7
千寿達と蘭さんの仲が深まってからというもの。
休日や暇が合えば会って話すようにもなったし、出掛けるようにもなった。
それだけではなく、四人だけの共通の連絡手段までできたのだ。
今日は急遽バイトで来られなくなった萄真を除いた三人で、いつもの大型ショッピングモールに赴いていた。
なんでも、例の千寿の好きなバンドのイベントがあるらしい。
向かう先は、以前千寿と行ったステージ。
「千寿……。まさか、これに並ぶの……?」
開いた口が塞がらない僕の目線の先には、二時間待ちの立札を持った列整理のスタッフが、イベントに訪れたファンにペコペコしながら誘導を行う光景が映っていた。
「イベント開始の一時間前でこれ……どうしよう……」
今日のこのイベントをかなり楽しみにしていた千寿は、半べそをかきながら肩を落とす。
「ま、まぁ……並ぶだけ並ぶ?」
僕とて楽しみにしていたので、タダで引き下がりたくはなかったけど、蘭さんがそれを許すかどうか……。
「えぇ。でも、今度来るときはちゃんと調べてから来ないとね……」
優しい性格の蘭さんは、興味ないと言いきっていたバンドのイベントにもわざわざ来てくれたのだ。今更帰ろうなどと言わないことは……、分かっていた。
そんな蘭さんの発言に、浮かべていた涙を堪える千寿は少しの間固まっていたが、何かに気付くと蘭さんの手を握りながら笑顔を咲かせる。
「蘭……。また一緒に来てくれるの?」
「そ、そこまで言って……ないことも、ないけれど……」
まんざらでもない様子の蘭さんは、スタスタと列の最後尾の方へ歩を進める。
そのすぐ後ろを追うように付いていく千寿は、蘭さんの背中に飛びついていた。
千寿は気付いていたかな? 蘭さんの初めて見せた笑顔に。
————————。
「でね、先着順で貰えるカードがあるんだけど、誰のカードが貰えるか分からないの。うちとしては、ヴォーカルのカードが欲しいんだけど……」
「それが魂胆だったんだね」
「まぁ確かに、頭数で挑めば手に入る確率も上がるでしょうけど……それにしても、詰めが甘かったわね」
列の先頭の方から順に特典カードを配り始めるスタッフを尻目に、その列の長さを見て改めて淡々した態度の蘭さん。
先着二百名と書かれた札と列を見るに、二百名にギリギリ入っているかどうか。
ドキドキしながらスタッフが来ることを、半ば祈りながら待つことしかできない。
千寿に至っては、目を瞑り、両手を固く握りながら天を仰いでいる始末。
そして順々に僕達に迫るスタッフ……。
……。
……。
「申し訳ございません。特典カードの配布はこれで全てとさせて頂きます」
それだけ言い残して、スタジオの方へ帰っていくスタッフの背中を他所に、空っぽの手のひらを眺める女性が一人。
「ああぁ…………」
残念ながら、肩を落とす千寿の手に特典カードはなかった。
……のだが。
「あ……一枚だけなら、貰えたわ」
「う、噓……⁉」
丁度、蘭さんのところで配布が終わってしまったが、なんとか確保できた最初で最後の希望。
「でも……一枚かぁ……」
バンドのメンバーは全員で四人。狙いは……ヴォーカル。
四分の一を見事当てられるのか……?
千寿の頼みで、蘭さんがカードを包む外装を破り、カードを伏せて千寿に手渡す。
千寿の生唾を飲み込む音が聞こえる。それほどまでに真剣な千寿は、左目だけを細く開けながらカードを返し……。
「…………」
「ど……どうだった?」
「まさか……」
僕達をイヤな空気が覆い始める。
これは……外れたか……?
諦めの感情が芽吹き始める僕と蘭さん。
そんな僕達を他所に、大声を上げながら千寿は蘭さんに抱きつく。
「うわ~~~~ん! TAKAでだぁああああっ! ありがどゔぅううう!」
「えっ、ちょ、ちょっと⁉」
「おおおっ! 蘭さん凄いよ! ヴォーカルの人だよ!」
人目など気にせず、びっくりするくらい喜ぶ千寿に、どこか嬉しそうな蘭さん。
イベント自体が、まだ始まっていないというのにこのテンションで、今日一日持つのだろうか?
