6

たった今、僕は大きなショッピングモールにいる。

このショッピングモールはここ近辺の地域では最大級で、飲食店、服屋、映画館、娯楽店など数え始めるとキリがない程あり、前回千寿とライブに行ったステージもここにある。

ある意味、良い経験と悪い経験の両方を得た場所でもあった。

そんなちょっぴり忌まわしい場所に、今回は千寿とではなく別の人と訪れていた。

と言っても、待ち合わせの時間よりも十五分程早く来てしまっているので、まだ一人だけど。

流石に早すぎたので、退屈しのぎに例のバンドの曲を聞いていようと携帯を取り出す。

その時、一つの気配が僕の目の前で立ち止まる。

「早いのね」

「あ、うん。まぁね」

今回、一緒にショッピングモールに来た人は、言わずもがな、蘭さん。

あの後、日を改めて蘭さんの話を聞くこととなり、二日の時を超えて今日に至った。

かなり悩んだと思う。だけど、多分、コレは必要な行為であり、蘭さんが前を向いて歩くための第一歩として、大きな意味があると思う。

誰かに話す。その大事さを、他でもない僕が知っているから。

とりあえず向かった先は、初めて入る喫茶店。

いつも頼んでいるというコーヒーを頼むと、一層、蘭さんの纏う雰囲気が沈む。

それでも、蘭さん自身の意志で席を立たないのであれば、僕は黙って待つ他ない。

小刻みに震える蘭さんが、話し始めるのをただひたすら……待つ……。

……。

……。

「私……人が怖いの」

それは、頼んだ物を二度、口に含んでからのことだった。

「小学生の頃って、何にでも興味を持ちたがるわよね? それは私も同じなのだけれど、興味の対象が私は他人とは少し違っていたの」

カップの持ち手をなぞる蘭さんは、遠い過去を振り返る。

「小学生みたいな子供って普通、そういう興味は『他人』に対して起きることが当たり前で、その時の距離感って結構無遠慮で……。私は、それが耐えられなかった」

こんな子がいる。あんな子がいる。

自分と同じような人間であるはずなのに、『出来ること』、『出来ないこと』が明確に違う不思議。

そこからくる、『他人』への興味。

だが、良くも悪くも、幼い子供は他人との関係に、距離感など一切考えない。

考えつかないと言った方が正しいだろう。

ましてや、距離の詰め方など。

蘭さんは、それが……苦痛だったらしい。

「別にイジメがあったとかではないけれど、土足で私の世界に踏み込まれるのが嫌だった。探求心を理由に、話しかけられるのが嫌だった。だから……他人が怖くて、学校という場所が嫌いになったの」

たったそれだけのことで? と思う人がいてもおかしくはないだろう。

だけど、自分だけの世界が明確に存在している人にとって、執拗に迫られることは苦痛でならない。

それが分からない周りの子達は、当時の蘭さんを無意識に追い詰めていたのだ。

「それからよ。学校に行かなくなったのは」

なのに……と続ける。

「私の家にまで押しかけて、無理矢理学校に来させようとする子が、一人だけいたの。毎日毎日、私の部屋のドアの前まで来て……」

鞄の中に手を入れ、一冊の本を取り出す。

最も記憶に新しい絵本。「どうぶつ学校のおともだち」。

「この……絵本を持って来ていたの」

何度も物語の内容を説明しては、蘭さんが読むまで帰らないとまで言い出していたらしいその子。

その子に、心当たりがある……ような、ないような。

「なんの返事も返さなかった私に、その子はずっと話しかけてきて……。ある日、この絵本を置いて帰ったの」

懐かしむような顔で、表紙を撫でる。

いつか見た、あの顔と重なる。

「自分の目で初めて見たこの絵本は、その子が話してくれていたよりもずっと面白かった。それと同時に、『学校』に行く魅力とか、意味とかが分かった気がしたの」

そんなに壮大な内容でもない絵本なのだが、最も影響を受けやすい年頃には、結構濃い内容であることに間違いはない。

そのことに着目できるあたり、当時から蘭さんはかなり地頭が良く、自分の世界が明確にあったんだと思う。その反面、周囲の子と馬を合わせづらいといった問題に、蘭さん自身悩んでいたのか。

