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「なんでだろう? なんで……あの人を前にすると、何も言えなくなるんだろう……?」


 ベッドの上で横になる僕は、まだまだ短い人生を振り返りながら考え込んでいた。

 小学生の時、不登校生を学校に来させた話。

 昔すぎて記憶が曖昧だけど、あの子は……泣いていた。

 涙を流す姿を見たわけじゃなく、声や雰囲気でしか分からなかったけど、なんで泣いていたのか……それは分からない。

 でも、確かに泣いていた。

 だから僕は……笑顔にしてあげたかった。

 終ぞ見ることはなかったけれど。

 それでも、あの子が学校に来て笑顔になれたのなら、僕は…………。


 ——わたしも……○○とがっこうに……いきたいっ!——


「…………ッ⁉」


 いつの間に寝ていたのか、凄い汗と鼓動に目が覚める。

 上半身を起き上がらせるも、なんだか少し、体がだるい。

 だけど……そんなことより。


「今……誰が言って…………?」


 聞いたことのない、セリフと声。

 それは確かに、僕に、語りかけられていた。……気がする。

 いつにもなく、不思議な体験をした夜だった。

 いつにもなく、リアルな正夢を見た夜だった……。


 あれから一週間後。

 授業の概要説明が一通り終わり、本格的に授業が始まった。

 プロジェクターに映る字と写真の列を必死に追いながら、慣れないパソコンに字を打ち込む。

 しかし……脳裏に浮かぶのは、あの人の事。

 情報館で会ったきり、今日まで一度も会うことはなかった。

 まぁ、学部ごとに校舎が違う上に、どの学部にいるのかすら知らないのだから仕方ない。

 分かっていることは、萄真や千寿や僕とは違う学部ということぐらい。

 その他は……。

 情報館には、毎日足を運んでいた。

 運んではいたけど、授業の都合上毎日同じ時間に行けていなかったせいか、会えていない。

 もしかしたら……今日なら……。

 そんな淡い期待を持って、チャイムと共に教室を飛び出る。


 ——————————。


 少し距離がある情報館まで小走りで向かう。

 大学敷地内を流れる小さな水路に架かる橋を越え、ちょっと狭くて急な階段を抜けて。

 手慣れた動作で学生証を受付に見せて情報館に入ると、先週氷彗さんを見つけたところまで一直線。

 確かあの時は……絵本の本棚にいたはず。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 久しぶりの小運動で息が上がってしまうけど、思い虚しく、そこには誰もいなかった。

 ……。

 ……。

 いや、よくよく考えてみたら……、先週ここで見かけた時間は、今より二時間後だった気が……?


「あちゃ~~。この一週間、それに気付かなかったなぁ……」


 思わずへたれ込んでしまうけど、やはり一度冷静になって考えるべきだった。

 毎日バラバラの時間に情報館に来ていたことが、百パーセント無駄足ではなかっただろうけど、遠回りしていたことは確かだと思う。

 肩を落としながらも、一筋の期待を込めて、一応は待ってみることに。

 今日の授業のまとめをしながら、次回までの課題を手早く……。

 手……手早く…………?


「……あ」


 えぇっと……なんの話をしていたんだっけ?

 授業に集中できていなかったせいだ。授業の内容がいまいち頭に入ってなかった。


「やっちゃった……」


 またも落ちる肩。全く……何をしているのやら。

 とりあえず、まとめるだけはしておこう……。

 カタカタカタカタカタカタ……。

 カタカタカタカタカタカタ……。

 カタカタ……カタッ!