それでも……。
「仲がいいのは、良いことだよね」
蘭さんと千寿を眺める僕は携帯を取り出すと、パシャリとシャッターを切る。
笑顔の二人を、そっと切り抜いておきたいと思ったからだ。
約三時間のライブが終わり、続々と人が会場から出てくる。
その波の中で、蘭さんは千寿の肩を借りながら太陽の下に姿を現した。
「大丈夫……? 無理しなくてもよかったんだよ?」
「無理は……してないわ」
「蘭さんの初めてのライブに、ロックは流石にキツかったよね……。ライトとか音が凄いし」
爆音に方向感覚は狂わされるし、眩しいライトは視界がぼやける。
僕も初めての時は大概だったが、蘭さんがここまで耐性がなかったとは……思わなかった。
「でも……いい経験になったわ」
ライブに来たことを後悔するわけでもなければ、逆に、興味を持つようになった蘭さん。
何曲か心に刺さるものがあったらしい。
それから、蘭さんの初めてをいっぱい増やそうと話は大きく変わり、なんと、うどん屋へ。
流石、大型ショッピングモールと言ったところか。うどん屋だけでも三店舗はあった。
中でも千寿が気に入っているという、そこそこ有名なうどん屋に決まった。
なんでも、朝一で打った麺を使っているらしく、コシが凄いらしい。
千寿のおすすめポイントを聞きながら、エスカレーターを使ってショッピングモールの二階に行くと、そこで構えるうどん屋は、老舗のような佇まいをしているだけではなく、店内も凄かった。
木目に年季が入っている太い木が、店全体を支えるように伸び、本物ではないであろう緑の葉が生い茂っているのだ。
従業員は厨房のおじさん二人と、席の案内をしている若い女性の三人。
「三名様ですか?」
「はい」
「では、こちらのテーブルへどうぞ」
ライブが終わったのが昼過ぎだったこともあり、店内は僕達しかいなかった。
座席に着くなりメニューを開く千寿は、早速、頭を抱える。
「きつね……いや、暑いから冷たいもの……ううん…………」
「今日は自分のだけにしてね?」
「な……ッ! いつもうちが自分の以外に手を出してるような物言いは、やめてもらおうか!」
「いつもだよ…………」
白々しい千寿は置いておいて。
それぞれ、何を頼むか決めたところで店員さんを呼び、注文をする。
僕は、ざるうどんを。
千寿は、ぶっかけうどんを。
蘭さんは、わかめうどんを。
「なんで、わかめうどんにしたの?」
「わかめうどん……初めて聞いたからよ」
「えっ⁉ わかめ入れないの?」
「入れるけど……一つまみ位?」
「あ~~なるほど」
メインがわかめのうどんが初めてらしい。
そんな蘭さんの意外な一面を厨房のおじさんは聞いていたらしく、陽気な感じで蘭さんに話しかける。
「およ? 嬢ちゃん、わかめうどん初めてか! んなら、これでもかってくらい入れちゃろ!」
「あ……、どうも……」
「おお! よかったじゃん!」
それから約五分後。女性の店員さんに運んでもらい、全員のうどんが出揃う。
「いっただっきま~~~すっ!」
「いただきます」
「い……いただきます」
運ばれてきたうどんに、思わず気を抜かす蘭さん。
それもそのはず。
おじさんがサービスしてくれたわかめの量が、大食い企画の何かかと勘違いしてしまうくらい、山積みになっていたのだから。
「わかめうどんって……こんなものなの?」
視線と同じくらいの標高を誇るわかめ山は、今にもどんぶりからこぼれそう。
これには確信犯のおじさんも笑いを堪えきれず、お腹を抱えて笑い声を上げる。
「がはははっ! ちとやり過ぎたか?」
「加減を知らねぇ男だなぁ、あんさんは。がはははっ!」
もう一人のおじさんも、わかめの量を咎める様子など一切なければ、むしろ腹を抱えながら笑い合う。
そんな二人をさておき、どこから箸を入れようか悩む蘭さんは、どんぶりを何回か回す。
「……」
二、三周回しても、なかなか箸が動かない蘭さんに、千寿がうどんを頬張りながら目を光らす。
「食べづらそう……。あっ! 良かったらうちが……」
「千寿ぉ?」
「あ、安心して。ちゃんと自分で食べるから」
千寿に狙われながらも、着々と食べ始める蘭さん。
各々が半分ほどまで食べたところで、女性の店員が追加のお冷を持って来てくれた。
「はひはほうほはいはすぅ……」
「いえいえ~」
「食べながら喋らないの。もう……」
「あははは……。あ、蘭さんは水……」
カランッ!
コップを落とした姿のまま、硬直する店員さん。
幸い、プラスチックのコップだったおかげで、割れたりはしていないのだけど……。
「あ……す、すいません!」
そのまま、店の奥へと消えてしまう。
「どしたんだぁ?」
「ちと見てくるさかい、お客さんは任せるで」
一人のおじさんが、女性の店員さんを案じてか、後を追うように店の奥へと向かう。
たちまち、しーーん。と、静まり返る店内。
すると、気を遣ったおじさんが天ぷらを持ってきてくれた。
「なんか……わりぃねぇ。コレ、お詫びだぁ」
海老天、イカ天、ゲソ天を三つずつ。あまりにも太っ腹なお詫びは、別に僕達が濡れたわけでも何でもないので、正直受け取り辛かった。
「お、お気になさら……」
「わぁああああ! ありがとうございますっ!」
颯爽とおじさんから天ぷらを受け取る千寿は、もう海老天を口に運んでいる。
なんて速さ。僕の遠慮の台詞が入る隙を与えない。
ところで……。千寿は聞こえていただろうか……?
