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ピコン!
と、僕の携帯が一通の通知を知らせる。
内容は萄真からで、短く『東館のデッキへ』だけだった。
実はまだ、萄真にどちらを選んだのか言っていない。いや、言えなかった。
はっきりと口に出すことが、怖かったからだと思う。
だけど……言わなければ。言えるようにならなければ。
だって、二人が好きだから。
萄真の連絡があった通り、初めて東館なる所に訪れた。
そこの三階にデッキがあるらしく、僕は外階段を使って上ることに。
無論、デッキで待っていたのは萄真ではなく……千寿。
手すりに身を乗せて、髪をたなびかせている姿は可愛らしいというより、美しい。
いつもの雰囲気は千寿のどこにもなく、その背中は……どこか寂しさがあった。
そんな千寿は、僕が来たことに気付くと体を僕の方に向ける。
「や。おひさ」
「あ……うん」
ぎこちない空気になってしまう。
仕方ないと覚悟していたことだけど……それだけで辛い。
千寿が無理に笑顔を作っているのも、耐えられない。
そうさせたのは、僕なのに。
「なんで、うちの所に来たの?」
小さく震える声の千寿。
まるで僕が見えていないかのように、視線が泳いでいる。
だとしても、僕はちゃんと向き合わないといけない。
だって……好きだから。
「僕は、千寿と出会ってすっごく毎日が楽しいよ。どこかに出掛けることも、一緒に何かすることも、全部が新鮮で見たことのない景色がいっぱいで……」
入学式の日。千寿が萄真をひっぱたいた所から、僕達の関係は始まった。
最初は、蘭さんと仲良くなることを同じ目標として話したりもしていたけど、ひょんなことから千寿と二人だけでライブに行くことになった。
そこでライブの良さを知ったし、女の子を一人にしたら危ないと考えるようにもなれた。
「てんやわんやで、萄真と似てその場のテンション任せなところがあって……」
やりたい! したい! は基本千寿の案だったけど、上手くいかないことの方が多かった。
特に、蘭さんと千寿と僕とで行った、バンドの入場特典狙いとか……。
「それでいて、人のご飯を狙うヤンチャな一面もあるけど……」
千寿のおかげで、余分にご飯を買ってしまう癖がついてしまった。
でも、それは一ミリも迷惑なんかじゃない。
一緒の時間を過ごしているって、身をもって感じさせてくれるから。
それに……僕も楽しかったから。それはそれで、咎めるつもりなんてないかな。
「僕の話に耳を傾けてくれて、一緒に涙を流してくれる『優しい心』を持っている……」
うどん屋での出来事。
誰にも言ったことのなかった話だけど、千寿に話したことで、何か救われた気がした。
一緒に泣いてくれて……嬉しかったんだと思う。
誰かに話すことで、心の荷が軽くなるってことを初めて知ることができた瞬間だった。
「そんな千寿が、僕は……好きになってた」
「~~ッ⁉」
「だけど……。僕は蘭さんのことも、好き……なんだ。『あの時』から」
今になって気付くなんて、本当にバカだと思う。
バカだけど……。今、二人を好きになれたから、気付けたことなんだ。
そんな二人に、何よりもまず、言わないといけないことがある。
「こんな僕を好きになってくれて……ありがとう。一番に言うべきだったのに……、ごめん」
「あ……えっ、そ、そんなこと……」
「ううん。あるよ。待たせ過ぎたから。…………感謝も、僕の答えも」
「……」
周囲の雑音が……消える。
千寿が気持ちを伝えてくれた時と、同じ感覚。
あの時は、僕の頭が完全に思考放棄をしていたけど、今は別の原因がある。
それは、千寿だけしか……見ていないこと。
「僕は…………、蘭さんを選ぶよ」
…………。
…………。
ああ……。言ってしまった。
言ってしまったけど……これが僕の選択なんだ。
ああ……。辛い。辛すぎる。口にすることが、こんなに痛くて、苦しいなんて……。
今すぐ、この場から逃げたい。走って、走って、気を紛らわしたい。
だって……千寿に見せる顔がないから。
でも。
僕の答えを聞いた千寿が、逃げ出してないんだ。
僕よりずっと、辛いはずの千寿が。
それなのに、僕がここを立ち去っていい理由が……あるのか。
…………あるわけ、ないだろ!
千寿が逃げないんだ。僕に逃げることが許されるわけないだろ⁉
千寿が、泣かないんだ。僕に……泣くことが許されるわけないだろ……。
千寿が言葉を紡ぐまで、堪えるんだ。
そして、どんな罵詈雑言も受け止めるんだ。
それが……、僕が背負わなきゃいけない、業なんだ……。
「……じゃあ」
千寿の声。
怒気も覇気も感じられない千寿の声が紡がれる。
返事なんて、できない。
ただ、目線をやることしか。
「蘭の所に行ってあげないと……だね」
「~~ッ⁉」
なんで……僕を責めない?
