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とは言いつつも、あまり店から離れるわけにもいかないので、店先に並ぶ待合の人用に置かれている椅子に、腰をかけて待つことに。
「蘭さん……どうするかな……?」
正直、ちょっと強引だった気もする。
蘭さんが望んでいる事が、僕の思いと違う可能性の方が高い。むしろ、全く違うと言いきってもいいと思う。
本気で嫌だって思っていると思う。
それは、僕だって重々分かっている。
分かってはいるけど、最近の蘭さんの変わり様に僕自身、大きな影響を受けていた。
人を遠ざけていた蘭さんと仲良くなれたし、人を信じることを怖がっていた蘭さんが千寿達を信じようとしてくれた。
蘭さんが過去を克服しようと前を向く美しい姿に、僕が勝手に背中を押されたような気がしたんだ。
僕の、背中を。
蘭さんは言葉ではなく、行動で僕の心を動かした。
「僕は……蘭さんと違って、前に進めていないんだ」
僕は人が怖くなって、自分の殻に閉じこもった過去がある。
その殻を、今はもうなくなったように見せているだけ。
本当は……そんなことない。
今も尚、他人のキラキラした一面を見ると姿を現す時がある。
僕が目をそらしてきただけで、心のどこかにはまだいるんだ。
「薔はさ……悩みとかないと思ってた」
すとんっと僕の横に腰を下ろす千寿。
「薔も小さい時に色々あったって言うのは前に聞いてたけど、『自分が成長できてない』ことが、薔にとって重荷だったんだね……」
「……うん」
「人にお節介は焼くのに……、自分は後回しなんだ?」
なんとも鋭い意見。殺傷能力が高すぎるその一言は、流石に効く。
「まぁ、そんな気はしてた」
「え?」
何故か頬を赤らめる千寿は、一切視線をこっちに向けずに足を前後に揺さぶる。
「蘭のこと……ありがと。まず何よりも先に、これを言わないとだったね」
「……」
「でね、薔って……小学生の時も、蘭の時も、ずっと真っ直ぐ人に向き合ってきたでしょ?たとえ自分が傷付いたりしても」
ここで、初めて千寿と目が合う。
心配をしている目……ではなく、何か……こう……?
「だからさ。たまには薔のことも、話して欲しいな。うちじゃあ相槌を打つくらいしかできない、頼りない相手かもしれないけど…………」
誰かに話す……。今まで考えたこともなかったなぁ……。
別に自分のことを話すことが嫌いとか、別にそういう訳じゃない。
経験談としては十分な内容だけど、結局、僕の愚行の末の話になってしまうし、聞く方も気持ちのいい話じゃないから、上辺だけしか話してこなかった。
……。
……いいのかな?
両親にも話したことがなかった胸の内。どこか神聖視さえしていたソレ。
「……いい?」
「もちろんだよ?」
蘭さんの方がいつ終わるか分からないけれど……話そう。
いや、話したい……。
「友達が欲しかった理由は今も分からないんだけど……、あの時は何かに憑りつかれたような奇怪な子だったと思う。そんな僕は、友達だと思っていた人が離れていくのが怖かった。悪口を言われるのが怖かった。だから、無理に繋がりを保とうとして……。それが逆効果だって気付いた時には、僕に関わってくれていた子は一人もいなくなっていたんだ……」
ある子が、僕から遠く離れて歩く家路。
僕の静止の声も聞こえていないようで、振り向くことなく先を歩く光景が瞼の裏に浮かぶ。
……忘れもしない。いや、忘れられない思い出。
河川敷が家路で夕陽を背に歩いていた。
先を歩く子は、最近友達になった男の子。野球が得意な子。
『なんでまってくれないの~~!』
何を言っても、うんともすんとも返してくれない。
こうなったら……走って追いかけるしかないっ!