さっきの店員さんが、ボソッと「蘭」と発していたことに。
それはどうやら、蘭さん本人には聞こえていたらしく、暫く僕と目が合ったまま固まる。
「あの人……蘭さんの知り合い?」
蘭さんは首を横に振る。
「私の知り合いなんて、あなた達くらいよ」
嬉しいことを言ってくれるけど、どこか自虐さを感じてしまう。
それは、それとして。
あの店員さんのことを、蘭さんが忘れているだけの可能性は……あるかも。
「あ、あの……」
厨房で洗い物をしているおじさんに、声をかける。
「塩か? タレか?」
「いえ、天ぷらの話ではなくて……」
その続きを蘭さんが尋ねる。
「今の方は、なんてお名前で?」
「あぁ……、あの子は小田環愛(おだかんな)ちゃん。よく働く可愛い子だろぉ?」
ガチャガチャと洗い物を済ませるおじさんは、手を拭きながら小田環愛の身の内話を始める。
「環愛ちゃんの両親とおっちゃんが旧友でなぁ。こんな小っさい頃から環愛ちゃんを知っとるさかい、店の手伝い兼看板娘になってもらっとるんや」
にしても……。
「あんなミスするところは初めて見たなぁ……。あっ、何か知っとるか? 兄ちゃんたちよ」
心配の表情を浮かべるおじさんは、頭を掻きながらさっき洗った物を拭き始める。
そんなおじさんに、蘭さんは変わらない口調で短く返す。
「知っているわ」
「おっ! そうかい! んじゃあ環愛ちゃんは、姉ちゃんに任せた!」
そう言うと、残るおじさんも店の奥に行ってしまった。
軽やかな足取りで。
「え? やっぱり、蘭さんの知り合いだったの?」
反応しづらい自虐をしていたせいもあり、思わず驚いてしまう。
そんな僕に反して、どこか言いたくなさそうな蘭さん。
その様子をずっと聞き耳を立てながら天ぷらを食べ尽くしていた千寿は、いち早く蘭さんの口籠る理由に気付く。
「まさか……あの子⁉」
「……恐らく、そうよ…………」
「ううう……。千寿に分かって、僕に分からない人……?」
「別に、なぞなぞでもなんでもないわよ」
ハァ……とため息をつくと、蘭さんは彼女の正体を話してくれた。
「あの子は、私が唯一心を許した子で…………私を裏切った子よ」
重苦しく、そして、決して責める矛先を彼女に向けない口調。
でも、抑えきれない動揺は簡単に見て取れた。
「そっ……かぁ…………」
小田環愛。あの人が、蘭さんを深く傷つけた人。
許せない。絶対に許せない。
人の、「他人を信じる気持ち」を踏みにじる行為が、どれほどまでに残酷で、残虐か。
……。
……。
でも。
怒る権利を持っているのは、僕じゃない。大きな傷を持った蘭さんだ。
「蘭さん……」
今の僕に出来ること。
それは……。
「私は……もういいから。過去のことなんて……もう…………」
重く、暗い過去。
ある種のトラウマのような『呪い』は、打ち明けるだけでも苦しい思いをするというのに、『呪い』の象徴ともいえる人が近くにいたのだ。
怒りと一緒に、恐怖の感情が生まれてしまうだろう。
小田環愛が。ではなく、過去に直面することが。だ。
だからこそ……じゃないか?
自分の過去に向き合うことができる機会なんて、人生でそうなんどもあることじゃない。
恐怖も、後悔も。
その全てにおいて、もう一度は……ない。
それが、再びあったのだ。
……そして、もう一つ。
「蘭さんは、前を向いて歩いてる。ちゃんと自分の足で、踏みしめて……。今まで信じることを嫌っていた蘭さんが、こうして千寿と出掛けるようになったり、嫌なはずの過去の話を打ち明けてくれたり……。それは確かな前進だよ。蘭さん自身が選んで進んだ『結果』だよ! 今の蘭さんは……最強なんだよ! どんな壁もぶち壊せる。辛かった過去に、ケジメをつけられる……ッ!」
「~~~~ッ!」
「行ってきてよ。僕達は外してるから」
「……」
小刻みに震える蘭さんの手。
呼吸も少し乱れている。
「大丈夫。怖くないよ。僕も千寿も、蘭さんの味方だから。ね?」
ずっと黙って聞いていた千寿は、蘭さんの手に自分の手を重ねる。
「うちも蘭の味方。怖くなったら、すぐに呼んでね」
悪く言えば、逃げ道をなくすようなやり方。
良く言うなら……背中を押すやり方。
どう取るかは蘭さん次第だけど、僕達ができるのはここまで。
後は蘭さんに任せると、口には出さずに千寿と一緒に店の外へと出る。
頑張れって、応援もしながら。
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