4
長寿でない桜の花が、ちらほらと散り始めた頃。
早いもので葉桜へと様変わりをする木々は、夏への衣装に衣替え。
日に日に暖かくなる気候に伴い、街を歩く人達の服装も軽装化されていく。
次なる季節の幕開け……そのギリギリ一歩手前での、ある日。
ひょんなことから、僕は有名なバンドのライブに行くことになった。
順を追って事の経緯を話すと、まず、言い出しっぺである千寿が大ファンらしい。
そのバンドは今回初めてのツアーで、ファンは大盛り上がり。おかげで、かつてないブームが巻き起こっている……らしいけど、千寿以外誰もそのバンドについて詳しくないから、どう凄いとかはさっぱり。
とりあえず、曲くらいなら知っていると言う萄真を召喚して、三人で行こうとなった。
と、ここで千寿が良いアイデアを思いつく。
『蘭も一緒に……どうかな?』
未だに蘭さんと話せていない千寿は、この機会に距離を縮められたら……と考えたのだ。
だが……。
『……私、ライブとか興味ない』
相変わらずの蘭さんに一蹴されてしまい、この計画は頓挫してしまった。
仕方なく、僕と萄真と千寿の三人で行くことに。……だったのだが、更にここで問題が起きてしまう。
遡ること数分前の電話にて。
『わりぃ! バイト先で欠勤が出て、俺が代わりに出て来いって……。二人で行ってきてくれっ!』
飲食店のアルバイトをしている萄真が、まさかのドタキャン。
結果、集合場所に来たのは、僕と千寿の二人だけとなってしまった。
こうなってしまうとは誰も予測できなかったので、どうしようかと千寿と話すことに。
「せっかくのライブなのに……勿体ない!」
萄真のドタキャンにご立腹な千寿だけど、千寿はそれでもライブには行きたいみたい。
当初予定していた半分の人数になってしまったし、ここで解散……でもいいけど、僕にとって初めてのライブなので経験しておきたかった。
「僕とで良ければ……ライブに行かない?」
「ええっ⁉ いいのっ⁉ あぁ…………でも…………」
「駄目……かな?」
「全然ッ⁉ むしろ……薔が困らないかが心配で……」
「困る?」
「うち…………喋り出すと……止まらないの」
「ん?」
「あ……あははは……」
何か分からないけれど……まぁいいっか。
……。
……。
なんて思っていたのは……、甘かった。
「でねっ! そのバンドのヴォーカルの人が~~~~~~~~~~~~」
「なるほど……」
「そうそう。それでね、このファーストシングルが~~~~で、~~~~が、~~~~~~(略)~~~~~~~~~~~~なの!」
「あ……それで?」
「(略)~~~~は、~~~~で、(略)~~~~~~~~そうなの! だからうちは~~~~を、~~~~~~~~、~~~~~~~~……」
「な、なるほどねーー」
「(略)~~、(略)~~、(略)~~、(略)~~、(略)~~……」
饒舌。饒舌。
バンドの話になると、本当に止まらなくなる千寿。
最後の方は専門用語だらけで全く理解が追いつかないけど……まぁ千寿が楽しそうでなにより。
ライブ後の興奮が冷め止まぬのは、僕とて同じなのだから、その気持ちも分からなくはないけど。
「あぁ~~~~でねでねっ!」
「ち、千寿! 一回落ち着こう? 飲み物でも買って来るから」
「あ……、ごめん。つい夢中に……」
「いいよ、いいよ。戻ったらまた聞かせて」
「そのつもりだよ?」
「あははは……」
大きな目印になりそうな噴水の所で千寿には待っていてもらい、僕は飲み物を買いにお店へ走る。
噴水の所に向かうまでの道中で、偶然スムージーの屋台を見つけていたのだ。
立て看板と共に並んでいるカラフルなメニュー表の前まで来て、改めてその種類の豊富さに驚いてしまう。
「タピオカに……ソーダ系? それに……スムージー系とラテ系まであるんだ……」
千寿の好みが何か分からないから、無難に果物系のスムージーで……。
僕は……、適当に別の果物系スムージーにしておこう。最悪、どっちかは飲めるだろう。
とりあえず、千寿にはいちごミルクで、僕はブルーベリーにしておこうかな。
「よし……」
あらかた注文を決めたのならば、次なる試練に覚悟を決めなければならない。
「五分で注文出来たら……っていうのは流石に甘いか……」
少々長い列。僕だけが待つ分に関してはいいのだが……生憎今は人を待たせている。
どうか、早くありますように。と誰に頼んでいるのかも分からない祈りを捧げながら、最後尾に並ぶ。
ざっと見積もって……十分は超えるかな?