「そんな時……毎日来ていた子が突然来なくなったの。それまでがそれまでだった分、当時の私は……その…………寂しいというか、何というか……。今でもよく分からない感情に苛まれたことだけは、覚えているわ」

自室から出たことはおろか、一度も返事などしなかったらしく、それが今もしこりになっているという。

その後、蘭さんは学校にちゃんと行くように頑張ったらしい。人との仲を作ることには、相変わらず苦戦したらしいけど。

そんな蘭さんに反し、毎日蘭さんの家に来ていた子は……学校にも来なくなっていたという。

「その子とは……それっきり?」

「えぇ。どうやら、私が学校に行くようになる前に……転校してしまったらしいの。生憎、顔を一度も見たことがなかったから、会ったとしてもどんな子だったかなんて、見当もつかないけれど……」

鞄の中から一通の封筒を取り出す。

何の変哲もない、白い封筒。

「これは?」

「まだ私の家に通ってくれていた頃に、その子が置いていったものよ。なんでも、『友達の証だから、これを持って一緒に学校に行こう!』って。いつの間にか、勝手に友達扱いされてね」

封筒を逆さに向けると、なにやら変な形をした針金のようなものが出てくる。

「何に見える?」

「え、えぇっと…………、これ…………猫?」

「不正解。これ、ラスカルらしいわ。どうやら、この針金がその子曰く『友達の証』。……だから、ちゃんと壊れないように保管していたの。いつかまた会って、ありがとうって伝える為に」

