第154話 戦争の足音

 合同訓練を実施してからさらに一週間ほどが経過した日の朝、俺は異様な感覚に襲われて目が覚めた。


「ハァ、ハァ、なんだこれ」


 息苦しいほどの重圧感と恐怖心が膨れ上がる。

 胸を強く押さえても激しい動悸は鳴り止まず、ビッショリと汗に濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い。


 なんだなんだなんだなんだ?


 全身にまとわりつく異質な雰囲気は弱まることなく、むしろ徐々に強くなっているようにも感じる。


 マジでなんなんだ?


 一瞬遅れて隣で目を覚ましたミーシャも不安そうに視線を彷徨わせている。


 どうやら俺一人だけが感じている訳じゃないらしい。


 アルジャーノが何か仕掛けてきたのだろうか。

 どうする?このまま待機するべきか、あるいはシュナイゼル等と合流するべきか―――


「わっ」


 浮わついた頭で必死に思考を巡らせていると、不意に全身を柔らかい感触に包まれる。


「ノル、大丈夫ですからね」


 ミーシャが横から俺を包容していた。


 まるで小さな子供をあやすように頭まで撫でられている。大人として、俺の保護者として、非力な彼女なりに助けようとしてくれているのだ。


 触れ合う肌は僅かに震えていて、ミーシャも怖がっているのが分かる。それでも俺を優先してくれるような子を仲間に出来て、本当に俺は恵まれてるよな。


 こんな時こそ俺がしっかりしなければ。


 ミーシャのおかげで落ち着いた頭で、もう一度冷静に思考を巡らせる。すると少しずつ状況が理解できてきた。


(まじ、かよ)


 あまりに強過ぎる重圧感で感覚が麻痺していたが、この雰囲気と似たものを俺は肌で感じたことがある。


 それも一度や二度ではない。最早慣れ親しんだといっても過言ではないこれは、間違いなく戦場でのみ感じる緊張感だ。


 今この場所が戦場の雰囲気を漂わせる理由なんて、一つしかないだろう。


 まさか、メルトールが進軍を始めたのか?


 戦争が始まったにしては静かすぎるから、今すぐにどうという訳ではなさそうだ。しかしもう猶予がないのだとしたら―――


 そこまで思考を働かせたあたりで、扉が強くノックされた。


「隊長!起きろ!!」


 続けて扉越しにドイルの叫び声が響く。


 俺は抱き締められた体勢のまま、思わずミーシャと視線を合わせた。


 強烈なノックとこちらを叩き起こすような声量は、何か尋常ならざる事態が発生した事の証左だ。


 ミーシャの俺を抱く力が強くなる。それはきっと、何も起きないで欲しいという切なる願いの表れで。争いへ向かうかもしれない俺を止めようとしてくれているのだ。


 だけど、現実はどこまでも非情だった。


「メルトールが軍を興したってよ!」


 ミーシャの瞳が大きく揺れた。


「ノル」


「―――ごめんなさい、ミーシャさん」


 俺だって、出来ればずっとミーシャに抱き締められていたいし、辛いことなんかしたくはない。


 戦争なんてもっての他だ。殺すのも、殺されるのも、御免なのだ。


 だけどクレセンシアを助けるために必要ならやるしかない。

 俺の力をつけ、名声を高め、近い将来で大きな権力を得るためには、これしかないのだから。


 ミーシャの身体から離れ、俺は一人で立ち上がった。すがり付くように腕が伸びてくるがそれも突き放す。


「ドイルさん、シュナイゼルさんは何か言ってましたか?」


「臨時の総司令部が外壁近くの建物に作られるから、準備できたらそこに来いって」


「分かりました。すぐに向かいます」


「おう。俺は他の部隊員起こして来るから、一時間後に外の庭で集合でいいか?」


「それなら俺も一緒に行きます!」


「あ?別にいいって」


「いえ、ドイルさんに色々と任せきりは不味いと思いますので」


 この間、部隊員と親しくなろうと決めたばかりなのだ。それが戦争直前というのも不味いが、だからこそ少しでも距離を縮めておくのは悪くないはず。


「あ、でも着替えとかで数分かかるので、それが遅いようでしたら先に行ってても大丈夫です」


「そんくらいなら平気だろ。じゃ、5分だけここで待つぞ」


 そう言ったドイルの気配が扉の前で止まった。


 俺は早速支度を始めようとして―――


「ノル」


「あ」


 振り返ると、俺の着替えや槍などを抱えたミーシャが立っていた。


 ドイルが短いやり取りをしている間に、俺が必要な物を見繕ってくれていたのだろう。


 あそこまで反対していたのに、それでも俺の希望を優先してくれるつもりなのだ。ミーシャは。


「私は止めません。それがノルと交わした約束ですから。私はノルの帰りをここで待ってます」


 かつてない戦争の気配をミーシャだって感じたはず。きっと次に待ち受けている試練はこれまでの非ではないのだろう。それもわかっているはず。


「だから、もし本当に危ない状況になったら、絶対に逃げて下さい。死んじゃダメですよ?」


 わかった上で、こうして俺を行かせてくれる。ただ待つしか出来ない彼女の心境は、俺の理解を越えている。どれだけ辛く苦しいのだろう。


「はい。ミーシャさん、ありがとうございます。死なずに戻ってきますから」


「本当ですよ?」


「はい」


「本当に、本当ですよ?」


「······はい」


 ありがとうございます。

 そして本当にごめんなさい。


 俺はミーシャから支度を受け取って、戦争へ向かう準備に取り掛かった。


 ―――絶対に失敗は許されない多くを賭けた戦争が始まろうとしていた。

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