ただ待っているのも退屈なので、携帯の検索バーにバンドの名前を打ち込んでみる。
戻ってから少しでも千寿の話に付いていければ……と、簡単に勉強しておこうと思ったからだ。
「それにしても、カップル率の高さがすごい……」
このスムージーの屋台に並ぶ列、基本的に男女のペアばかり。
一人で並んでいる人なんて……僕以外に一人⁉
とは言っても、僕に特別一人が恥ずかしいなどの感情はない。
多分……、今まで誰かと付き合ったことがないからだと思う。
別に『彼女』という関係でなくても、女友達に困ったことがないから、『この人が女性として好き』と言った考えに至ったことがない。
そんな僕は、ただひたすら携帯の画面を睨んでいたのだが……。
ピロンッ!
一件の通知が画面に出てきたせいで、集中が解けてしまう。
「なんだろう……?」
送り主は千寿。
もしかして急かしの連絡かな? と思い、確認してみる。
「ん……?」
千寿から送られてきた内容は短く、『助けて』だけだった。
顔文字も絵文字も何もなく……ただ文字だけ。
「いたずら……な、訳ないよね……?」
直感的に千寿の身に危険が迫っていると思った僕は、他の何事よりも思考を支配される。
千寿がこんななんの前振りもなしに、短文で送って来るなんて……。
訳の分からないモヤモヤが、心臓を締め付ける。握りつぶすように。
と……とにかく、千寿の所に行かないと!
屋台の列のことなど完全に忘れ、全力で千寿と別れた噴水の所まで走る。
運動など当分していなかった、棒になりかけている使えない脚に、鞭を打って。
「だぁああああああッ!」
頼む……ッ! 何も起きてないでいて……ッ!
結論から言うと、残念ながらその願いは叶わなかった。
千寿は、千寿の背丈を優に超える男三人に囲まれていた。
どこか必死な様子で千寿に声をかける男の一人は、千寿の携帯を持つ手を引いている。
そして……千寿は必至で抵抗していた。
その様子を遠目で見ていた僕は、沸々と怒りが込み上がっていた。
どうして周囲の人は、千寿を助けないのか。
どうして見て見ぬふりをするのか。
確かに、千寿を囲む男達は周囲の人にバレないように立っている。
それでも、すぐ近くの人は……どうにかできるはずなのに。
握る拳が小さく震える僕は、千寿の元へと駆けだす。
人の波をかき分けながら、時には強引に突き進んで、やっとの思いでたどり着く。
「ごめん千寿! 遅くなって!」
千寿の手を掴む男の手を強引に引きはがし、割って入る。
「ああ? んだテメェ?」
「ひょっれ~ヤツだなぁ?」
「……」
千寿を思い通り捕まえられなかった上に、僕の介入があったせいでたちまち怒り始める男達。
特に、周りで騒いでいただけの二人は、自分達よりも体格の小さい僕にいびり散らかす。
対して僕はただ、背中に千寿を隠しながら睨むだけで、何も言わない。
何を言われても、決して何も言わない。
僕が腕を振り解いた男だけを睨んで。
すると、その男は何も言わずに立ち去ってしまう。
「あ、えっ?」
「どーしたんだよ⁉ おいっ!」
状況が全く読み込めない別の二人は、後を追うようにその場を立ち去ってしまった。
一体何が起きたのか……全く理解できない様子の千寿は、今までの緊張が解けた反動で、その場に倒れ込んでしまう。
ギリギリで肩を貸して支える。
「だ、大丈夫?」
「うん……なんとか。あ、ありがとう……」
「そんな! って言うよりごめんっ! こんな所で一人にして……」
「うちの方こそ迂闊やった……。ナンパってあんなに怖いなんて、思ってもみなかったよ……」
「ほんっとごめんっ!」
「もう……そんなに謝らないでって。うちにも責任があるんだし……」
そう言って、男に掴まれていた手を見る千寿は、男が不意に去ったことが気になったようで、僕に首を傾げながら呟く。
「なんで……帰って行ったんだろう?」
その問いの答えを、僕はなんとなく分かっていた。
「多分……有段者だったからじゃないかな?」
「どういうこと?」
「実は僕……ちょっとだけ空手をかじってて。それが腕を捕まれただけで分かったんじゃないかな?」
お父さんが空手の有段者だった僕は、何度か技を教えてもらっていた。
と言っても、護身用の域を超えない、ちゃちなものなのだが。
「えぇっと……どうしよっか? あんな事があった後だし……」
「ちょ、ちょっとだけ……怖いかぁ~な?」
「どしたの? その変なテンション」
いつもとは違う変なテンションの千寿に、ちょっと違和感。
まぁ、あんな事があった後だから……仕方ないか。
「とりあえず……帰る?」
もう少し話してみたい気もするけど……無理に引き留めるのは止めておこう。
と思ったのだが、千寿はどうやらそうではないらしい。
「一緒なら怖くないから……もうちょっとだけ…………いい?」
「千寿がいいなら……僕はいいよ?」
たちまち咲き始める、千寿の笑顔。
「ほんとっ⁉ じゃあ……どっかのお店に行こう!」
「そうだね……って、そんなにくっつかないでよ。歩きづらくない?」
「あ、えっ、あう……」
「ん?」
「なんでもないっ! ほら……行こ?」
千寿に手を引かれるまま、おすすめのお店に。
キウイジュースとパンケーキを食べながら、バンドの話に花を咲かせる千寿と一緒に過ごすこと、約三時間。
しっかりと楽しめた様子の千寿を家まで送った僕は、なんの気の迷いか本屋さんに立ち寄っていた。
偶然見つけたこともあり、興味が惹かれたのだと思う。
まず向かったのは、音楽系のコーナー。
千寿の熱弁を聞いて見事に感化された僕は、例のバンドについての本を探す。
「…………あっ! これだ!」
千寿に強くおすすめされた本。そこにはバンド結成から、曲一つ一つの意味などが書かれており、特にインタビューのページは何度も読み返したとか。
早くもファンになりかけていた僕は、何冊か例のバンドに関する本を手に取る。
「後は……」
向かうは絵本のコーナー。
古い絵本である『どうぶつ学校のおともだち』があれば、手元に置いておきたいなぁ……と思ったからだ。
案の定、置いていなかった。まぁ、仕方ないか。
「教科書に載っていたなんて何年も前のことだし、今もそうなのかなんて知らないしなぁ……」
とりあえず手に抱えるバンドの本をレジに持って行く。
ついでに『どうぶつ学校のおともだち』が裏にあるかだけ聞いておこう。
レジの近くの棚を整理していた店員さんに声をかけ、会計をしてもらう。
「合計で二千四百三十円です……あっ」
「ん? ……ああっ!」
「そ、そんなに驚かれても困る」
「ごめん……。まさか、蘭さんがここで働いているなんて思ってもみなかったから……」
今の今まで気付いていなかったことに驚きだけど、本屋で働いていたのは蘭さん。
まさか、こんな所で出会うとは。
「三千円でお願いします」
「……はい」
知人がレジをしている、少し面白い感じについ笑みが零れてしまう。
「あ、このバンドが、千寿が好きなバンドなんだ」
今日見て知ったことを蘭さんに話してみる。だけど、蘭さんはやっぱり素っ気ない。
「……そう」
「今度、萄真と千寿に会わない? 二人とも蘭さんと喋ってみたいって……」
本を袋に詰める蘭さんは、冷たい態度で僕の言葉を遮る。
「そういうの……いいから」
そう言うと、本の入った袋を僕に渡して、また棚の整理に戻ってしまう。
……やっぱり、分からない。
蘭さんの気持ちが……。
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