第8話 出会い

 ミーシャを助ける。その一心で別館を飛び出した俺は、しかしすぐに萎縮して足を止めてしまった。


 エンデンバーグ家の敷地を出た瞬間、眼前に広がるのは劇的な世界であった。


 見渡すばかりの中世ヨーロッパ的な街並み。石畳の大通りは馬車や多くの人が行き交い、喧騒染みた活気に溢れている。


 ゲームのように、エリア内の風景しか描写されない、なんてことは当然あるはずもない。

 遥か遠くの建物は見えているし、青い空は果てしなく続いている。


「―――ッ」


 目に見える光景が、鼻に届く匂いが、鼓膜を叩く音が、舌で感じる空気の味すらもが―――ゲームでは表現できない確かな現実感を帯び、俺の想像を越えていた。


 五歳児の視点で見るこの世界は、全てが圧倒的に見えた。


 この世界を、俺が変える?


 何だか、急激に自分が矮小な存在に思えてきた。

 いや、思えてきたではない。

 実際に矮小だろう。


 身体は何の才能もない子供のもので、その中身は日本でニートをしていたダメ人間。

 魔術だけは努力でそれなりになったが、まだまだ上には上がいる。


 そんなガキが、どうやって世界を変える?

 どうやってクレセンシアを助ける?


 ―――その前に、どうやってミーシャを助けるつもりだ?


「ははっ」


 ゲーム知識を持ち、全能感すら覚えていたさっきまでの自分。

 その愚かさが何だかおかしくて、最早笑うことしかできない。


 ゲーム知識があるからって何が出来る?

 この世界の秘密を知り、未来予知にも等しい知識を持っていても、俺はただの五歳のガキだ。


 仮に今から全力で暴れたところで、この世界にカス程の影響も与えられないに違いない。


 広大な海に黒いインクを一滴垂らす行為に等しい。今の俺は、その程度の存在だ。


 いっそ、このまま別館に引きこもっていようか。


 ―――なんて、思考がマイナス方向に片寄りかけた瞬間、脳裏にミーシャの顔が過った。


 この三ヶ月間、俺のために危険を省みず動いてくれた少女。

 その命を見捨てられる程、今日までの日々は軽くないはずなのだ。


 でも足が動いてくれない。 


 ああ、もう。

 本当に申し訳ない。

 こんなんだから俺はニートだったんだ。


 めちゃくちゃ怖い。


 だって、さっき俺は実感してしまったのだ。

 この世界はゲームではないと。


 多分、いや、確実に、俺が思うようには上手く行かない。


「ああもう!」


 マイナス思考は駄目だ!プラスに考えろ!


 まず相手は吸血鬼!

