恋の『好き』を知るまでの、大切な物語

ゆーせー

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 温かい日差しと気温。

 僕の住まう国には「四季」という素晴らしい気候のサイクルがあり、それのおかげで僕達は気候による色々な影響を享受する。

 時に、肌に刺さるような日差し。

 時に、食欲や読書欲を掻き立てる気温。

 時に、体の芯まで凍えるような風。

 今、僕はそのどれにも当てはまらない、とっても気持ちの良い風に揺られている。

 裾や袖がいい意味で言うと、「余裕のある」紺色のスーツに身を包み、お弁当箱ほどのサイズの鞄を持って、桃色の幻想郷の下を歩いていた。


「あぁ、これこれ。この季節の、この感じが……たまらないなぁ」


 きっと僕だけが、こう思っているわけではないと思う。

 僕の他にも同じように、幻想郷を歩いている人達がいる。

 その人達と、僕の目指す目的地は同じ。

 —専華大学の入学式—

 新しい場所での生活が始まるに……相応しい。そんな日。


 長い坂を上り終えて。

 次第に見えてくる大学の校舎は、今は珍しいレンガ造り。

 所々に白いレンガが混ざっており、かわいい感じが印象的。

 てっぺんあたりに付いている大きな鐘と時計は、まるで異世界の魔法学校の様な感じを醸し出している。

 そこが人気なのか、心なしか女性の入学生が多い気がする。

 などと推察していた僕の目に、一人のおばあちゃんが映る。

 そのおばあちゃんは腰が結構曲がっていて、歩きづらそうに杖をついていた。

 丁度、その時。


「あっ……」


 一人の女性を避けようと、おばあちゃんがふらふらと体勢を崩してしまい、ポケットから一枚のハンカチを落とす。

 だが、女性もおばあちゃんも気付いていない。

 別に避けるほど危なくはなかったのだが、女性は本を読んでいたこともあり、きっとおばあちゃんとすれ違ったことにも気付いていないだろう。

 僕は急いで落ちているハンカチを拾うと、二、三度砂を掃っておばあちゃんに手渡す。


「おばあちゃん! ハンカチ落としたよ」

「ん……? あらまぁ! ご親切に……おおきに」


 深々と頭を下げるおばあちゃんは、すぐに角を曲がってしまい、見えなくなってしまった。


「う~ん。大丈夫かな……? 一人でちゃんと家に帰れるかな……って、その前にっ!」


 何事もなく先を歩く女性は多分……同じ入学生。

 その人は、本を読みながら歩いていたのだ。事故の元になりかねないようなことは、ちゃんと注意しないと。

 そう思って、辺りを見回していると、大学の門を潜る人の波の最後尾あたりに、例の女性を見つけた。

 かなり小柄な体躯と、その体を隠すような長い黒髪。腰辺りまで伸びている。

 後姿しか見えないけど、よく覚えている。間違いない……あの人だ。

 兎に角、一言注意してやろうと足を動かした時。

 一人の男性が、その女性の肩を乱暴に掴んでいた。

 その様子が……どうも仲のいい感じではなさそうで……。


「止めてあげなよっ! 嫌がってるでしょ!」


 女性の肩に乱暴に置く男性の腕を、僕は振り解く。


「なっ、なんだよ、お前ッ⁉」


 驚きを隠せない様子の男性は、目をぱちくりさせていたけど、とりあえず女性の安否を……。


「なんのつもり?」

「……えっ?」


 ただ短く。それだけ。

 本を手放さない女性はそれだけ言うと……人の波の中に消えて行ってしまった。

 完璧な不意打ちの発言に……思考が固まってしまう。

 男性の腕を払ったこと?

 おばあちゃんのハンカチを拾ったこと?

 一体……?


 —なんのつもり?—


「なんの……つもりって……」


 呆気にとられる僕に、さっきの男性が話しかけてくる。


「取っつきにくいやつだろ? 実はあいつは……あいてっ⁉」

「アンタ……また幼稚な事してたんじゃないでしょうね⁉」


 バチンッ! とその場に響き渡る平手打ちを頭に喰らった男性は、よろけて倒れ込む。


「こいつが何か……しませんでしたか?」


 何故か申し訳なさそうな顔で僕に声をかけてくる、男性をぶん殴った別の女性。

 と、とりあえず……、起きたことを簡単に説明することに。

 ……。

 ……。


「ほんっとうに! ごめんなさいっ! うちが目を離したせいで……」

「い、いやいや……僕の方こそ……」

「俺は挨拶しただけなんだけどな~」


 未だに叩かれた理由が分かっていない男性の方は、あくびをしながら人の波に吸い寄せられていく。


「あなたもここの入学生よね? またどこかで会ったら、その時はよろしくね!」


 女性はそれだけ言い残すと、小さく手を振って男性を追いかけていった。


「なんか朝から賑やかだったなぁ……。これが大学生?」


 僅かな時間で、色々な出会い? があるなんて。

 ……なんて言っている暇なんてない。入学式までの時間が迫っているのだから。


「余裕をもって出たはずだったんだけど……これは……ギリギリかな?」


 少々高かったスーツで走るしかない……動きづらいけど。


 学園長の祝辞と、ありがたい話と、学部長の学部の簡単な説明と。

 あれこれ聞いて、約二時間。

 パイプ椅子の形を体が覚えた頃に終わった入学式は、学部ごとに分かれた詳しい説明会まで続き、今日一日でだいぶ疲れた。

 両手にパンフレットやら何やらがたくさん入った手提げを持って、教室を後にする。


「ああ……疲れた……。予想を遥かに超えて……」


 時計を見ると、時刻は十三時過ぎ。


「はぁ……お昼どうしようかなぁ」


 なんて考えていたら、見知った顔が二つ。偶然鉢合わせた。


「およ? さっきのやつじゃね?」

「おおおっ⁉ お久~!」


 式の前に会った二人。まさか……こんなところで会えるなんて。

 別学部の校舎との合流地点で。


「まさか……こんな偶然もあるんだね」

「ね~~。……そうだっ! 一緒にお昼でもどう?」

「いいな! それ!」


 二人も重そうな手提げを持っているけど……ノリノリな二人はもう行く気満々。

 僕も断る理由は……特にないかな。


「これも何かの縁だし、是非!」

「おお~! ノリいいね~!」

「んじゃ……ラーメン一択だな!」


 どうやら男性の方に、行きつけのラーメン屋さんがあるらしく、そこに向かう途中ずっとラーメンの話を熱く語ってくれていた。

 十数分程歩いて辿り着いた老舗のような雰囲気のラーメン屋さんは、おじいさんとおばあさんの二人でお店を回しており、お昼時の忙しい店内を見事に捌いていた。

 僕達が入ったと同時にテーブル席が空き、そこに腰を下ろすことに。


「まだ自己紹介してなかったよね。改めまして、僕は菊本薔きくもと しょう。よろしくね」

「あ、うちは金菊千寿かねぎく ちさと。金と菊と、千に寿よ」

「俺は結狩萄真ゆいかり とうま。葡萄の萄と真で萄真だ。よろしくな!」


 手短に自己紹介を済まし、各々、注文をする。

 頼んだラーメンがやって来るまで、専華大学に来た理由などお互いに聞き合っていた。

 そんな中で、萄真が話しかけていた女性のことを聞くことに。


「えっ……あの女性と……知り合いだったの⁉」

「誤解させるような事をして、ほんとごめんっ! 萄真、人との距離感が分からないバカだから……」

「バカとはなんだ! バカとは……もぐもぐ」


 ブツブツと文句を言いながら、「ご自由にお取りください」の所から全種類の漬物を既に食べ始めている萄真。

 千寿と萄真と、式の前に会う原因ともなったあの女性。

 どうやら二人と同じ高校の出身らしく、お互い、顔を見知っていたらしい。

 なんだけど……。


「あの子は高校の時から、他人との馴れ合いが最も嫌いって子なの」


 冷水を片手に話す千寿。


「あの子の名前は氷彗蘭ひすい らん。高校の三年間、ずっと同じクラスだったけど、ちゃんと話したことは……一度も」

「俺も全然ないなぁ~。なんなら、一度も同じクラスになったことねぇーし」

「それなのに……あの絡み方はないよねぇ?」

「あはは……まぁ、確かに」


 萄真の人との距離感の近さは、百聞せずとも一見するだけで十分だと分かるワンシーンだった。

 それから、一通り話し終えたベストタイミングで、注文のラーメンが運ばれてくる。


「お、きたきた~!」


 萄真はいつも頼んでいるという豚骨ラーメン。

 千寿と僕は醬油ラーメン。

 どちらのラーメンもネギとチャーシューがふんだんに入っていて、硬めの麺が特徴的。

 それに、ここのラーメンのチャーシューの分厚さときたら。


「~~~~~ッ⁉ やっぱりキングオブ王道ッ! 醬油が一番よ!」

「甘いな。甘すぎるぜ千寿。ラーメンの王は……豚骨一択だろ?」

「はい?」

「あぁ?」

「ちょっ……喧嘩は……」


 この二人。仲が良いのか悪いのか……。

 そんなこんなで。

 お互いがラーメンのレビューをし合っている不思議な時間は、いつの間にか終わっていて。

 いつの間にか……氷彗さんの話に戻っていた。


「うちは……もっと話してみたいとは思うんだけどね~~」