千寿に責められるようなことを、僕はしたのに……。
なんで……。
「なんで……何も言わないの?」
千寿の視線とぶつかる。
「千寿に責められても、おかしくないのに……」
そう。おかしくないのに。なのに、なんで……。
「だってさ」
無理に笑顔を浮かべる千寿は、僕に背を向けて、再び手すりにもたれかかる。
その声は、今にも泣きだしそうで。
「それが薔の答えなんでしょ? いっぱい悩んでくれたんでしょ? それを責めるなんて、できないよ。だからさ……、ほら…………、行ってきてよ」
千寿の声と背中が、小刻みに震えている。
多分、泣きたいんだと思う。
それを必死に堪えて……。
「行ってよ、薔。…………泣けないじゃん」
たった一言。この一言で、僕の堪えていた涙腺は決壊してしまった。
「ごめん……。ごめん…………」
涙を流しながら走り出せた僕。
そこからは、唇から流れる血の味と、何度も反芻した「ごめん」の言葉しか覚えてない。
……それと、もう一つ。
千寿の……悲痛な泣き声が…………。
重い足取りで向かった先は、蘭さんがいるであろう校舎。
ついさっき、チャイムが鳴り響いていたから、きっと授業が終わったところのはず。
……はず?
目的の校舎に来たのに、さっきから誰も出てこない。
泣き晴らした後の僕に、まともな思考回路は組めないんだけど……。
「と、とにかく。落ち着いて……で、電話、電話」
蘭さんの携帯に、電話をかける。
一コール。
二コール。
三コール……。
『……はい』
「ら、蘭さん!」
『どうしたの?』
千寿と違って、完全にいつも通りの蘭さん。
すっごく、拍子抜けと言うか……安心と言うか。
「授業は?」
『今日は休講よ。なんでも、先生のお子さんが生まれるらしくて』
後期一発目からおめでた話とは……って、そんな場合じゃない!
「蘭さんは……今どこに?」
『さっき学校を出て、もうすぐバス停に……着いたわ』
「ちょ、ちょっと待ってて! 今行くから!」
『わ、分かった』
蘭さんにバス停で待ってもらうように言って、通話を切る。
そして……猛ダッシュ。
心臓の高鳴りは留まることを知らないけど、そんなことに構ってる余裕なんてない。
蘭さんが、待ってるんだ。
……あれ? なんだか身体が……軽くなった気がする。
自慢にならない脚で、必死に走って、やっとバス停に着いた。
「ハァ……、ハァ……」
息を整わせるよりも先に、蘭さんの姿を探す。
だけど……あれ?
どこに……行った?
辺りにバスを待つ列が何個かあったけど、どの列の中にも蘭さんの姿が見えない。
……心配になってきた。
蘭さんに限って、何も言わないでどこかに行くなんて考えられないから、余計に。
とりあえず、バス停から離れた所も探そうか……と、一歩目を踏み出そうとした時、
「そんなに息を切らして……どうしたの?」
突然、背後から誰かに肩を叩かれる。
いや、そんな人、一人しかいないか。
「あ、ごめんなさい。ちょっとトイレに……」
ハンカチを鞄に直す姿で立っている蘭さん。
ほんと、いつも通りの素振りしか見せない。
「な~~なるほど。流石に、冷や汗かいたよ」
「どうして?」
「あ、いや、大丈夫。…………ちょっと、話さない?」
「えぇ。いいわよ」
それから、蘭さんと向かったのは、とある公園のベンチ。
絶妙に小高い場所に位置していて、ちょっとだけ見晴らしがいい……そんな場所。
そこは「風見の丘」と呼ばれていて、普段は人が多いはずなんだけど、何の偶然か、今は子供一人いなかった。
「横……どうぞ」
ちょっと目を合わせづらい。話し方も、いつも通りにいかない。
びっくりするぐらい、恥ずかしい……。
「どうしたの? なんだか今日、いつもと違う気がするけど……」
やっぱり気付く……よね。
これも、蘭さんとの関わる時間が増えたからだと思う。
「あ……うん。実は…………さっき、千寿と会ったんだ」
「……」
「それで……その…………。千寿に、僕の気持ちを……伝えたんだ」
「そう……」
「うん……」
沈黙。
多分、蘭さんは待ってる。
僕から……、僕の口から話すまで……待ってる。
……言うんだ。言わないと。
「……蘭さんが好きだって、言った」
たちまち、蘭さんの表情が驚きの表情に変わる。
「どうして⁉ 千寿が好きなんじゃあ……」
「え?」
「だって……。薔は千寿が好きだと思って……」
……。
……。
……あっ!
そういう事か……。
「じ、実は……僕、蘭さんと千寿の二人を好きになっちゃって……」
「あっ……、…………え? わ、私も⁉」
「うん」
「え、じゃ、じゃあなんで……私と、ここに?」
「それは……」
はっきりと伝えるんだ。蘭さんの目を見て。
僕の心臓の音が凄いけど……気にするな!