 身体能力は人間より遥かに優れ、上位種となると強力な固有魔術を扱ってくる強敵だ。

 今回の敵はアルクエ本編の中盤に出てくるイベントのボスと同個体で、上位種ではないがその戦闘力はそこそこ高い。


 しかし、しかしだ。


 あくまでそれは今から十年後、ストーリー中盤での話。

 やつは十年間の時を経てボスに相応しい実力を得た。

 人間を襲い始めたばかりの現時点なら、俺でも太刀打ちできるかもしれない。


 作戦は簡単だ。


 自尊心の高い吸血鬼は、恐らく俺を見た目で判断して油断してくる。作中の奴もそういうキャラだった。


 その隙をついて、身体強化と吸血鬼の弱点である聖属性の魔術で一気に攻め立てるのだ。


 戦闘慣れどころか交戦経験皆無な俺に、そんな行き当たりばったりな作戦をこなせるのかは疑問が残るが。


 未だ覚悟も定まらないまま、俺は吸血鬼の居場所を探すことにした。 


 ⚪️


 まず吸血鬼の潜伏場所だが、奴らが快適に動くには複数の条件をクリアする必要があるため、ある程度は絞れる。


 条件の一つは、日が当たらないこと。

 吸血鬼は日差しに弱く、当たると弱体化してしまう。

 カーテンの隙間から漏れ出た日差しですら、奴らに当たれば皮膚を焼く。

 隠れるなら絶対に日差しに晒されない場所だ。


 二つ目は、周囲に水の流れがないこと。

 不老不死、つまり年齢が『流れない』吸血鬼は、流れる性質を持つ水と相性がすこぶる悪い。

 水の上を直接通る際、奴らは一気に弱体化してしまうのだ。

 万が一に備えて、周囲に水がある場所は避けるはず。


 そして三つ目は、自然が近いこと。

 吸血鬼はコウモリに変身することができ、また、自らの血を飲ませた小動物を使役することが出来る。

 平時は周囲の小動物で警戒網を敷き、いざという時はコウモリとなって自然に紛れて逃亡する―――それが吸血鬼のやり口なのだ。


 この三点をクリアする場所を探せば良いわけだ。


 土地勘の無い俺がどうやって探せばいいかだが―――ここでゲームの知識が生きてくる。


 俺が住むこのロメリアという都市は、ゲーム終盤で絶対に訪れる舞台だ。

 千回以上クリアしてきた中で、そのマップは完璧に記憶している。

 ロメリア都市内部に自然らしい自然は1ヵ所しかなかったはずだ。


 早速、俺はそこへ向かうことにした。


 大通りを進み、様々な店舗が建ち並ぶ行商区画を抜け、さらに住宅街も通りすぎる。

 やがて辿り着いたのは、広々とした公園であった。

 辺り一帯に草原が広がり、見るまでもなく鳴き声から小動物の存在を確認できる。

 周囲に水は······無い訳ではないが、一本川が流れているだけ。

 あらかじめ逃走経路を確保しておけば、邪魔にはならないだろう。

 あとは日差しを遮ることが出来そうな場所だが、見る限りそれらしいモノは無さそうだ。


 宛が外れたか?

 いや、なにも公園の中に吸血鬼がいると決まったわけではない。

 もう少し捜索範囲を広げてみよう。


 今度は、公園に近い建物を中心に観察していく。

 住宅街からは離れているが、都市というだけあって建物の数が多い。

 丈夫そうな新築からあばら家同然の廃墟まで充実のラインナップ。

 この中から吸血鬼の潜伏先を探すのは大変だろう。


「っ!?」


 と、すぐ傍をネズミが走って行った。

 もしかしたら吸血鬼の眷属かもしれない。

 探すのも、バレないようにしなければ。


 というわけで―――


「うぅ、ママどこ?ママぁ」


 いきなり泣き出すのもおかしいので、助走のようにグズってからママを連呼。

 これで立派な迷子の出来上がりだ。

 必死に周囲を見渡すのは母親を探しているからという理由が立つ。


 しかし、その状態でしばらく周囲の建物や路地裏など怪しい場所を探してみたが、やはりというか何というか、吸血鬼は発見できなかった。


 さらに捜索を続けるが、時間ばかりが過ぎて何も進まない。


 随分と歩いてきたようで、気付けば俺は大通りに戻ってきていた。

 まだまだ探さなきゃいけないのに、朝から歩き通した足はパンパンになっており、幼い身体は眠気を訴え始めている。


 このままじゃ絶対に駄目だ。

 でもどうすればいいんだろう?


 大勢の人が行き交う大通りのど真ん中で立ち尽くす。

 

 この世界の住人も意外と冷たいのか、通り過ぎていく全員が呆然と立ち尽くす五歳児を無視していた。

 なんか、日本みたいだな。

 何もうまくいかないし。


 でも諦めてなるものか。

 俺が諦めたらミーシャが死んでしまう。

 いや、もしかしたらもう既にミーシャは―――


「んな訳ないだろ!」


 強く頬を叩き、気合いを入れて前を向く。

 うじうじとするだけの気持ち悪い自分は、日本に置いてきたのだ。

 ここにいるのは世界を変えるノルウィン、これくらいのことで挫けてどうする?


「よし、大丈夫だ」


 大丈夫、まだ気力は持つ。

 俺は捜索を再開すべく、再び歩き出し―――


「坊主、どうしたよ。迷子か?」


 声を掛けられて思わず振り返る。

 そして、そこにいる人物を見て、俺は目を見開いた。


 なぜ、この人物がこのタイミングでここにいる?


「し、シュナイゼル将軍?」


「なんだ、俺を知ってるのか」


 ニカっと破顔した男―――シュナイゼルは、そういって俺の頭を撫でた。


 シュナイゼルはアルクエ本編にて登場する、アルカディア王国軍の大将だ。

 作中最強の呼び声も高く、とあるルートでは主人公達の仲間にもなったりする。


 そんな人物との遭遇に、俺は考えるより先に口を動かしていた。


「た、助けて下さい!」



―――――――――

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