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二人への気持ちに気付いてから、早一週間。

僕はと言えば……普段通りだった。特別何かあるわけでもないから、本当にいつもの日常。

夏休みも中盤に差し掛かった今日は、萄真の運転で少し遠くの夏祭りに行くことに。

なんでも、県内最大級の祭りとして人気が凄くあるらしく、大目玉である、祭りのラストを飾る『四万八千七百八十七連打ち上げ花火』は、その荘厳な光景に、祭りに用のない人の視線すらも釘付けにして離さないという。

そんな誰もが盛り上がってしまいそうなこのイベントに行きたいと言い出したのは、意外にも蘭さんだったのだ。

その理由は……。

「お祭りスケールの花火は生で見たことが……なかったからよ」

だ、そうだ。まぁ、この祭りの打ち上げ花火を見てしまっては、他の祭りの花火なんて物足りなく感じてしまうようになるだろうけど。

噂によると、「夜を昼に変えてしまう」くらい凄いらしい。

……それはそうと。

「……大丈夫? 千寿」

こんなビッグイベントを誰よりも楽しみにしていてもおかしくない千寿が、いつもより元気が無いように見えるのが、今日会ってから僕の中でずっと引っかかっていた。

車に乗ってからは、外を眺めているだけで、さっきから返ってくる相槌もずっと上の空な気がしてやまないのだ。

思えば……千寿と話したのは、食堂で蘭さんと千寿の二人が好きだと気付いた時以来。

あの時も、いつもの雰囲気を感じ取れなかった。

そんなどこか心ここにあらずの千寿からは、またも上辺だけの相槌が返ってくる。

「花火がどれだけ明るいのか、楽しみだなぁって。だから……大丈夫だよ?」

あどけなさの残る相槌だけど、いつも通りを装うとしても僕には分かる。いや……、ここにいる人はみんな分かると思う。

明らかに、千寿が何かに悩んでいることを。

でも、千寿は自分から話そうとはしない子。言いたくないというより、心配させたくない気持ちの方が勝ってしまう性分。

いつも、自分より、他人なのだ。

それを知っている僕達は、それ以上踏み入れられなかった。

そんな微妙な空気の中、浴衣の貸し出しを行っているというお店に到着した。

せっかくなので蘭さんと千寿だけ浴衣にしようとなったのは、つい十分程前のこと。

言い出しっぺの萄真は、着替えるのが面倒という至極単純な理由で、今の恰好のままらしい。

僕も動きづらそうだから、別にいいやとなった。

では、なぜ蘭さんと千寿だけが着ることになったのかというと。

これまた、蘭さんが着たことがなかったからだ。色々と嫌な思い出のあった蘭さんにとって、友達と遊ぶこと自体が初めての経験なのかも……と邪推してしまうほどに、蘭さんは初めてが多い。

