12
やっと花火の轟音が耳に入って来た時、僕はどこか分からない小さな公園のブランコによって、無機質に揺られていた。
花火で公園内がちかちかと点滅する光景を、遠い目で眺めることしかできないながら。
一体、僕はこんな所で……何をやっているんだろう。
それすらも分からない。ただ、思考が完全に停止しているのだけは、分かる。
「……はぁ」
正体の分からない虚無感的なものが僕の中で居座っているせいで、ずっとここから動けないでいた。
そこに、一人の人影が僕の目の前まで近付いて来る。
「いた……」
膝に手を付けながら肩で息をしている人……蘭さんが僕の目の前にいた。
「こんな所で……何しているの? 千寿は?」
「千寿は……会ったよ」
「そ、そう……」
不思議なことに、何かを察した蘭さんはそれ以上、何も聞いてこない。
それどころか、僕のすぐ横のブランコに腰を下ろす。
……。
……。
暫く流れる、沈黙。花火だけがこの場を支配する。
そう言えば……鼻緒が切れた下駄じゃあ歩けるはずがない蘭さんが、どうしてここに?
と、今更気付いて、蘭さんの下駄を見ると、鼻緒は適当な別の紐で補修されていた。
「人形すくいのおばさんがくれたの。鼻緒が切れたら不便だから……って」
僕の心でも読んでいるか、鼻緒について説明してくれる蘭さん。
そっか。なら、よかった。が、僕の口から出ることはなかったけど。
僕が僕でないこの感じ……自分でも嫌になる。
魂が抜けたような……感じ? それは蘭さんもちゃんと分かっているらしく、改めて僕の状態を窺う。
「その……。何があったか聞いても……いい?」
「何が…………。うん。実は……」
蘭さんと別れてから、すぐに千寿と会えたこと。
そこで千寿が、僕のことを……好きだって言ってくれたこと。
僕が誰かに好きと言われたことがないから、どうしたらいいか分からないこと。
さっきからずっと、何もかもが『分からない』で、頭が思考を放置していること。
そんな僕自身が……鬱陶しく感じてきたこと。
今の僕の心情を、蘭さんに包み隠さず話した。
すると、蘭さんは僕の手に、手を重ねる。
「…………実は、千寿が薔のことが好きだって、前に聞いていたの。どんな所に惹かれた……とかも。それを聞いて薔が悩むなんて、私……分からなかったわ。薔がそういう人だって、分かっているのに」
蘭さんの瞳に……吸い込まれそうになる。それくらい、美しく真っすぐな瞳で僕を見てくる。
「だから……薔をもっと困らすことを言うわ。これは、千寿との約束でもあるから」
僕の手に触れる蘭さんの手に、力と……熱が籠り、早くなる脈を感じる。
それに呼応してか、僕の鼓動も速くなっているのが分かる。
「私に、学校に行くように毎日家にまで押しかけて来てくれていた、誰かさん。私はあの時からあなたのことが……好きよ」
「…………ッ⁉」
「次に会った時に、借りていた絵本を返すわ。あなたがくれた、宝物だから」
蘭さんの言葉で、僕達以外の世界が止まる……そんな気がした。
目を覚ますと、僕は自宅のベッドの上で横になっていた。
時刻は十時五分。午前中の十時五分。
祭りから帰って来て、すぐに寝入ってしまったらしい。
あれからどうやって、僕は家にまで帰ってきたのだろうか? 全く記憶がない。
薄っすらと思い出せたのは、電車に揺られていた場面……。
それ以上は、全く、思い出せない。
「それと。なんだろう……? この疲労感?」
寝ていたはずなのに、まだ眠たいこの感じ。頭のてっぺんから、つま先までだるい。
とは言っても、今日は講習がある。今から支度して、ギリギリ間に合うかどうか……。
朝食抜きを覚悟しながら、重たい上体を起こそうとした時、突然、インターホンの音が部屋に鳴り響き、軽く身体が跳ね上がる。
こんな時間に……一体誰だろう?
おもむろにドアスコープから外を見てみると、見知った顔の男がいた。
「こんな時間にどうしたの? 萄真」
ドアを開けると、ビニール袋を持った萄真がそこに立っていた。
「ちょっとイケナイコト、しようぜ!」
「イケナイコト……?」
何か企むような顔をしている萄真は、ずかずかと部屋の中に押し入ると、ビニール袋の中身をテーブルに広げる。
缶四本とあたりめ、唐揚げ、イカリング……。
朝ごはんにしては重たいなぁと思っていると、缶の正体に気付いてしまった。
「これ……お酒じゃん! 僕達まだ未成年だよ⁉」
「気にすんなって! 俺の奢りにしといてやるからさ!」
「そ、そこじゃないんだけど……」
「どうせ講習も蹴るだろ? んなら、今日はどのみち悪ガキなんだし、いいんじゃね?」
「ええぇ……」
最早、僕の意思は萄真には聞こえておらず、なし崩し的に未成年飲酒をすることになってしまった。
お酒……初めて飲むんだけど、大丈夫かな?
