 恐怖で乱れる心に、その声は冷たく入り込んできた。冷徹な雰囲気が俺達を飲み込み、瞬時に落ち着かせる。


『あれがメルトール王国の軍勢だ。我らの敵だ』


 最後方の本陣に控えていたはずのオブライエンが、いつの間にか立派な馬に跨がって俺達の前にいた。


 拡声器の魔道具越しに彼の声が全体に響き渡る。


『戦争を始める前に、諸君らに伝えておきたいことがある』


 俺達全員をぐるりと見回してから、オブライエンは続きを口にした。


『私は諸君らに愛国心を求めない』


 上に立つ者としてはあり得ない、あまりにも冷たく突き放すようなその言葉。


『何も国のために戦えとは思わない。家族のため、趣味のため、自分のため、惚れた女のため、あるいは醜い欲望でも復讐でさえ構わない。戦う理由は何でもいい』


 それはオブライエンにしか言えないもの。

 だからこそ重く俺達にのし掛かる。

 メルトール王国軍の重圧をはね除け、オブライエンの冷たさが、冷静さが満ちる。


『私は諸君らに無事を保証することは出来ない。皆が、皆の隣に立つ戦友が、もしかしたら私自身ですら、死ぬかもしれない。長く困難な戦いになるだろう。恐らく、かなり死ぬ』


 死ぬと言われて多くが息を飲んだ。だけどその後に放たれたオブライエンの台詞は、より強い呪縛となって俺達を縛り付けた。


『それを承知で頼みがある。皆の命を私にくれ。この都市を守るため、奴らを跳ね返すために。無力な私1人では為し得ない。皆の力が必要だ』


 酷く華奢で小さな身体には、フィジカル的な強さは全く感じられない。しかしそんな男が二〇〇〇〇の軍勢に冷静さを取り戻させ、さらには鼓舞するような雰囲気を纏っている。


 彼は身体面でも恵まれたシュナイゼルやガルディアスとは元々の土俵が違う。違うのに、大将軍を競うレベルまで上がってきた。


 その苦労が、これまでの勝利の数々が、オブライエンというただの人を圧倒的に輝かせる。


 彼の人生が彼にとてつもない引力を纏わせている。


 彼の悪行を知る俺ですら、あの非力な指揮者を支えなければという気持ちにされてしまった。


 俺ですら、そう思うのだから。


 他の者達がどう思うかなど、火を見るよりも明らかだ。


 叫ぶ者はいない。オブライエンはそういう、熱情に訴え掛けるタイプではないから。


 代わりに、皆が静かに覚悟を決めていた。


 恐怖で浮き足立った二〇〇〇〇の人の群れが、覚悟を決めた精強な軍に様変わりしていた。


『必ずやこの都市を、アルカディアを守り切ると誓おう』


 オブライエンがそう言い切った直後、少しずつ全容が見えてきた敵軍の先頭に立つ大男が、何故かこちらに手を振ってきた。


「よォ!オブライエンンンッ!!」


 耳をつんざく轟音。それが大男の叫び声だと理解するのに数瞬を要した。


『アイザックか。久しいな』


 あれが、アイザック?


 話には聞いていた。かつて全盛期のガルディアスと渡り合った、メルトール王国最強の男であると。


 まだかなり遠くでハッキリとは見えないが、明らかに二メートルを越えている長身、そして人間が二人並んでいるのかと思う程太い横幅。当然肥満ではなく鍛え抜かれたがゆえの体格だろう。


 そんなクマのような大男は、シュナイゼルが振るう物とよく似た形の大剣を背負っていた。


 武術大会で最強クラスだったリーゼロッテが巨大な戦斧を扱っていたように、シュナイゼルが人間より長大な大剣を使いこなすように。


 身体能力が突出した人間は、時にああいった不条理の塊を容易く振り回す。


 アイザックがこの戦場にまで飾りを持ってくる馬鹿だとは思えない。


 ならば彼もまた、そういうレベルの戦士なのだ。


 まだ相当距離が離れているのに、アイザックの雰囲気が平野を震わせる。味方を鼓舞し、敵を萎縮させる存在感。ああくそ、オブライエンがいなかったらとっくに戦意喪失モノだぞこれは。


 しかもなんだあれ。アイザックの隣にいる細身で長身の男も、凄まじい雰囲気を感じさせる。


 あんなのと戦うのかよ。


「オブライエンンンッ!!ガルディアスはいないのかァ!?」


 アイザックがとんでもない叫び声で疑問をぶつけてくる。それに対するオブライエンは冷静そのもの。


『さあ?どっちだと思う?私が頭か、はたまた隠れているか』


「お前がボスだなァ!!大将軍はァ!隠れる存在ではないッ!国の顔が隠れてどうする!?」


『違いない。今は私が指揮をしている』


「そうかァ!ならば降参しろ!!お前を軽く見ている訳ではないが!!お前と俺では釣り合わん!兵を無駄死にさせるぞ!!」


 ギリッ、拡声器越しに軋むような音が響く。見ればオブライエンの手がきつく握り締められていた。


 才能が足りない。運がなかった。世界に愛されていなかった。


 オブライエンのこれまでは、そういった欠けを覆すための人生だったのだろう。


 足りなくても届く。それを証明するために、俺では想像もつかない地獄を歩いてきたのだ。


 だからきっと―――


『忠告ご苦労。だがこちらに退く意思はない』


「そうかぁ!ならば戦争しかあるまい!」


 両陣営のトップの意志は完全に決裂した。


 言葉で解決しなければ後は殴り合うしかない。


 戦争が始まる。





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