大事そうに封筒にしまう蘭さんは、真っ直ぐな目で僕の目と合う。

具体的な方法は定かではないにしろ、蘭さんを学校に行かせるように頑張ったのは他でもない、その子。

僕は思う。もう一度会えたら……きっと蘭さんは、前向きに歩けるんじゃないか、って。

「その子に会えたら……いいのにね。そしたらきっと……」

心の底から思う。蘭さんの支えになった人は、いまどこで、何をしているのだろうか。

蘭さんの背中を、もう一度押してはあげられないのだろうか……。

「……探そっか! その子を!」

「え……いや、もういいの」

目を丸くする蘭さんは、戸惑いの表情を浮かべる。

「え?」

「……え?」

それは、僕にも伝染する。

「探さないの?」

「だってその必要……って、それ本気?」

「う……ん。本気……?」

「……薄々そんな気はしていたけど、面と向かって言われると……ショック」

「ど、ど、どゆことッ⁉」

ため息しか溢さない蘭さんはカップに残った中身を飲み干すと、絵本を僕の方へと差し出す。

「これは、あなたに……」

その瞬間。着信音が鳴り響く。

「あ、わ、わっ!」

着信があったのは僕の携帯。思いの外……音が大きい。

「ご、ごめん! すぐ戻るね!」

「え、えぇ……」

慌ただしく店の外に駆けだす僕は、蘭さんのため息がギリギリ聞こえた。

話の途中だったのに申し訳ないと、後で謝らなければと思いつつ、電話を取る。

そして、相手の用件を聞いて…………。

「蘭さん! その……千寿が…………会いたいって……」

蘭さんに、急いで伝えに戻った。


場所は変わって、とある小さな公園。

小学生達が鬼ごっこやボール遊びをしている。そんな賑やかを通り越して騒がしい空間の端で、僕と蘭さんは気まずい空気を吸っていた。

空いている椅子が丁度一つしかなかったので、二人で一緒の椅子に腰を下ろすしかなかったから……と言っても、この気まずさの大きな原因は、主に蘭さん。

少し呼吸のリズムがおかしい蘭さんの横顔は、どこか青ざめていて……心配してしまう。

「大丈夫? ……な訳ないよね」

かける言葉の何が正しいのか分からない。

けれど、何でもいいから応援してあげたい。そんな気持ちが先行し過ぎないように気を付ければ気を付けるほど、余計にいい言葉が見つからないジレンマ。

そんな僕を見透かしてか、蘭さんの方から心情を話してくれた。

「どんな顔して……あの子に会えばいいのか、分からない……。遠ざけたのは、私だから……」

「そっか……」

蘭さんの他人への拒絶。それは、僕に話してくれた部分だけでは、ここまで酷くならないはず。

多分……頑張って学校に行ったのはいいものの、その後に何か大きな問題が起きたのだと思う。

「まだ……あるんだよね? 蘭さんに圧し掛かっているモノ。……聞くよ」

そんな予想は、的中していたみたいだった。

「……中学生の頃に、明確なイジメにあったの。ただのイジメ程度なら別に気にもしなかったのだけれど……、私の大切な絵本を傷付けられた。あ、この絵本じゃなくて、中学校の図書館にあった別のこの絵本なのだけれど。それでも……私の支えになってくれた子を傷付けられたみたいで、耐えられなくて。それを、小学生の時に唯一話し相手になってくれた子にされたの。誰も信用できなくなる理由……あなたにも分かるでしょう?」

予想を遥かに超えていた、友達の裏切り。

僕にも似た様な経験があったけど、それとは根底から違うが故に、いい言葉を返すことも軽率な同情もできない。

そもそも僕が受けた友達からの裏切りは、小学生の時。僕の人との距離感の詰め方に問題があったのが原因。

僕自身、ちゃんと反省すべきことだし、自分の中で受け止めきれているから問題はないけれど。

ただ……蘭さんは恐らく違う。蘭さんにとって『大切な物』が何か分かった上で、その友達は絵本を……。

これでは他人を信じられなくなるのも、拒絶するのも、無理ない。

「でも……」

思い浮かべるのは、これから会う二人の顔。

「蘭さんと仲良くしたいって思ってる……特に千寿のことを信じることは、できない?」

「……怖い。信じることって、裏切られることの表裏一体だから」

両手の指を絡ませる蘭さんは、顔を上げずに俯き続ける。

蘭さんの苦難に満ちたこれまでの人生は、決して楽ではなかったことは、もう分かっている。

前進することが……容易ではないし、厳しいことも。

でも、蘭さんの『蘭さん自身が忘れているであろう、変わらない本心』に、僕が気付いてしまったのだから、しょうがない。

「それでも……『信じていたい』…………だよね?」

「……」

周囲の音が、遠ざかる。

僕達だけを、切り抜いて。

「『僕だけを信じて』なんて言ったけど……蘭さんのことを信じたいと思う人を、蘭さん自身で信じてあげてほしい…………って思うんだ。だって蘭さんは、優しいんだもん。僕だけなんて、できないよね?」

何も、蘭さんの全部を分かっている訳じゃない。

だけど、今こうして千寿と会うと決めてくれたこと。

会うにあたって、千寿に自分がどれだけのことをして、どんなな目に遭わせたのかを、後ろめたく、且つ、申し訳ないと思っていること。

それだけで、蘭さんという人がどんな人か……分かってしまう。

「……あ、来たよ」

ドタバタと走ってくる二人の影は、公園の中にいる僕と蘭さんを見つけると、呼吸を整えながら近付いてくる。

「ら、蘭……」

「……」

どんな言葉で話せばいいのか分からない二人。

暫く間、沈黙が続く————。

……。

……。

僕と萄真はただ黙っていることしかできず、二人の行く末を見守ることしかできない。

どちらとも目を合わせず、ただ時間が……過ぎていく。

そんな沈黙をやっと破ったのは、震え声の千寿からだった。

「ご…………ごめん!」

振り絞って出した声だっただけに公園中に響き渡っているけど、今の千寿はそんなことに気を回す余裕はない。

「うち……蘭のこと、何も知らないで…………。ぐっす……。それなのに、無遠慮にずかずかして、ほんっとにごめん! 謝って済むようなことじゃないのは、分かってるけど……」