と、思っていたのは杞憂だった。
「なんか、ジュースみたいだね」
「まぁ、チューハイなんてそんなもんよ。アルコールだって、四パーセントしかないし」
「多いか少ないかは知らないけど……飲みやすいね」
「お、いいね~」
うまく萄真に乗せられた気もしないでもないけど……まぁいいか。
とは言っても、お酒はお酒。
ちょっとずつでも飲み続けていると、次第に体が熱を帯び始め、気分も良くなっていくのが分かる。
なるほど。ストレスからお酒に逃げる大人の気持ちが、分からなくもない……かな?
それから、一缶目を飲みきるまでは、萄真と他愛もない話で盛り上がっていた。
一缶目……までは。
早くも二缶目を開けようとしている萄真は、怪しくなっている呂律で、『本題』に踏み込む。
多分、この話をしに来たんだと思う。
そう言う僕も……したかった。
「千寿からぁ……聞いた」
「……」
「薔は、どんな答えを出す?」
「答え……?」
「あらぁ? 前にも言ったろ? 決断しなきゃならねれぇって」
「……決断」
「千寿かぁ……蘭かぁ……。薔。お前ぇが決めるんだ」
「そ……それって……⁉」
千寿か、蘭さん。
萄真の言っていた『決断』の意味が、ようやく分かった。
僕の中で、今までカケラも存在しなかった『ソレ』は、今まさに牙を見せて来た。
それは、どちらかと恋人になって、どちらかを……。
「二人を好きになるぅ。それが『決断』っていう代償だ」
「~~~~ッ⁉」
あぁ………。
涙が、止まらない。
溢れて、溢れて、溢れて……止まってくれない。
胸が……苦しい。息も……できない。なのに、心臓を締め付けるような力が、果てしない程働いていて……。
こんなの……辛すぎる。辛すぎるよ…………。
「できない……。僕に……できない……」
恋人がいる。そんなことを想像したことが、今まで一度もなかった……なんて、言い訳になるのか?
いいや……。ならない。
恋人がいるとか、いないとかの話じゃない。
二人を好きになって、二人から好きと言ってもらえた僕は、どちらかを傷つける結果を……選ばなければならない…………なんて…………。。
そのことが、無性にも自分を刺し続けている。
何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も……。
その時だった。
「……はっ!」
まるで藁にでも縋るかのように、僕の脳内に、とある一つの答えが思い浮かぶ。
その答えは、僕が口にするよりも前に萄真によって、遮られてしまうのだけど。
「どっちも選ばねぇなんて答えは……もう、できねぇぞ?」
「えっ……?」
「確かに、どっちかを選ばねぇ選択は、楽の一言に尽きる。どっちかを選ぶと、もう二度と同じ関係には戻れなくなるだろうからな。だけどなぁ……二人はそれを分かって、お前に気持ちを伝えたんだよ! それがどんだけ辛く、覚悟がいることか……今なら分かるだろ? 何も二人共の気持ちに報いろなんて言わねぇ。ただ、意味のなかったことにしてやんなよ! 少なからず、気持ちを伝えた二人を……、『薔』が、好きになったんだから!」
空になった一本目の缶を握りつぶす萄真の目は、お酒のせいか、どこか据わっている。
でも、萄真の言っていることの意味は、痛いほど分かる。
気まずい空気になるって覚悟して、僕に気持ちを伝えてくれた二人。
僕は……、その二人が好きなんだ。
どっちがどっちよりも好きとかじゃなくて、どっちも同じくらいに。
だから、どっちかを決めるなんて、無理な話なんだけど……。
だから。二人の想いから逃げるようなマネも許されないんだ。
「二人を好きになって、二人に好きになってもらうって……辛いね…………」
「どんなに辛くても、それが人を好きになるってことなんだから、しゃーねーよ。ただ、後悔のないように決断なんて、到底できねぇからな? 心が思うままに決めるしかねぇ。二人を優劣なく、同じくらい好きなんだったら……尚更な」
「うん……。うん…………」
「また泣く……。ま、今日は泣かしに来たからな。好きなだけ飲んで、好きなだけ泣けばいいぜ!」
グッドポーズを取る萄真だったけど、それを相手する余裕は、今の僕のどこにもない。
僕は、三角座りの体勢のまま、膝の間に顔を埋めて泣くことしかできなかった。
決断することが怖い。でも、二人の想いを無下にしたくない。