「萄真に、『二人の気持ちに応えるには、どっちかに決めろ』って……」
「……」
「僕は二人ともが、同じくらい好きだけど……蘭さんがいいんだ」
「それって……」
蘭さんの綺麗な目は、僕を追い詰めるには十分で……、口が言うことを聞いてくれない。
言いかけたままの形を維持できずに、何度も、もごもごとしてしまう。
そんな僕の手に、蘭さんの手が重なる。
「⁉」
「落ち着いて。ドキドキしているのは、私も同じだから」
確かに、蘭さんの手は異常なほど温かかった。
僕の手……よりも。
……どうしてだろう? 蘭さんといると、不思議な感覚になる。
僕一人じゃあ踏み出せないようなことも、蘭さんとなら、何でもできる気がしてくる。
柔らかくて小さい蘭さんの手に握られる。それだけで。
「僕と……付き合ってくれませんか? ……蘭さん」
激しく暴れる心臓を抑え込みながら、やっと言葉にできた。
口籠り過ぎて、ちゃんと蘭さんに伝わった自信がないけど、もう一回言う勇気も出てこない。
後は……神のみぞ知る、いや、蘭さんのみぞ知る……。
ゴクリ……。生唾一つも大変な僕。
うって変わって、二回ほど深呼吸を繰り返す蘭さんは、僕にとって無限に感じる数秒経ってから、重たい口を開く。
「わ、私は……今まで人と仲良くすることがなかったから、『付き合う』って意味がぼんやりとも分からない。……けれど。私は多分、あの時からあなたのことが好きだったんだと思うの。それだけは、言いきれる自信があるわ。だって……」
鞄の中から、あの絵本を取り出す。
「これに私は救われた。あなたが来てくれたことで、私は救われた。だから、これは他のどんなお守りよりも、お守りなの。いつかあなたに再会して、『ありがとう』と……『好き』と、一緒に返す。そんなお守りに、私が勝手にしたから」
僕の方へ差し出される絵本。
表紙は色褪せていて、いくつも修繕テープが貼ってある。
僕の扱いが雑だったせいだと思うけど、蘭さんはその修理をしてくれていた。
絵本を裏返す。
裏表紙の端にはバーコードが印刷されていて、そのすぐ下に僕の名前が書いてある。
間違いない。僕の汚い字。
表紙と裏表紙。何回もひっくり返していると、懐かしい記憶が蘇ってくる。
嫌な思い出も。良かった思い出も。
こうして、初めて好きになった人と……、再び、出合わせてくれたのだから。
「ど、どうして泣くのよ」
「えっ⁉ 泣いてる?」
「えぇ。ボロボロにね」
そう言いながら、さっとハンカチで拭ってくれる蘭さんは、そのまま僕の頬を軽くつまむ。
「ふっ……、変な顔」
「ふぇ?」
「ううん」
やがて、解放される。
「……私はきっと薔に見せてない部分がまだあるわ。それが薔にとって良いことか悪いことか、私には分からない。もしかしたら、また自分の殻に閉じこもるかもしれない。そんな……、そんな私でもいいって言ってくれるなら……、よ、よろしくお願いします」
蘭さんが言った……こと……。
真っ白な頭の中で、ぐるぐるぐるぐる回って……回って……。
意味が分かるようになるまで、結構時間がかかった。
けど、ここからが問題だった。
なんて……返したらいいんだろう?
期待していた答えが返ってきたのに、それが嬉しくて……僕の脳内はパンク寸前どころの騒ぎじゃなくなっていた。
「……あ、あわ、あわわわ」
「口パクパクしないで。私だって……薔が好きなことに、悩んでいたんだから」
「ら、蘭さん……」
真っ赤な顔を背けながらも、僕の告白を受け入れてくれた。
それが、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて……。
「うわぁあああああああああん!」
「えっ! ちょ、ちょっと⁉」
蘭さんの体を、抱きしめていた。
もの凄く強く、存在を確かめるみたいに。
「ずっと……ずうぅーっと、一緒だからぁあああああ!」
「わ、分かったから! 泣きながら叫ばないの! は……恥ずかしいから……」
そうは言っても、引きはがすどころか僕の背に腕を回してくれる蘭さんに、増々、嬉し泣きが溢れてくる。
あぁ……。僕達は、付き合い始めたんだ……!
正直、女性と付き合う意味が、僕はまだ分かってない。
蘭さんと付き合って何をしたいとか、やってみたいとかが全く頭に浮かんでないし、どうあれば付き合っている二人となるのかが……、さっぱり。
でも、それは蘭さんも同じだった。
友達という関係でしか人と関わってこなかった僕。
人を拒絶し、避ける道を歩いて来た蘭さん。
異性と『付き合う』ことに、無知な僕達が付き合ったことで、何か変わるとは考えられないけど…………。
それでも僕は、この決断に後悔しない。
後悔しちゃいけない。
絶対に…………。
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