5
桜の木も完全に緑と化し、大学生生活にも慣れが生じてきた頃。
日数の経過で言うなれば、僕が本屋で蘭さんと会ってから三週間程度。
いやはや、葉桜の満開とは早いもので。
丁度、敷地内に授業終わりのチャイムが鳴り響き、学生が校舎からぞろぞろと出てくる。
そんな最中。
「うち……うち……あぁああ…………うわぁあああああああああああんっ!」
無様に、不格好に、周りの目も気にしない泣き叫ぶ声が、響き渡る。
「……え⁉ ち、千寿⁉ どうしたの⁉」
地面にへたれ込む泣き声の主。千寿を見つけ、駆け寄る。
一体全体、何があったのか。その説明も聞けないくらい、千寿は錯乱状態だった。
「うぢぃ……バカだっだぁああ……」
初めて見る千寿の姿に、僕の方も冷静でいられない。
と、とりあえず、人目のつかない空き教室に千寿を連れて行こう!
千寿が落ち着くまで、水を買って……。それと、ティッシュを買って……。
あわあわするしかない僕は、落ち着くまでの『手助け』が精一杯。
あやすように背中をさすりながら、黙って千寿が落ち着くまで待つことに。
……。
……。
それから、小一時間くらい泣き通した千寿が落ち着きを取り戻したみたいなので、改めて何があったのか聞いてみる。
「うちが……ひっく…………蘭を……傷付けちゃったぁ……」
「傷付けた?」
「うん……」
言っている事がさっぱりで、僕の頭じゃあ理解が追い付かない。
「それって、どういう……?」
「なんて言ったらいいか分かんないけど……でも、傷付けた」
「……」
『……蘭⁉』
『……誰?』
偶然出会った二人。蘭と千寿。
実は……二人がちゃんと話したのは、これが初めて。
薔から色々聞いていた千寿の方から、意を決して話しかけたのだ。
『覚えてない? 同じ高校だった金菊千寿って言うんだけど……』
『……で、私になんの用?』
相も変わらず冷たい態度の蘭は、千寿の顔を見ずに鞄の中を手探り、いつも読んでいる本を取り出す。
明らかな壁を感じつつも、千寿は頑張って話しかけ続ける。
『あ……そ、その……今度一緒に……出掛けない?』
震え交じりの声。ちゃんと言えているのか分からないけど、必死に伝える。
『……どうして? 私とあなたは、そんな仲じゃないと思うのだけど』
『あぁ……そ、そんな仲には、なれない……のかな?』
『質問を質問で返すようで悪いけれど、私なんかとなる利点……ある?』
しおりを頼りに本を開き、これで終わりと言わんばかりに歩きはじめる蘭。
その手を……千寿は引き留める。
『なっちゃぁ……いけないの? うちは、蘭と話したい。……薔みたいに』
『ッ⁉』
『……だめ?』
怯えながらも蘭の手を握る千寿は、半分泣きそうな顔で覗き込む。
そんな千寿を見て……蘭は千寿の手を強引に振り払う。
『なんで……なんであなた達はッ! いつも、いつも、いつも、いつもッッ!』
千寿の知る限り……初めて見た蘭の咆哮に、思わず後ずさりしてしまう。
『何がそんなに楽しいのッ⁉ こんな私なんかに関わろうとして! もう……もう嫌なのッ⁉ 私に近付いてくる人……みんなぁッッ!』
心の底から来る……拒絶。今まで封じ込めていた『モノ』が、何をトリガーとしてかは定かではないが、姿を表していた。
『いい加減にして……。もう…………いい加減にして……』
恐怖。不安。畏怖。憂慮。鬼胎……。
ただ棘のある拒絶の内には、外界と接することへの『恐れ』が過敏に感じられる。
壊れる一歩手前……いや、もう既に、蘭にとって大事なナニかが、壊れてしまって……いるのだろうか?
走り去る蘭をただ見ていることしかできない千寿は、込み上げる悲しみの感情に押し負けてしまっていた。
千寿が苦しんでいる理由。
それは恐らく、蘭さんに直接聞くしかなさそう。
千寿の頭を優しく撫でながら、僕は胸の内で覚悟を……決める。
「僕が、話してくるよ」
きっと足蹴にされるだろうけど……話さないと何も始まらないことは、痛い程知っている。
蘭さんの抱えているモノは、きっと重いものだと思うから。だから、話さないと。
「落ち着いたら、また連絡してね」
そう言って立ち去ろうとした僕の上着の裾が、無遠慮に引っ張られる。
もちろん、引っ張っているのは千寿。
「ど、どうしたの⁉」
もしかして体調が優れない……とか?