走って……走って……走って……。
その子の肩を掴もうとした……瞬間。
『さわんなよ!』
僕の右手を振り払うその子は、自慢の足で僕をどんどん引き離す。
その間も、僕の声に一度も振り返ることはなかった。
なんでそんな態度をとるのか? いきなりのできことだったので、理由も何も分からない。
「結局のところ、本人の口から理由を聞くことはなかったんだ。……聞くことが怖かったから。避けられる理由を知りたくなかった……から」
でも、ひょんなことからその理由を聞くこととなった。
小学校の裏に野菜を育てている小さなスペースがあり、そこに水やりの当番として向かった時のこと。
三人のクラスメイトが何か話し込んでいて、てっきり僕を手伝いに来てくれたものだと、そう思っていた。
だけど、聞こえてきたのは誰かに対する悪口。
『あいつ、ベタベタうぜーよな?』
『ともだち、ともだちってそればっか』
『なー』
なんとも言えない空気に、声をかけようか悩んでいると、悪口の標的の名前が続く。
『おれ、あいつむりだわ。しょうってガキみたいで』
『しつこいもんなー』
『なー』
真っ白になる視界。
歪む……歪む……。
……言われたくなかった。
……思われたくなかった。
あぁ………人の悪意が…………怖い………………ッ⁉
三人のクラスメイト。その中に、僕を避けていた野球が好きな子が……。
『あいつのこと、むししてやろうぜ』
それから始まったイジメのような無視は、物を隠されたり壊されたりの域まで発展した。
「だけど……イジメなんかこれっぽっちも辛くなかった。それ以上に……嫌われたことが辛かったから」
そして、僕は逃げた。
誰も僕と関わりたくないんだと気付いてしまったから。
「自己顕示欲……。今思うと、友達をたくさん作っていた動機は、誰かに見て欲しかったんだと……思う。だから、人が人と仲良くしていると、勝手に妬いてるっていうか。自分が醜く思えて、それから逃げるように、自分の殻に閉じこもるようになったんだ……」
恐ろしくつまらない過去。自業自得と言われれば、それまでなのだけど。
すると、千寿の手が、僕の頬に触れる。
どうやら僕は涙を流していたらしく、拭ってくれたらしい。
そして、そのまま僕の頭を抱き………………⁉
「色々あったんだね。……よく頑張ったよ」
「ち、千寿⁉」
ぐっと力の籠る千寿の手は強く、その手から逃れようにも、今の体勢では上手くいかない。
それが分かっていてか、千寿は僕の頭を放そうとしないでいた。
吐息が……すぐ近くで聞こえる……。
「やっぱりこれしか言えない。ありがとう。人との繋がりを諦めないでくれて……」
「ッ⁉」
千寿の言う『人との繋がり』。その真意は、確かに僕に刺さった。
僕を指す、サブタイトルのようなものだったから。
「……そうだ。僕はずっと、繋がりが欲しかったんだ。決して切れない、空虚なものを」
もちろん、自己顕示欲もあると思う。
だけど……それと同じくらい他人と『繋がっていたかった』んだ。
「例え空虚なものでも、その思いを諦めないでいてくれたから、うちと萄真は薔に会えたし、蘭とも今の関係になれた。だから、何度でも言うよ? ありがとう。薔に会えたこと、蘭と仲良くなれたこと、全部……全部……」
一緒に涙を流してくれる千寿にしばらく頭を抱きしめられていると、突然、店内から一つの声が響き渡る。
「ごめんなさい…………ごめんなさい!」
蘭さんの方も、蟠りはなくなったのかな……?
