3
結局、僕達は閉館の時間まで情報館に留まっていた。
特に本を借りたりなどはしなかったので、来たままの状態で外へ。
「……」
「……」
他の学生がそれぞれ家路につく中、僕達の間には微妙な空気が鎮座していた。
別に示し合わせたわけではないんだけど、偶然、同じ方向に向かって歩いていたからだと思う。
何かの話題を広げて、仲良くなりたいと思っていたんだけど、さすがの僕も、今の氷彗さんの隣を歩くのは止めておいた。
なにせ、氷彗さんは本を読みながら歩いているから、僕が前を先行しないと、誰かにぶつかってしまうかもしれない。
折角のチャンスを利用できないまま、しばらく、そんな状態が続いて。
僕達の行く先が別の方向になったのは、バス停まで来た時のことだった。
氷彗さんは僕とは反対方向のバスの乗り場で足を止める。
さよなら。くらいは言っておかないと! と、思った僕は頑張って声をかける。
「ま、またっ!」
「ッ⁉」
そこまで大きい声を出した訳でもないんだけど、何故かビクッとする氷彗さんは、珍しく……いや、初めて僕の目と合う。
「そ、その……明日、お昼に会える?」
「え……?」
まさか……これは、また会う「約束」?
あ……、う…………え⁉
思ってもみなかった内容だけに、僕は完全に呆けてしまい、殆ど上辺だけの返事をしてしまう。
「あ、うん。分かった……」
「……では」
短く別れを告げると、颯爽とバスに乗り込んでしまう。
対する僕は全然我に返れず、しばらく走り去ったバスの方をずっと見つめることしかできなかった。
……。
……。
「えぇええええええええええええええええええッ⁉」
『えぇええええええええええええええええええッ⁉』
『マジかッ⁉ すっげーな! やっぱ薔に任せてよかったぜ!』
「凄いの……? これって……」
現在時刻は二十二時。萄真と千寿とでグループ電話をしていた。
ラーメンに行った以来、急速に仲が深まり、いつの間にか連絡グループができていた。
今日の出来事は別に定期報告的なものでもなかったけど、一応話しておこうと思って、連絡しておいた。なんだけど……。
『昼は忙しいな~~』
『んな~~』
二人は同じ学部なだけあって、予定が殆ど一緒。
どちらかが忙しければ、もう一方も忙しかったりするのが普通なので、仕方ない。
『ごめんね……。全面的に任せっきりで……』
「いいよ、いいよ。僕が好きでやってることだし」
『……』
明日も早い二人はさっさと電話を済ませ、寝床に着く。
特に用のない僕はと言えば……。
ベッドの上で横になりながら、考え事に耽るくらいしか、することがなかった。
「あの人に……話しかけづらいのは、なんでだろう?」
距離が詰めづらい雰囲気を出しているのは間違いなく彼女の方。……それは分かっている。
そういう人だってことは、この数回の関わりで分かって……いるはずなのに。
……。
……。
いや………………違う。
心の底から人を拒絶する人なら、今までもたくさん出会ってきた。
その人達から向けられる目は冷たく、きつい口調で、頑なな態度で突き放してくる。
どれだけ近寄っても、離れていく。
近付くたびに……離れていく。
だけど…………彼女は違う。彼女だけは、違う。
なぜだか……そんな……気が…………する……。
考え事をしながら寝落ちしていた僕は、変に寝違えながらも起床。
いつになく小洒落た格好に身を染めて、慣れ始めた大学までの道を歩く。寝る前とは別の考え事をしながら。
氷彗さんと約束したのは「昼に会う」こと。
具体的な時間も場所も決めていない上に、そもそも連絡先も知らないので、何時にどこへ行けばいいのやら。
信じられるのは自分の直感だけなので、成り行きに任せるしかない。
腕時計の長短針と前方確認を何度も行き来しながら向かった先は、やっぱり情報館。
ここしか行き先が思いつかなかったから、とりあえず、いつもの絵本のコーナーに。
少し早めに着くように来たので、多分待っていないといけないはず……。
「……あ」
いるはずないと思っていただけあって、小さく声が零れてしまう。
視界に捉える氷彗さんはいつもと同じく、ある一冊の本の背表紙を指でなぞっていた。
すると、僕の存在に気付いた氷彗さんは、それまで指でなぞっていた本を引き抜くと、僕の方へと差し出す。
それは『どうぶつ学校のおともだち』。
「この本について……詳しく教えてほしいの」
「な、内容を……?」
「違う。この本を……あなたが知っている理由」
「あ……あぁ。なるほど」
とりあえず、近場にあった机に向かい合って腰を下ろす。
はてさて、どこから話そうか……。
「今の僕は、当時の詳しいことを全く覚えていないんだけど、小学生の時に、友達をたくさん作ろうとしていたんだ。特に、人と関わりを持つのが苦手な子とかも巻き込んで、人の輪を積極的に作っていった。でも僕は、それが苦痛に思う子がいることに気付かず、めちゃくちゃやって……。結果、僕はいじめられたり傷つけられたりもされた」