なんて心配していたけど。
「……もうちょっと…………、いてほしい……」
どうやらもう少し、横にいた方がいいらしい。
とりあえず、落ち着くまで一緒にいることに…………と思っていたんだけど、結局、高校の時の話から、全く関係ない話にまで発展していた。
そのおかげかは分からないけど、どうやらいつもの千寿に戻れたみたい。
喋り過ぎで喉を痛めるくらい、ずっと喋っていたけど。
僕達は、ずっと……一緒にいた。
くだらない話も大詰めとなった頃、授業終わりの萄真と合流することに。
重たそうなリュックサックを背負ってきた萄真は、机の上にリュックサックをドカッと投げ捨てると、椅子に腰を下ろす。
「はぁ……ったく、聞いてた話じゃあ、千寿がアホみたいに落ち込んでるって……。なのに、なんちゅう変わりようや」
焦って損した。と言いながら、勝手に僕の水を飲み干す萄真。
今、千寿はトイレに行っている。化粧直し……らしい。
故に男二人、教室の中。
「……真剣な話さ」
「ん?」
重い雰囲気の萄真は、空っぽにしたペットボトルを握り潰す。
「今回も、ナンパの時も、千寿の所に駆けつけてくれて……あんがとな」
「今回はたまたまだし、ナンパの時は僕の不注意が招いたことだし……。特別感謝されるようなことなんて……」
「あるんだよ。……何もできなかった俺からするとさ」
「ん?」
萄真の真意が分からないけど、何かを含んだ話し方だけは引っかかる。
丁度その時、千寿がトイレから戻ってきた。
「お、揃ったねっ! 萄真! 薔! 何か食べに行こっ!」
なるほど。その為の化粧直しだったのか。
「いいよ。どこか行こうか」
「おお~! 千寿に任せるぜ!」
「むむむむ……。和、洋、中……何にしよっかなぁ~」
鞄を持ってスキップで駆けだす千寿を追うように教室を後にする。
道中もかなり悩んでいた千寿だったが、結局、向かった先はファミレス。まぁ、無難と言えば無難だと思う。
店員さんに案内されて、窓際の席に着く。
「んで、何があったんだ?」
「ドストレートに聞かないでよ。デリカシーのない……」
先程取ってきたグレープジュースを口にしながら、ため息交じりに続ける。
「開口一番に聞いてくるなんて……モテないよ?」
「うっせ。余計なお世話だよ!」
「はいはい。吠えない、吠えない」
適当に萄真をあしらう千寿は、一番に運ばれてきたパスタを頬張る。
まるでリスのように。
「おーい。先に食い終わると、俺達が食い終わるまで暇になるぞ?」
「らいひょうふ。ふぁっへるはら」
「……無理だろ」
「うん……無理だと思う」
「……なっ! 二人して傷心の女の子を傷付けるような……もぐもぐ」
口いっぱいにパスタを詰め込みながら、何を言うかこの子は。
「傷心関係ねーよ。俺達の分がなくなるから言ってんだよ!」
「うちが……もぐもぐ。二人の……もぐもぐ……。分なんて……もぐもぐ」
「せめて飲み込んでから話そう?」
「ん」
こんな感じで、想定通り千寿が先に食べ終わり。
狙われる……僕と萄真の料理。
「ね? ちょっとだけ!」
「だぁああああ! やらねぇって!」
「ええーーケチ。薔はくれたのに」
「俺と薔が一緒だと……思うなよ?」
「ドヤらないで? ……ハゲ」
「おい。ハゲはやめろ。親父が禿げてるから、結構気にしてんだぞ⁉」
お決まりの漫才を、一通り済ます二人。
以前、一緒に食事に行った時も同じようなくだりがあった。
その時も、千寿は僕達の料理に手を伸ばし……萄真と言い合いになっていたのだ。
仲が良いのか悪いのか。まぁ、一緒にいるあたり仲が悪いとは考えられないか。
そんな仁義なき戦いは、料理が無くなると突然、終わりを告げ……。
「ねぇ、萄真」
「ん?」
コップを片手に、真剣なムードで話し始める千寿。
「……人との距離感って、萄真はどうやって縮めてるの?」
蘭さんとのことが……やっぱり気になっている千寿。
藁にも縋る思いが、ひしひしと伝わってくる……気がする。
「はぁ~? そんなもん……」