「あ、そう言えば……」


 先生が目を通しておくように言っていた文献が、確かこの情報館にあるとかないとか。

 う~~ん。探してみるしかないか。

 荷物はこのままで……。

 極力、氷彗さんに会えるであろう場所から離れたくはないんだけど……致し方ない。

 本棚の森に誘われるように、歩を進める。

 目的をもってここを利用するのが初めてのせいか、一見しただけでは……どこをどう探せばいいのやら。

 一応、本棚に貼っているジャンル詳細を見ながら歩いてはいるんだけど、同じ場所をグルグルしている気が……しなくもない。

 つまり、絶賛迷子。

 そんな迷子は、二十分ほど彷徨ってから蔵書検索の機械の存在を知る。

 一杯食わされた気分だけど、文献を見つけ出すためには、こいつに頼るしかない。


「う~~ん……」


 正直、出だしは良かった。「蔵書の検索」から、「文献のタイトル検索」までは。

 そこからが本当の戦いだとは……思ってもみなかった。


「参考文献……多すぎ⁉ あっ……すいません…………」


 思わず声を上げてしまった理由は、画面いっぱいに表示された同じような参考文献の数の多さ。

 検索にヒットしただけで百を超え、同じようなタイトルはその内八十五冊あった。

 この中のどれを先生はおすすめしていたのか。さっぱり分からない……。

 ため息交じりに画面をスタートに戻すと、荷物の所まで戻ることに。

 参考文献がなくても、課題はできるみたいなことも言っていた気がするし……なしでやってみよう。

 置きっぱなしのパソコンまで戻り、椅子に腰を下ろす。

 さてさて……どうしたものか……。

 多分だけど……参考文献があったら、凄く楽に終われるはずなんだけどなぁ……。

 背もたれに全体重をかけながら反り返る。

 ……上下反転した視界。

 コウモリのように逆さまの世界が広がる中、こちらに歩いてくる……氷彗さんと目が合う。

 氷彗さんは一瞬、歩む足を止めるも、視線をわざと外して何事もなかったかのように目的の場所へ向かう。

 そこからの僕は、反射的にしか動いていなかった。

 急いで立ち上がると、真っすぐ氷彗さんの元へ向かう。


「あ、あのぉ……」


 ここは情報館。限りなく小さな声で呼び止める。

 氷彗さんに聞こえるはずの声で。


「……」


 しかし、氷彗さんはまるで何も聞こえていないかのように、僕の横を素通りする。

 その自然な無視に思わず棒立ちしてしまうが、なんとか声を振り絞って話しかける。

 ……もちろん、小さな声で。


「ほ、本を……探していて……」


 ピタッと止まる氷彗さんの足。


「その……参考文献が……どこにあるのか……」

「……」

「いい、一緒に……探して…………欲しいです」


 思わず敬語になってしまうけど、確実に氷彗さんが耳を傾けてくれていることが嬉しい。

 嬉しいけど、それが伝わらないように僕は取り繕う。

 きっと……そういう感情を向けられることが嫌いなんだと思うから。

 氷彗さんは少しの間、何も言わなかったけど、小さなため息をすると僕の方に振り返る。

 依然として、視線は合わせずに。


「…………どんな文献?」

「あぁ、え、えぇっと……こんな名前の文献なんだけど……」


 パソコンに打ち込んでいた文献名を氷彗さんに見せる。

 すると、氷彗さんはどこか一方を見定めると、小さく告げる。


「……こっち」

「あっ、待って……」


 一人勝手に歩き出す氷彗さんは、僕に構うことなく自分のペースで歩き続ける。

 その背中を追いかけながら僕はふと、氷彗さんは……優しい性格の人なんだなぁ、と思う。

 確かに、一緒に探して欲しいとは言った。言ったけど……本当に一緒に探してくれるなんて。

 人と関わることが嫌いと聞いていたし、そんな素振りしか見てこなかっただけに……。

 氷彗さんの足は目的の本棚までなんの迷いもなく最短を進み、たどり着くや否や、同じようなタイトルの文献の中から、僕が探していた文献を引っ張り出す。

 本当に迷う様子もなく、背表紙を一瞥しただけで見つけ出してみせたのだ。


「……はい」

「あ、ありがとう! 助かったよ……。それにしても、簡単に見つけられるんだね」

「……このシリーズの参考文献はこの一帯の本棚にしかないし、タイトルが似たようなものであっても文献番号って言う番号がここにあって、それは…………ッ!」


 自分が夢中で話していたことに気付いた氷彗さんは反射的に口を手で覆い、それ以上何も言わない姿勢を見せる。


「ご、ごめん……」


 思わず謝ってしまう。

 そんな僕に、視線を合わせないまま氷彗さんは首を横に振る。


「いいえ……」


 これで終わりと言わんばかりに歩きはじめる氷彗さんは、先程よりも速いペースで歩きはじめる。

 その背中を見失わないように、追いかける。

 行きつく先は……同じだと思ったから。


 ——————————。


 案の定、一緒だった。

 氷彗さんは以前と同じく、絵本のコーナーに。

 僕はそのすぐ近くの机で、慣れないパソコンの打ち込みを頑張っていた。

 何と言うか……気まずい。無言が前提の場所がだけに。

 これは……話しかけたらマズいか……?

 いやいや……こっちに集中しないと……。

 いやぁ……でも…………あぁああああああッ!


「あの……」


 何かしらの相槌的なものは……望むだけ虚しくなるというもの。

 顔も向けてくれないけど……耳だけは傾けてくれているはず。……はず。

 とりあえず、何でもいいから話しかけてみる。


「その…………な、なんの本を……読んでるの?」


 相も変わらず、顔を向けてはくれない……けど。

 氷彗さんは、一冊の絵本の表紙を僕に向ける。

『どうぶつ学校のおともだち』

 あの絵本……どこかで……?


「……あっ⁉ その絵本!」


『どうぶつ学校のおともだち』は、人見知りのウサギが動物の学校で友達を作る物語。

 割と感情描写が多いため、教科書にも載っていた、割と王道なお話。

 そんな教育にも使われているお話を、僕はもっと強い思い出として覚えてる。

 僕が例の不登校の子に渡した絵本が、確かこれだったはずなのだ。

 渡したと言っても、面と向かって話したことがなかったので、不登校の子の家に置いていったと言った方が正しいだろうけど。


「その絵本、僕がすっごく好きで……よく他の人におすすめしてたなぁ」


 友達を作ることが好きだったクマは、唯一学校に来なかったウサギの手を引いて……という感じの内容。


「僕が勝手に、僕自身をクマに見立てて。それで、学校のみんな同士で友達になってほしくって……」


 みんな『と』ではなく、みんな『同士で』。

 大前提、僕と友達になってからだけど。


「ウサギさんも……学校に来て欲しいなって…………毎日、家に行ったんだ」


 物語のクマが、そうしていたように。

 だって、一人が一番寂しいから。

 友達が作れる学校に来ないなんて……勿体ないでしょ?

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