「ずっと本読んでんかんな~~」

「それに、連絡先も知らないし……」

「学部も知らねぇもんな~~」


 同じ高校に通っていた二人ですら、その素性を全く知らないらしい。


「まぁ……でも、二人が仲良くしたいって思っていたら、その思いはきっと届くと思うよ」


 この言葉は、別に思い付きで適当に言った訳じゃない。

 実は僕。小学生の頃に、当時不登校だった子を学校に来るように根気強く説得し続けて、登校させた過去が何回かあった。

 その方法は、毎日不登校の子の家に配布物を持って通って……学校の楽しいところとか、友達と遊ぶ魅力を一方的に話すといった根性勝負。

 みんながみんな、直接顔を見て話したわけじゃあなかったけど……ちゃんと学校に来たと先生から聞いていたから、僕の思いが届いたんだと今でも信じてる。


「そうだね……。何かきっかけのようなものがあったら……いいのかなぁ?」

「多分……。まぁ、僕も見かけたら積極的に話しかけてみるよ! きっと……友達は欲しいと思うからね!」

「会ったばっかりなのに……ありがとう。よろしくね!」


 それから、くだらない話を繰り返し、お開きとなった。


「わざわざ付き合ってくれてありがとね! これ……連絡先」

「お、俺のも~。俺はいっつも暇だから、いつでも連絡くれよな!」

「あ、うん! ありがとう! 萄真に千寿も、いつでも連絡してくれていいからね!」

「うんうん。じゃあね~」

「またな! 薔!」


 二人と別れて家路につく。

 久方のラーメンに満足したし、何より、友達が早速できた。

 大学生活の一歩目は……順調と言っていいと思う。


「だけど……氷彗蘭……さん」


 あまり良い印象を抱かれていなさそうだったけど、仲良くできるだろうか?

 ……。

 ……。

 考えるよりも、まず行動が僕の持ち味だ。

 なんとか……なるだろう。


 翌日。三限だけ授業があったけど、一発目の授業のせいか、自己紹介と授業の概要の説明だけで、ほとんど授業は進まなかった。

 初めての大学での授業……少し船を漕ぎかけたのは、秘密。

 三限目が終わったのは十六時過ぎ。初回だったおかげで特に課題は出されておらず、家に帰っても特にすることがなかった。

 ふと、敷地内地図の前で足が止まる。

 そして、たちまち湧き上がる……ゾクゾク感。


「探検でも……してみよっかな!」


 十数棟の校舎があるけど、学部ごとに使う校舎が違うので、それはご愛嬌。

 共通して使える校舎だけ見てみることに。

 まずは……情報館。いわゆる大学図書館に行ってみる。

 カッコ良く写れなかった学生証を受付に見せて入館すると、誰もがそこに広がる別世界のような空間に圧倒されると思う。

 二階建ての情報館は壁一面に本棚が埋め込まれていて、色々な本の背表紙がこちらに向いて虹を作っている。

 受付を中心に円形に聳え立つ本棚の壁。明るすぎず、暗すぎない吊り照明達。

 長いテーブルに個々の空間を作りだす、つい立。

 最新の資料や書籍を紹介するコーナー。

 今まで図書館なる場所に行ったことがほとんど無かったから……楽しい。

 見るもの全てが新鮮で、色々物色してみる。

 物語……文学……。

 政治……経済……。

 歴史……伝記……。

 宗教……文化……。

 背丈を超える本棚の森を抜けると、個室の自習室や印刷室もあった。

 何人かがそこでパソコンを操作していたり、ペンを走らせていたりしていた。

 僕も課題に追われる日が来たら、ここに来よう。

 そう思って腕時計を見ると、指針は十八時半を指していた。

 まさか、二時間も情報館内を彷徨っていたなんて。

 そろそろ帰るとする…………か……?


「あの人……」


 本棚にある、とある本の背表紙をなぞらえる、一人の女性。

 その人は、どこか慈しむような笑みを浮かべていた。


「氷彗……蘭……さん」


 入学式の前に会った、萄真と千寿と同じ高校の……。


「あ……」

「……」


 目が合って……しまった。


「……」

「あ、あの……」


 だが。


「……」

「え、あっ……ちょっと!」


 氷彗さんは、無言で歩きだしてしまう。

 まるで……僕から逃げるように。

 反射的に動いた僕の足は、氷彗さんの後を追う。

 その、氷彗さんの足の速さたるや。

 やっとの思いで追いついたのは、情報館の外だった。


「ま、待ってッ!」


 静止を促す声が、つい大声になってしまう。

 いや……これを見越して、あえての外?

 真意は分からないけど、僕の声に足を止める氷彗さんは、振り返ることなく短く告げる。


「……なんのつもり?」


 また……『なんのつもり?』。


「えぇっと……その……」


 何を言えばいいのか。何を言いたかったのか。

 何を聞きたかったのか。何を……——?

 考えていたことが一瞬で全部飛んでいき、全く言葉が紡げない。

 氷彗さんの態度や声の圧に怯んだから。とかではなくて。


「……私に」


 おもむろに口を開く氷彗さんは、僕に聞こえるギリギリの小さな声で話し始める。

 限りなく短く、淡白に。


「私に……関わらないで」


 それ以上、氷彗さんは何も言わなかった。

 何も言わず……歩き出すのだった。


「……」


 そんな氷彗さんに、何も言えなかった。

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