千寿の問いに、何故か萄真は、ん。と言いながら僕の方に拳を突き出す。それになんとなーく応える。
そして、萄真と僕の拳が……合わさる。
「こうだ!」
「…………はぁ。聞く相手を完全に間違えた」
「んな失礼な!」
頭を抱えながら呆れる千寿は、今度は僕に同じ質問を投げかける。
でも……僕も萄真と変わらず、いい答えは持ち合わせてない。
「僕は……どうなんだろう? 昔はそれこそ、嫌われるまで付きまとったりしてた……と思うけど」
小学生の時の友達作り関連の話は、もう既に千寿にも萄真にも話した。
だけど……最良のアドバイスはできない。万人が口を揃えて言えるほどの、正解の方法ではなかったからだ。流石に、今の僕でも分かる。
そう思うせいか、一つ、真理のようで哲学のような考えには至った。
「正解の関わり方ってない気がするんだよね……。一人一人、違った性格と感情があって、人によっては超えられたくない一線とかがあって……。だから……その人とどういう関係でいたいかって考える。そこからなのかなって……思ったり思わなかったり?」
ずいぶんと『遠回り』で、途方もない時間がかかったけど、この答えに辿り着くのは容易ではないだろうし、当時の僕では絶対に考えられなかったと思う。
それだけ歳を取ったというか、経験値を蓄えたというか。
そんな深くもなく、浅くもない僕の考えは、どうやら千寿には伝わったようで。
「そっ……かぁ」
萄真には……伝わらなかったようで。
「はい! はい! もっと砕いてくんね?」
「いいって。……雰囲気ぶち壊し」
「だって薔が……」
「僕のせい⁉」
しれっと僕に責任を押し付ける萄真は、行儀悪くストローをズズズッと鳴らしている。
まるで、ふてくされた子供みたいに。
「まぁ俺には関係ねぇから、いいっか」
「それは……そうだね」
蘭さんにもしていた、あの感じの距離感なら……確かに問題ないと思う。
その後、何度か蘭さんの話題が上がるも、結局何も進展なくお開きとなった。
千寿と萄真とファミレスで別れてから、一人の家路。
静けさという化け物が制する閑散とした住宅街を、時折、定期的に照らす街灯が現実と幻想を曖昧にさせている。
やはり、どんな空間にいても、頭の中にいるのは蘭さんの顔。
彼女の、人を拒絶する根源を……知りたい。
千寿があんなに追い込まれるようになった原因も。
「……はぁ」
前途は多難。とは、このことなんだろう。
「もう少し、蘭さんと話せたらなぁ……」
話したところで、なんの解決にもならないだろうけど。
だけど……きっかけにはなりたい。なんて思うこの頃。
そもそも連絡先すら知らない男が、何をほざいているのやら。
「仲良くはなれないのかな………………あっ!」
暗い道に全く気付いていなかったけど、前方に女性が一人で歩いている。
フラフラとまでは言わないが、真っすぐ歩けていないその女性は、更に前方から迫ってくる自転車とぶつかりそうになる。
多分……自転車に気付いていない。
そこからの僕は、頭で考えるよりも先に体が動いていた。
女性の腕をさっと掴み、自分の方へと引き寄せる。すると、暗闇の中をライトも付けずに走る自転車が、そのすぐ横を通り抜ける。
どうやら、女性の方も自転車の方も携帯を弄っていたらしく、僕が女性を助けなければ大事故になっていたかもしれない。
だけど、女性は自転車が通り過ぎた今も尚、自転車が来ていたことに気付いていないようで。
なぜ僕に腕を引っ張られたのか、全く分かっていない女性は、不審者に腕を掴まれたと思い……。
「なっ、何ですか⁉」
明らかに動揺を顔に浮かべる女性。手にしていた携帯で素早く電話のアプリを開き、一……一……。
「ちょちょっ……これは……ッ!」
まさか不審者扱いをされると思っていなかったので、うまい説明が思い浮かばない僕は、次第にしどろもどろになっていく。
「僕は……あの…………えぇっと……」
すると、背後から。
「彼が事故を未然に防いだのよ。あなた、携帯ばかり見ていて不注意だったから」