喧嘩が嫌いだった。
泣いている子がいることが、絶えられなかったから。
悪口が嫌いだった。
責められるのなら、僕だけでいいと思っていたから。
「でも……、『責められること』自体を甘く見ていた僕は、立ち直れないくらいのデカいモノを喰らったんだ。そして、殻に閉じこもった」
派手なイジメは、日々エスカレートしていった。
それは……当時の僕が想像していた以上。
友達だったはずの人からも裏切られ、誰も信じられなくなってしまった僕は、一時期、学校に行かなくなった。
「そんな時に、僕を元気付けてくれた……この絵本と出会ったんだ」
『どうぶつ学校のおともだち』に登場する『クマ』こそが、僕に似ていたからだと思う。
クマは、友達作りに少し無茶をするキャラで、結構なりふり構わない手段が多かった。
それが原因で周りの動物から除け者にされてしまう。
だが、他の動物と強引に友達になることを止めなかったクマは、学校に来ない『ウサギ』と話し、これまでの無鉄砲を反省しつつウサギを学校に来させた、という物語。
教科書に載るにしては少々暗い部分もあるけど、自分の傍若無人な行動を見つめ直すといった点では、大きな苦難を乗り越える話は小さい時から学ばせておくに越したことはないのだろう。
それにまんまと乗せられた僕は、友達を作ることを諦めずに、そして無茶のない範囲で友達と接することにした。
不登校だった子を……学校に来るように促して。
「僕にとってこの絵本は『変わるきっかけ』にもなったけど、それ以上に『目指すべき道』になった本……なんだ。……ごめん。重い話だったね」
一方的に僕の昔話を聞いていた氷彗さんは、とても真剣な顔で聞き入ってくれていた。
同情……などではなく、僕と同じ立場になって話を聞いていた……ような?
だから……。
「え……? ちょちょっ……⁉」
静かな涙が、頬を流れる。
「~~ッ⁉ ご、ごめんなさい……」
「いや……蘭さんが謝るようなことじゃあ……」
何が涙腺に触れたのか分からないけど、ボロボロ泣き始める蘭さん。
声は上げていないけど、もの凄い勢いで涙が溢れる。
女性に泣かれたことなんて一度もないから、僕は只々、あわあわするくらいしかできなかった。
それが……五分程続いて。
やっと落ち着いた蘭さんは、何度か深呼吸すると話し始める。
「取り乱してしまって、ごめんなさい。知らずとは言え……辛い過去を思い出させるような……」
苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて、申し訳なさそうに謝る蘭さん。
そんな蘭さんを見て、僕は慌てて続ける。
「ううん! そんなことないよ。僕にとって……経験しなきゃいけないことだったって思ってるから」
「そう、なんだ……」
そうして、僕達は沈黙に包まれる。
さすがに話が重すぎた……と後悔しても、もう遅いことは分かってる。
でも、僕とこの絵本の関係は、重い昔話抜きでは語れないから、仕方がないと言えば仕方ない。
とりあえず……、この空気どうしよう⁉
蘭さんの顔と絵本を何度も行き来するしかない僕の、情けないこと情けないこと。
こういう時、僕が良い感じの空気に持って行かないとダメなのに……。
何でも良いから、話題、話題……。
珍しく話題探しで頭を抱えていると、蘭さんが何か思い立ったかのように、ばっと顔を僕に向ける。
「そう言えばさっき、私の名前……?」
「あっ、そ、それは……萄真と千寿から聞いたんだ」
「萄真……? 千寿……?」
「結狩と金菊って二人なんだけど……」
「………………あの二人?」
「多分…………その二人?」
ちょっとおどける顔。
どこまで本気か分からないけど、蘭さんといる空気が明らかに軽く感じて……何故か可笑しくて。
「……ふふっ」
「……あははっ」
思わず零れる笑い声。この空気……なんともこそばゆい。
「初めて、笑ってくれた」
「~~~~ッ⁉」
まさか、蘭さんの笑顔が見られるなんて。嬉しい。
嬉しくて、蘭さんの顔を覗き込んでしまう。
そんな僕から他所に視線を向ける蘭さんは、小さく一呼吸すると、さっきまでの調子にすぐ戻す。
「……改めて。私は氷彗蘭よ」
「あっ、ぼ、僕は菊本薔。今更だけど、よろしくね。蘭さん!」
そう言って伸ばした右手に、握手は返ってはこなかったけど。
咄嗟に出てしまった「蘭さん」呼びは、意外にも許してもらえた。
ところで。なんで僕は「蘭さん」って呼んだのだろう?
「氷彗さん」より呼びやすいのは、確かだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます