第7話 選択

 ノルウィンに憑依してから3か月が経過し、この世界にもだいぶ慣れてきた。

 アルクエの舞台であるアルカディア王国の文字を覚え、一般常識や貴族的な教養も身に着けたと思う。

 まあ、軟禁生活は変わらないため、それを活かす機会はないのだが。

 何故ノルウィンが冷遇されるのかは未だに分からず、もうしばらくはこの軟禁生活が続くと思われる。



 魔術教本を前に、俺は難しい顔をしていた。

「どうされたのですか?」

 隣に座るミーシャが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 なんというか近い。まあ、十六歳のミーシャが俺を性的な意味で警戒するはずもない。

 きっと、年の離れた弟を見るような気分なんだろう。

「いや、この本の内容は全て覚えてしまったんですよ」

「凄いじゃないですか!良いことだと思いますよ?」

 ニコニコ笑うミーシャに頭を撫でられ、ついでに横から抱き締められ、俺は複雑な心境になる。

 親代わり、のつもりなんだろうなぁ······。

 にーちゃんは母性より興奮を覚えそうだから止めてくれや。

「これ以上難しい本は無いんですよね?」

「はい。正確にはあるにはあるのですが、第三階梯以上の魔術教本は貸し出しに特別な許可が必要になります」

 ここは、ゲームと同じなんだなぁ。

 魔術における階梯は、まあランクみたいなものだ。

 一が最低で十が最高。

 上にいくほど発動の難度が上がり、その分強力な魔術となる。

 アルクエでは、主人公たちは段階を踏んで強くなっていくのだが、最初のハードルがこの第三階梯だったりする。

 特殊なクエストをクリアして、学習の許可を得るのだ。

 今の俺が許可を貰える訳がない。


 なんでゲーム知識を持つ俺が、第三階梯という全体で見ればまだまだ低レベルな魔術の教本を求めているのか。

 それはこの世界の魔術体系が、ゲーム内容以上に確立されていたからだ。


 程度の低い魔術であれば、詠唱を唱えて適当に魔力を操作するだけで発動できる。

 第一階梯がまさにそれだ。

 主要属性、火、水、風、土、光。

 それぞれ第一階梯の魔術は、火を起こす、水を出す、風を起こす、ちょっとだけ土を操作する、発光させる―――と要った具合に単純な効果であるため、発動も容易となる。


 しかし第二階梯はそこに加えて、起こす火の温度や大きさなど、設定する項目が増えるのだ。

 そうすると、途端に発動の難易度と消費する魔力量が高くなる。

 一応、第二階梯までは詠唱と魔力操作だけで発動できたが、効果がよりいっそう複雑になる第三階梯は困難を極めた。

 何回かに一度は発動できるが、発動に成功した頃には俺の少ない魔力が枯渇してしまう。

 つまり、それ以降魔術の訓練がほとんど出来なくなってしまうのだ。

 第三階梯の魔術教本に、発動方法に関するアドバイスとかがあることを期待していたんだけど―――

 

「······どうしよ」

「調べたのですが、五歳で主要属性の第二階梯をマスター出来る子供はほとんどいないそうです。ノルは十分頑張っていると思いますよ?」


 最近、俺のことをノルと呼ぶようになったミーシャが、必死に慰めてくれる。

 この優しさに甘え、存分に寄り掛かってしまえばどれほど楽だろうか。

 でもそれは出来ない。

 遠くない未来、俺の推しであるクレセンシアを守るためには、まだまだ力が足りないのだ。


 くそ、軟禁されされていなければ、さっさと世界を回って、イベントも先回りしてやれるのに。


 いっそこの家から出ていくか?