そんな両挟みの感情に、只々泣くことしか……できなかった。
夏期講習の終わりは、夏休みの終わり。
今日で夏休みは最終日で、明日から後期が始まる。
大学生活も半年をとうに超えている事実に驚きながらも、僕は今、後期一発目の授業を放り出して情報館に向かっていた。
ここ一週間……ずっと変わらない、沈んだ気分のまま。
「はぁ……」
残る夏休みの間、蘭さんと千寿とは一切会っていないうえに、連絡も取っていなかった。
それだけじゃなく、萄真も家に来た以来、僕にどうしたらいいかの話をしてこなくなった。
その理由……は、さすがの僕も分かってる。
僕の出す答えを……待っているんだ。
僕からの連絡を……待っているんだ。
だから、決めないといけない……。
蘭さんか……。
千寿か……。
情報館の絵本の置いているコーナー。
そこに置いている絵本は、子供ウケのいいようにカラフルな色遣いの背表紙が多く使われていて、本棚は色々な色で染まっていた。
僕の探している絵本は、緑色の背表紙の絵本。
他の絵本と比べて薄くてサイズが大きいから、簡単にに見つけ出せる。
『どうぶつ学校のおともだち』
今度、蘭さんと会ったら、僕に返すって言っていた絵本。
……僕に、返す…………?
「僕と蘭さんが……、会ったことがある? 僕が絵本をあげた相手が、蘭さん⁉」
今更ながら、そのことに気付いてしまった。
……。
……。
あぁあああ……。
あぁああああああッ!
「そうだ……。そうだッ! 僕が学校に行くように、ドアの前まで毎日通っていた子。その子の苗字は……『氷彗』⁉」
全部……思い出した。全部……全部……。
学校が始まって、初めて見る同級生にワクワクを隠しきれなかった僕。
片っ端から声をかけて友達の輪を広げようとしていた、そんなある日。
一人の女の子を見かけ、絶対に声をかけようと思った。だけどその日、声をかけるタイミングを逃してしまう。
その女の子とは、それきりになってしまった。
いたはずの女の子が学校に来なくなったことに不審に思った僕は、先生に女の子の家に提出物持って行くことを約束して、住所を教えてもらうことに成功した。
その時に初めて苗字を聞いたけど、あまりにも難しい漢字と読み方に覚えることを諦めた。
多分、名前なら憶えやすいと思ったからだと思う。
だけど。その子は、一度として自分の部屋から出てくることはなく、返事も返してくれない。
僕はただのドアに向かって、ひたすら独り言を投げかけることしかできなかった。
後に、女の子の名前が『らん』ということを知ったけど、僕は一回も呼ばないようにしていた。
なぜなら、女の子の口から名前を聞くまでは、僕の方から言わないと勝手に決めていたから。
今思えば、僕にとって蘭さんが初めて、「不登校の子の家に押しかける」を実行した相手。
一人目から女の子にしたその度胸たるや、今の僕じゃあ計り知れないけど。
それでも、蘭さんを初めて見た時の不思議な感情だけは、何十年経っても覚えている。
話しかけないと……。
友達になっておかないと……。
そうじゃないと……といった、……焦り?
それとは別に、もう一つ。
二人を好きになってから、好きのカタチについて知ったことがあった。
どうやらそれは、初めてあった人をどうしようもない程、『意識』してしまうカタチらしい。
それを世間では……『一目惚れ』と呼ぶ。
僕には関係のない話で、そんな好きのカタチがあるわけがないと思っていたけど。
だけど……もし、蘭さんを初めて見た時の感情が『好意』ではなく、『焦燥』だったとして。
その特別が『一目惚れ』と呼ぶのなら………。
「僕は……、あの時から蘭さんのことが…………好きだった……」
膝から崩れ落ちる僕は、込み上げる涙と嗚咽を必死に堪えようと、口元を手で塞ぐ。
「~~~~ッ! ~~~~~~ッ!」
何が悲しくて、僕は泣いているのか? それ自体が、今まであやふやだったけど。
この涙の原因は、はっきりしていた。
その所為か、いつも以上に……辛くて、痛かった。
今までで一番苦しくて、耐えられそうになかった。
……だけど。
これが、二人を好きになった責任……なんだ。
「もしもし。萄真? 僕……決めたよ」
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