涙を流しながら頭を下げる千寿に驚きを隠せない蘭さんだったけど、千寿の手を取りながらしっかりと応える。

「私の方こそ……。あなたを傷付けるつもりは、なかったの…………」

「うぅううう……蘭~~~~~ッ!」

「ちょっ………………、もう……」

感極まった千寿が蘭さんに飛びつくも、まんざらでない様子の蘭さんは、千寿の体を受け止める。

そんな二人見て、思わず安堵の息が零れてしまう。

「薔? どこに行くんだよ?」

公園から出ようとする僕に、萄真が声を掛ける。

「今は二人水入らずの方がいいかなって。だから、コンビニに飲み物でも」

「そう……だな。俺も行く!」

「うん! 行こう行こう!」

千寿と蘭さんを残して、コンビニに萄真と一緒に向かう。

ここは車通りの少ない道なので、横並びになって歩いていた。

「ほんと……つくづく薔は、バカみてーにスゲーやつだって思わされるな~」

頭を掻き、僕とは別の方向に目線を送りながら、ぶっきらぼうに話し出す萄真。

「前もそんな感じのこと言ってたけど、僕は別に凄くとも何ともないよ?」

「……ちげーーって」

不意に立ち止まる萄真。

信号を渡り切るまで萄真の異変に気付かなかった僕は、道路を挟んで萄真と対峙する。

「どうしたの……?」

一車線道路に掛かる横断歩道。

やがて、赤色に変わる信号。

「萄真……?」

そして、ゆっくりと口を開ける萄真。

「薔……俺は…………」

その続きが、僕の耳に届くことはなかった。

一台の大型トラックが、二人の間を走り過ぎたから……。

再び変わる、信号の色。

「さっき、なんて言ったの?」

「……なんでもねーー」

先にコンビニの中に消えていく萄真は、それ以上、僕に何も言うことはなかった。


適当に飲み物を買って、公園に戻る僕と萄真。

どうか、良い感じの雰囲気になっていますように……と切に願っていたけど、どうやらそれは杞憂に過ぎなかったようで。

千寿と蘭さんは、神妙過ぎない表情を浮かべながら何かを話していた。

先程買ってきた飲み物を分配しながら、僕は千寿と蘭さんに質問を投げかける。

「どんな話を……って聞くのは、野暮だよね」

「いや……そんなことないわ」

蘭さんは僕が渡したコーヒーを口にしながら、「苦……」と小声を溢す。

「蘭は……うちに辛い過去の出来事を話してくれたの」

借りてきた猫以上に猫状態に陥っている千寿は、どこか小さく……なっている。

「ごめんね……。うち、鈍いというか、無神経で……」

「さっきも言ったでしょう? 悪いのはあなたじゃないって。あなたを追い詰めたのは……私が未熟で、まだまだ子供だったからよ」

相も変わらず、他人を突き放したような言い方の蘭さんだったけど、それは以前までの蘭さん。

今の蘭さんは、どこか違っていた。

「そっ……その…………ごめんなさい」

蘭さんの口から千寿に対して、謝罪の言葉が述べられる……。

失礼ながらも驚きの表情が浮かんでしまう僕は、どこかこそばゆくなる。

「蘭さんを、絶対に一人にしないから。だから……ね? 蘭さんは僕達を信じることを、怖がらないで。僕達の『信じる気持ち』を、信じて」

蘭さんの手を取りながら続ける。

「ちゃんと話そう? 今じゃなくてもいいから、いつか……」

「だ、誰と……?」

「蘭さんを裏切るようなことをした人と……、蘭さんが学校に行くようになった、きっかけの子だよ?」

「それは……」

気まずそうに目を背ける蘭さんは、どこか寂しそうな表情を浮かべる。

「もう……過去のことはいいから」

思い出したくもない過去に、口を噤んでしまう蘭さん。

握る手が……少し震えているのが分かる。

そっか……。怖いんだ。

千寿に会う前と同じか、それ以上に。

なんとかしてあげたい。そう思う気持ちが強くなってしま……。

「……いつまで握ってるのよ」

ジーーーーっとストローを咥えながら、ジト目を向ける千寿。

その視線は僕と蘭さんの手に注がれていて。

「あっ、わっ……、ご、ごめん……」

「い、いえ……」

「むぅううう……」

この何とも言えない空気に……。

「んんん……俺、アウェイ?」

そこまで気にしていない萄真だった。

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