 でも駄目なんだよな。

 主人公を上回るために必要なイベントや戦闘は、それ相応に危険を伴う。

 今の実力で挑んだら即死だろう。

 しばらくは力を蓄えるしかなく、貴族家という環境ほど学習に適した場所はない。


 仕方無い。先に進むのは止めて、魔力量が十分に成長するまでは、第二階梯までの魔術で色々と試してみよう。


 そんなこんなで、俺はどう第二階梯魔術を応用させるかを考えてみることにした。


 しかし、ゲーム知識でズルをしているだけの俺に、そんな発想力はない。

 数分間うんうんと悩んでいると、それを見かねたミーシャがこんなことを言い出した。


「口にする詠唱と全く違う魔術が発動できたら、凄く強そうではありませんか?」


「それだ!」


 ゲーム内にそんな技術を扱う奴はいなかった。

 つまり、それが出来れば俺は世界で唯一の強さを得ることになる。

 クレセンシアを助ける上で最高の力と言えるだろう。


 早速試してみることにした。


 詠唱するのは火魔術の第一階梯ファイアで、実際に発動させるのは水魔術の《クリエイトウォーター》にしてみよう。


「炎の精霊よ―――」


 体内の魔力が勝手に動き出す。

 これはいつもと同じ感覚だ。

 詠唱は補助的な効果を持ち、魔術の発動をある程度自動化してくれる。


「―――我が命に従い―――」


 魔力が指先に集まり、無色透明から赤みを増していく。

 このままでは普通に《ファイア》を発動して終わりだろう。

 俺は、《クリエイトウォーター》を詠唱する際の魔力の動きや変化を思い出しながら、無理矢理それを再現してみた。


 すると、急激に頭がこんがらがり、指先の魔力はバチッ、と音を立てて弾けてしまった。


「ノルッ、大丈夫ですか!?」


「うぉっ」


 隣で見ていたミーシャが慌てて俺の手を掴み、怪我が無いかを確認してくる。


「ああッ、怪我してるじゃないですか!」


「これくらい平気ですって」


「平気じゃありません!どうしましょう、取り敢えず医務室に―――」


「この怪我見せてなんて説明するつもりですか」


「あっ」


 狼狽えていたミーシャがハッと硬直する。

 そう。その言葉通り、この怪我の言い訳がないのである。

 魔術を学んでいる痕跡は残したくないし、俺たち以外にこれを見せる訳にもいかない。


 魔力が勿体無いけど、回復魔術を使えば良いか。そんな風に考えていると、ミーシャが俺の指を唐突に咥えた。


「えっ」


 いや、舐めれば治るって言葉はあるけどさ?

 今それやりますん?


「いはふあいえふは?(痛くないですか)」


「あ、はい」


 むしろナニとは言わないけど、下の子が痛くなりそうです。

 だって、ねぇ?

 十六歳の超絶美少女が、必死こいて俺の指を舐めているのだ。

 ペロペロと指を這う下の感触が素晴らしい。

 これから毎日怪我しようかな······。

 うん、まあ、これ以上は変な気分になりそうだし。


「豊穣の女神よ、癒しを与えたまえ」


 第一階梯の回復魔術を発動させると、患部を咥えるミーシャの口元が発光した。

 俺が回復魔術を使えることを思い出したらしいミーシャのハッとした恥ずかしそうな顔といい、何とも面白い光景である。


「んはぁ、そ、その、すみません。見苦しいところをお見せしました」


「謝るなんてとんでもないです。むしろありがとう御座いました」


「はい?」


「あ、いえ。なんでもありません。気にせず訓練を続けましょう」


 まず、先程の現象を振り返ろう。

 《ファイア》の詠唱をしながら《クリエイトウォーター》の発動を試みた瞬間、俺は急激に頭が混乱して、魔力を制御できずに爆発させてしまった。


 恐らくだがあれは、瞬間的とはいえ一度に二つの魔術を扱ったのが原因だろう。

 既に完成しかけていた《ファイア》に逆らい、詠唱の流れに背く魔力の操作を行う。

 あの時、俺は例えるなら二冊の本を同時に読んでその内容を理解しようとするような、そんな状況に陥ったのだ。


 詠唱の半ばから《クリエイトウォーター》を意識したのが駄目だったのか?

 詠唱直後なら、まだ《ファイア》になっていない純粋な魔力を操れたりするんだろうか?


 よし、物は試しだ。


 今度は、詠唱を始めた瞬間から《クリエイトウォーター》の魔力操作を意識してみよう。


 そう思ってみるものの、実際に試すとまたしても魔力が爆発してしまった。

 どうも、詠唱を唱えたその瞬間から、魔力は《ファイア》になるという目的を持って動き出すようだ。

 その流れに背いて《クリエイトウォーター》を発動しようとすると、同時に二つの魔術を抱え、なおかつ詠唱の流れに逆らうことで脳みその処理が追い付かなくなる。


 なるほど。ゲーム内に同時に二つ以上の魔術を扱う人間がほとんどいなかったのは、これが原因か。


 《ファイア》から《クリエイトウォーター》に移行するあの一瞬だけでも、脳ミソがエラーを起こして混乱してしまう。


 であれば、同時に複数の魔術を扱える人間なんていないわけである。


 ―――主人公チームを除いては。


 ちくしょう!だったらなおさらこの技術をマスターして、過剰な負荷に脳を慣らす必要があるじゃねえか!