助け船を出しくれたのは……なんと、蘭さんだった。
ところが、何故か不機嫌そうな蘭さんは、相手の女性を睨んでいる。
そのせいか、女性は怯えた表情を浮かべてしまっている。
「ひ、氷彗……蘭? なんでこんな所に……?」
「そんなこと、あなたに関係ある?」
「くっ……」
なんとか蘭さんを睨み返す女性は、それ以上何も言わずに立ち去ってしまった。
途端に広がる微妙な空気。
蘭さんに助けられると思ってもみなかっただけに、いつも以上に言葉が出てこない。
とりあえず、感謝の言葉……。
「あ……ありが……」
「……あなたって、損な性格よね」
僕を見ずに、空を見上げながら続ける蘭さん。
「他人のために自分が責められる……自己犠牲ってやつ? あなたになんのプラスがあって、そんなことをするの?」
思いがけない疑問の投げかけに、驚きが勝ってしまう。
なんで、そんなことを聞くのか? ……と。
「う~~ん……。困っている人がそこにいるから? とかじゃあ……ダメかな?」
我ながら、なんとも曖昧で。それでいて蘭さんに求められている答えではないだろうとは思う。
そんな僕の返答に呆れたのか、ため息をこぼす蘭さんは何も言わず歩き始める。
「あ…………蘭さん!」
先を行く蘭さんの背中に、精一杯声をかける。
ちゃんと、感謝を伝えないと。
「助けてくれて、ありがと」
たちまちピタッと止まる蘭さんの足。周囲の空気も一緒に止まった……気がする。
「……私がそんなイイ人に、見える?」
苛立ちの……感情。
「少なくとも、僕はそう思ったよ?」
「……やめて」
怯え? の……感情。
「あっ! さっきの人は、知り合いだったから助けてくれたの?」
「あなたには、関係ない」
苛立ちの……感情。
「えぇっと……あっ! 千寿とは、仲良く……なれな……」
確実に、空気が変わった。
さっきまでの苛立ちの感情とは、少し違った……感じ。
「なんで……なんでそんなに…………仲良しこよしがしたいのッ⁉」
閑散とした住宅街に響き渡る、蘭さんの悲痛な叫び声。
……千寿が怯えていたのは、これ……か。
自分を守るために、他人を傷付ける『拒絶』。
本人に傷付ける意思がなくても、その鋭い刃は容易に他人の心をえぐる。
だから、氷彗蘭という人の『弱いところ』が露になる。
——他人から向けられる自身への期待、信頼への恐怖——
他人と関わりを持ちたくない。
それは、親しくなることが怖いから。
それは、信用することが怖いから。
それは、信用されることが怖いから。
過去に何があったか、僕はあずかり知らない。だけど、過去の経験が原因であることは確か。
だから僕は、ちゃんと聞かなければならないと強く思う。
……何故か?
その理由は、至極簡単で単純。
蘭さんの拒絶の裏側にある、『自身でも気付いていない、ある部分』に、他でもない僕が気付いてしまったからだ。
きっと認めようとはしないだろうけど……。
「ねぇ……話さない?」
「……話さない。話すことなんてない」
分かりたい。知りたい。
その気持ちが蘭さんに伝わるたびに、距離をとられる。
きっと、ここがライン。超えてはいけないボーダーライン。
だけど……。
「蘭さんのことが、知りたいんだ」
「……」
だから……ッ!
「一人で……抱え込まないで。蘭さんは、一人なんかじゃないから。蘭さんのことを心配してる人が、いるんだから。……でも。それでも、誰かを信じることが怖いなら、僕だけを信じて……くれない?」
「~~~~~~ッ⁉」
いつか、誰かに言った台詞。あの時は闇雲に動いていた節があるから、大した意味など考えていなかったけど。
今、この瞬間の、この台詞は、蘭さんのことを知りたいと思う気持ちだけ。
その気持ちが伝わったのかな?
溢れ出る涙が一筋、また一筋と流れる蘭さん。
やがて……その場に座りこみながら、豪快に涙と嗚咽を溢す。
まるで、幼い女の子みたいに。
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