千寿は……分からない。僕が勧めたから着ることになった感じで、本心がどこにあるかは、終始ずっと分からなかった。

二人が着替えている間、僕と萄真は少し離れた所にある小高い高台から、眼下に広がる祭りに訪れた人の群れに、腰を抜いていた。

「見るからに人、人、人!」

「これは凄いね……。一回はぐれたら、今生の別れになりそう」

商店街から、河川敷、一部住宅街まで屋台が立ち並んでいて、それをなぞるように人の蜿蜒長蛇の列ができている。

神秘的と感じてしまうほど、見事な集団行動を演じてみせているけど、今から僕達があの中に入るとなると、少し眩暈が……。

「それにしても……今日の千寿、何かあったのかな?」

「……」

「今までで一番、思い詰めてる……そんな気がするんだけど……」

気にしないようにと思うほど、気になってしまう。

千寿がここまで思い詰めているのを初めて見るから、余計にかもしれないけど。

敢えてこれを口にした理由は、萄真がさっきからずっと、我関せずな態度だったからだ。

千寿の上辺だけの相槌とかを無視して話し続けたり、聞いてないふりをしたり……。

思えば、いつもと違うのは萄真も……だ。

「心配のし過ぎも、よくないからな……」

手すりに腰かける萄真は、車のキーを弄る。

「俺は……こんなことしかできねぇからさ。だから…………だからッ! 薔を……」

「僕を……?」

その先は、着替えの終わった二人が来たことによって聞くことができなかった。

「お……お待たせ」

カタカタと下駄を鳴らしながら駆け寄ってくる蘭さんと千寿は……美しいの一言に限った。

蘭さんの浴衣は、黒の生地に白色のバラが散りばめられており、エメラルドグリーンの帯で全体が締まって見える。

千寿の浴衣は、オレンジの生地に水玉と、水着と似たような柄に、黄色の帯をマリーゴールド結びという結び方を採用していて、帯に花を咲かせていた。

「蘭さんも千寿も……すっごく似合ってる……」

好きな二人の浴衣姿に、思わず見とれてしまう。

浴衣の貸し出しをしていたお店のポスターよりも。

祭りに訪れた他の人よりも。

ずっと……可愛い。

「あ、ありがとう……」

「うちもそう思う~~!」

だけど、必死に取り繕う千寿を見ていると……苦しい。

そんな僕に、萄真がボソッと耳打ちをしてきた。

「俺はなんもできねぇから……千寿を頼む」

「えっ……?」

一体何が言いたいのか萄真に問いただそうにも、一番に駆けだしてしまう。

そして……さっきまでとは全然違うテンションで、

「祭り……行くぞぉおおお!」

叫ぶのだった。


焼きそば。フランクフルト。鈴カステラ……。

かき氷。綿あめ。りんご飴……。

輪投げ。射的。型抜き……。

定番の屋台から始まり、珍しい屋台も。

酸辣湯。グラタン。ピザ……。

最中。スイカ。杏仁豆腐……。

ダーツ。亀すくい。ボウリング……。

挙げ始めると枚挙にいとまがないが、実はこれらは、もう既に僕達で回ったもの。

短時間で、作業のように次々と屋台を巡っているので、口の中がミステリアスになりながらも、手荷物だけが果てしなく増えていく。

お面とか、お菓子とか。

それでも、祭りを全力で満喫する蘭さんを見ていると、嬉しい気持ちでいっぱいになる。

時には、口の端にソースを付けながらたこせんべいを食べながら、

「たこせんべい……食べづらい」

と、小言を溢したり……。

時には、十数分程、机と睨めっこしていると思ったら、

「抜けたッ…………! どう⁉ 凄いでしょう⁉」

最高難易度として用意されていた東京タワーの型抜きを、完璧にくり抜いてみせたり……。

時には、水で満たされた水槽の中にあるコップにコインを入れる、というゲームの屋台を見つけ、

「私、ああいうの得意なの」

と、意気揚々と始めた瞬間、二枚目で一番小さい口のコップにコインを入れてはしゃいだりと、それはもう、無邪気な少女のようで。

挙句、豆運びという箸で豆を皿から皿へ移すゲームでは、他の参加者を差し置いて優勝していたりもしていた。

総じて、繊細なことをさせると、蘭さんの右に出る者はいないのだろうと思わされる結果ばかりだった。

「全く、私の才能が怖いわ……」

「それ……自分で言う……?」

珍しくテンションが上がりに上がっている蘭さんは、饒舌が止まらない。

「次は……あれ! あれにするわ!」

指さす先に構えている屋台は、今は懐かしきスマートボール。

蘭さんは興味津々で駆けだす。……人混みを掻き分けて。

「ちょ、ちょっ……! 萄真! 千寿!」

今まで四人が離れすぎない距離で一緒に回っていたけど、蘭さんが先に行ってしまっては、萄真と千寿とはぐれてしまうかもしれない。

それくらい人の混濁が凄まじいので、できるだけ一緒に行動したかったんだけど……。

そう思って、後方にいる二人の名前を叫ぶと、千寿の声が人混みの中から返ってくる。

「うちらはいいから、蘭と一緒にいてーー!」

「わ、分かったーー!」

多分、千寿は萄真といるだろうから、合流しようと思えば……できるはず。

ここで、僕達は別行動となってしまった。


蘭さんが別行動になったことに気が付いたのは、スマートボールと人形すくいが終わってから、はしゃぎ過ぎたせいで切れた鼻緒の為に、人の波から外れた場所にあったベンチに腰かけた時だった。

自分でも思っていない程はしゃいでいた蘭さんは、我に返ってからというもの、ずっと赤面を隠そうと俯いて謝っている。……りんご飴を舐めながら。

「私としたことが……ぺろ。周りが見えていなかったわ……ぺろ。ごめんなさい……ぺろ」

「あ……うん。蘭さんが凄く楽しんでたみたいだから、それはいいんだけど……。鼻緒をどうしよっか……」

検索してみたところ、どうやら直せないことはないらしい。

だけど、鼻緒の代わりになるような紐が手元にない上に、近くにコンビニもなさそうだし……。

蘭さんが歩けない以上、ちょっと遠い所にあるコンビニまで僕一人で行くしかないか。

「ちょっと鼻緒の代わりになる物、買ってくるね」

その時、服の裾が引っ張られる。

「花火、始まるけど……」

「あぁ……確かにそうだね……」

時刻は十九時五十分。花火が打ち上がる丁度十分前。コンビニまで行っていたら、間に合わない時間。

だけど、歩けないのは不便だろうし、何よりここは花火が見づらい。

そう伝えようと思った時、蘭さんの方が先に言葉を紡ぐ。

上目遣いで、りんご飴を舐めながら。

「薔と………………見たい」

……。

……。

………………⁉

今……なんて……?