「はっ」


 いいぜ、やってやるよ。


 難しいが、手応えを感じなかった訳じゃない。

 これ程の技術を身につければ、魔術においては余人を寄せ付けない強者になれるだろう。


 主人公たちに追い付き、追い越すことも出来るかもしれない。


 その日から、俺は詠唱とは異なる魔術の発動を成功させる訓練を集中的に行うようになった。


 ついでに、午後の勉強の時間では左右の目で二冊の本を同時に読むように。

 当然、全く内容は理解できないが、何ヵ月も続ければ身体が慣れてくれると期待してのことだ。


 もし成功すれば、一度に二つの知識を得られるし、ついでに脳ミソが強い負荷に耐える訓練にもなる。


 一石二鳥だし、やらない選択肢はない。


 あと、その日からミーシャは回復魔術の訓練を始め出した。

 怪我をした俺を見て、なにも出来ないのが悔しかったらしい。


 そんなこんなで充実した日々を過ごしていたのだが―――


 ある日の朝、目覚めた俺は別館が妙に騒がしいことに気づいた。

 珍しいこともあるものだ。俺の監禁がメインのここは、最低限の人員しか割かれていないため、人の声すら中々聞こえないというのに。


 しばらくすると、これまた珍しいことに、見たこともない使用人が俺の部屋にやったきた。


「あれ、ミーシャさんは来ないんですか?」


 使用人は、難しそうな顔で俺の問いを無視する。

 何かあったのか?まさか、俺に協力しているのがバレた?


 そう思うものの、てきぱきと俺の身の回りの世話をするその使用人からは、俺を咎めるような雰囲気を感じない。


 なら、単純に体調を崩したのかな?


 そんな風に暢気に構えていたのだが、翌朝もミーシャは姿を現さず、流石に俺は異変を感じた。


 やっぱり俺の仲間だとバレたのだろうか?

 それとも別の理由?


 取り敢えず情報を集めるため、俺はこっそり部屋を出て使用人たちの会話を盗み聞きすることにした。


 すると―――


「にしても驚きだよな。ミーシャちゃん、誘拐されたんだって」

「まじ?いつ?」

「一昨日の朝だって。なんか捜索隊が探してる途中らしいぜ」

「うわ、やば。だから最近見かけなかったのか。身代金目当てかな?」

「それはないだろ。男爵様も使用人のために危険は冒さないだろうし」

「うわー、じゃあ、やっぱアレかね?」

「じゃないの?ミーシャちゃん可愛いし。うわー、まじ勿体無ぇ。今頃男どもに輪されてんのかね?」


 そんな声を聞いて、俺は頭が真っ白になった。


 誘拐?ミーシャが?


 思考が回らない。

 何故、誰が、いつ、何のため。

 考えようにも、部屋から滅多に出られない俺が判断できるはずもない。


 彼女はまだ生きているのだろうか。

 それとも既に死んでいる?


 ―――いや、待てよ?


 誘拐という単語が、さっきから頭に引っ掛かっている。


 そうだッ!

 あれはストーリー中盤くらいか?

 パーティーメンバーが羽根を休める宿で、誘拐事件が発生するイベントがあった。

 犯人は若い女だけを執拗に狙う吸血鬼で、最後には主人公に殺されることになる。

 

 これはイベントクリア後に判明することだが、その個体は十年ほど前にロメリアの街を荒らし回り、指名手配されていた。

 ひとつの街に留まり続ける危険性をそこで学び、以後は世界を旅しながら目についた女を食らっていたのだ。


 ロメリアはこの街の名だ。

 そして、ストーリー進行中から見た十年前は、まさに今だ。

 この一致が偶然とは思えない。


 このままではミーシャが死ぬ。


 ―――別館が慌ただしくなっていく今なら、抜け出すのも容易だろう。


 俺は迷わず別館を飛び出した。


 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る