僕の方の昔話のオチは、野球が好きな子の謝罪で終わっていた。
数年の時を越えた謝罪は、偶然出会ったおかげ。
それでも、その子の気持ちを知れたから、僕の中ではもうしこりでもなんでもなかった。
僕の方はいいとして。
いつもと変わらない様子の蘭さんも、無事に終わったらしい。
成り行きを聞く気はなかったけど、これは蘭さんの方から教えてくれた。
「私を嫌っていた子に、半ば強制されてやったらしいわ」
いつもと変わらない? いや、そんなことない。
背中の重荷がすっかり無くなった蘭さんは、清々しい笑顔を浮かべていた。
「全部……あなたのおかげよ。私の背中をいつも押してくれたから……だから、私はこうして笑える。あなたが……」
蘭さんの笑みの裏に、どんなことがあったのか。
僕には分からないけれど……、笑顔が似合う人なのだから、笑顔のままでいてほしい。
そう、思うんだ。
『私……蘭を傷つけた……。本当にごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……』
おじさん二人に連れられて、お店の奥から戻って来た環愛は、涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
噓偽りのない、心の底から来る謝罪と涙。
環愛もずっと、しこりになっていたんだと思う。
『私が何を言っても、言い訳にしかならない……。蘭に恨まれても仕方ないことを私は……したのに……。ごめんなさい……』
膝から泣き崩れる環愛を、私は抱きしめる。
その身の、小さいこと。
『少し前の私だったら、絶対にあなたの言葉を信じることも、許すこともなかったと思う。……だけど。私はもう、『怖いもの』ないの。そうしてくれた人がいるから。だから、あなたを…………許せる』
環愛の頭を撫でながら、心の底からの思いを綴る。
思い浮かぶは、あの男の顔。いつだって私の背中を押してくれた男。
環愛にこうして会うことも。千寿と会うことも。
……あの時、学校に行きたいと思わせてくれたことも。
『そんな簡単に許さないでよ…………蘭が私の前から消えた時からずっと、後ろ指をさされるような人生だった。でも、自業自得だって分かってた! 業を背負って生きないとって……思ってたのに……ッ!』
若かりし頃の、一時の過ち。
確かに、手を下した当人はなんとも思わず生きていくことが殆ど。
環愛のように、責任を感じる者は殆どいないと言ってもいい。
だけど、私の受けた傷と同じく、環愛も傷を負っていた。
その傷は、死ぬまで癒えないと覚悟していた……はずだった。環愛も……私も……。
『もう……いいのよ。私達は十分、傷付いたわ。悩みもしたし、苦しみも味わった。だから、これからは……』
今までの私には考えもつかない、次の一言。
たとえ小説の一節であっても、口に出すのは恥ずかしくて、言えないでいたと思う。
今までの私……なら。絶対。
でも、今の私なら?
無論。前を向いて歩くことの怖さも、楽しさも知った今の私だからこそ、環愛の目を見て堂々と言い放つことができる……!
『これからは……笑っていきましょう?』
小田環愛さんの一件以降、蘭さんは驚くほど笑顔を見せるようになった。
とは言っても、口調とかは急に変わりはしないけれど。
うどん屋を後にした僕達は、クレーンゲームとボウリングを満喫した。
もちろん、蘭さんにとって初体験ばかりのもの。
器用にクレーンゲームで景品を取るものだから、本当に初めてなのか? と最初は疑ってしまったけど、ボウリングでは一ゲームまるまるガーターのスコアを叩き出していた。
体を使うと、得手不得手が如実に浮き彫りなるあたり、やっぱり蘭さんらしい。
「……納得いかない」
その台詞に、千寿がどれだけお腹を抱えて笑ったことか。
本当に、満喫した一日だった。
「いや~~楽しかったねっ! それにしても……ぷぷっ……蘭、ボウリング下手すぎ~~」
「は、初めてだからよ! 感覚が上手く掴めなかったから……」
「三ゲーム目の八投目まで投げて、やっと一本って……ぷぷっ」
「分かった。次はあなたを倒すわ」
「ちょ……蘭さん? どこからそんな自信が……」
煽る千寿に、ムキになる蘭さん。
まぁ事実、蘭さんの壊滅的なセンスのなさは……うん。
「言っておくけれど、あなたは付き合って貰うから」
「えぇっ⁉ 僕ッ⁉」
とんだ飛び火だけど……、蘭さんが楽しそうなら、まぁいいか……?
などと考えていると、千寿が蘭さんと僕の間に割って入ってくる。
「えっ⁉ ずるいっ! うちもっ!」
なにか焦っている様子の千寿に、今度は余裕が出てきた蘭さんが畳みかける。
「あら? 薔がいないと、何もできないの?」
「ち……違うぅううう! けど、ずるいのっ!」
初めて僕の名前を呼ばれてドキッとしたけど……二人を止めないと。
「ま、まぁまぁ」
争いを止めに入るのならば、もっと覚悟を決めて入るべきだった。
そう気付いたのは、時すでに遅し。
「来てくれるわよね?」
「行かないよね⁉」
「あ……あははは……」
覗き込むように凄んでくる二人。その迫力はさながらトラとライオン。
なんて返したら、この場は収まるのか?
学生人生、一度も教わったことないぞ? この場の打開策なんて……。
あぁ……誰か助けて……。
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