いやいや。蘭さんがなんて言ったかは……分かってる…………けど。

胸の鼓動が邪魔で、邪魔で……。思考が…………頭が…………止まる。

多分、僕は今、鯉みたいに口をパクパクしてると思う。目線も、瞳孔も、定まっていないような気もする。

只々、蘭さんの言葉が無機質に僕の中で反芻する……。

と、そこに血相を変えた萄真が走ってきた。

「ハァ……ハァ……。千寿……見たか?」

「え……あ…………いや、見てない……けど。……どうしたの?」

「あいつ、目を離した隙にどっか行きやがって……、携帯に何度掛けても出ねぇんだよ」

一瞬、嫌な予感が脳裏をよぎる。

それは、初めて千寿とライブに行った日のことだ。

あの日以来、女性を一人にすることがどれだけ危ないことか、足りない頭に叩き込むように意識してきたはずだった。

なのに……浮かれすぎていた。

いや、今は自分を責める時じゃない。千寿を探しに……。

そう思ったと同時に、千寿を探しに行けば、蘭さんを一人にすることを思い出してしまった。

自然と蘭さんの方に目がいく。

現状、満足な身動きができないでいる蘭さんを一人置いていくことは、果たしていい選択と言えるだろうか?

もし……僕の見てない時に、蘭さんに何かあったらと思うと、どうしても足がすくんでしまう……。

「私は……いいから。千寿を探してきて。……ね?」

少し寂しそうな……目を向ける蘭さん。

「で、でも……」

「私は……ほら。いつでも連絡できるから。だから、早く行ってきて」

携帯を取り出しながら、僕を促す蘭さん。

それでも、僕は……どっちを選べば…………。

迷う僕は決められない。決められない。決められな……。

「…………お願い」

トン……と背中を押される。

……なんだろう?

僕の、体が。足が……。

それまで自分の意志で動かせなかった僕の足は、蘭さんの一押しで動き始める……。

しっかりと、地面を踏みしめて。

千寿を探しに……走り出せた。


千寿が向かいそうな所に、思い当たる節が全くない。

闇雲に探しても埒が明かないので、高所から見渡して探してみることに。

萄真と二人の着替えを待っていた、あの高台に向かう。

そこに……一つ、人影があった。

「ハァ……ハァ……」

ベンチに腰かけているオレンジ色の浴衣を着たその人は、僕を見つけると、ばつが悪そうな表情を浮かべる。

「なんで……来たのさ」

「……」

僕は偶然出会えた千寿と、同じベンチに腰を下ろす。

「どうしたの? 今日の千寿、なんか変だよ?」

「そうかなぁ? いつも通りだと思うけど……」

「いつも通りじゃないよ。それは僕や蘭さん達も分かってる。ねぇ……千寿。千寿が思い詰めてること、なんでもいいから言って欲しい。僕が聞いて何ができるか分からないけど、今の千寿の顔……見てらんない」

無理矢理作ったような笑顔に、テンションの上げ方。普段では絶対に見せないその姿は……見ている僕が苦しかった。

そんなことを露も知らない千寿は、小さなため息を一つすると、手に持っていた狐のお面で自分の顔を隠す。

「薔だけには……言えない」

「な、なんで?」

「だって……言ったら全部、壊れちゃう」

「壊れるって……」

お面が邪魔で千寿の表情が分からない。どんな気持ちでいるのか……分からない。

ただ、声が震えている。お面の所為で籠っている訳ではなく。

よく見れば、千寿の手も、肩も、小さく震えている。

千寿は怖がっている……? さっきから言っている、『壊れる』ことに?

じゃあ……何が壊れる? 大切な物? それがなんで、僕にだけ……言えない?

分からない。僕じゃあ……何も……。

俯く僕を他所に、すくっとベンチから立ち上がる千寿は、お面を着けたまま手すりの方へと向かう。

そして……手すりにもたれかかるように、僕の方に顔を向ける。

お面を、着けたまま…………。

「うち……薔のことが…………」


ひゅ~~~~~~、ババーーーーン!


……。

……。

この祭りの大目玉が始まる合図である、第一発目の花火。

三色に色が変わりながら儚く散っていき……残響だけが空を駆ける。

その次の瞬間、滝でもできたかのような轟音と共に、一斉に花火が打ち上がる。

噂通り、夜を昼に変えると言われる花火は、空を何十色にも色付かせながら咲きと散りを繰り返していた。

……そんな花火の音は、今の僕はなんら気にも止まらなかった。

いや、聞こえない、見えていない、と言った方が正しいのかもしれない。そう思うほどに花火の音も、色も、僕にとって雑音にもならなかった。

僕の脳内で、一つの単語が延々と回っている。

ただの単語……。僕にとって聞き覚えのあるそれは、あまりにも……大きな刃を持ちすぎていた。

「……ね? 言ったでしょ? 壊れる…………って」

「あ…………」

ちゃんと聞こえた。聞こえていた。だけど、理解が追い付けない。

その言葉の意味を知ってるけど……、僕に向けられる意味は知らない……から。


僕のことが……好きだ……って。


そんなこと、今まで言われたことがないから、分からない。

分からない、けど……。でも……、分かる気が……する。

「千寿が……僕を…………」

「言わないでよ。恥ずかしいから……」

「ご、ごめん……。でも、僕……」

「いい。言わないで。薔の気持ちは……、知ってるから」 

それだけ言い残すと、千寿はまたどこかに行ってしまう。

だけど、僕は千寿の背中を追いかけることも、声をかけることも、終ぞできなかった。

僕に……、そこまで気が回る余裕がなかった……からだと…………思う。

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