第106話 恋する乙女は挑戦者へ

 すでに夕陽は沈みかけていた。まさに気の向くままとばかりに落ちようとする太陽が、目の前の少女の心を皮肉のように描いているように見える。

 時刻はすでに18時を回り、季節は1月。冷たい風がまるで刃のように俺達の身体を引き裂いていくように通り過ぎる。

 もうどれほどの時間そうしていただろうか?


 ……彼女が、陽菜が、血の繋がった兄の──裕也の墓所に立ち尽くしてから。


「実は、初めてなんです。こいつの墓参りに来るの。しばらく入院してたこともあって、中々来る機会が……」


 突如として陽菜の声が途切れる。

 何事かと視線を向けてみれば、彼女は閉じていた目をうっすらと開け、実の兄の名が刻まれた墓石に触れていた。


「……いや、違いますね。来られなかったんです。こいつに──兄貴に、向き合うのが怖くて」


 彼女は心の中に眠っていた気持ちを小さな呟きと共に漏らす。

 やがて、気持ちを整理するかのようなため息と共に俺の方に向き直った。


「でも今、やっとスタート地点に立てました。どう向き合って行くかは正直まだ分かりませんけど、これからは余計なことに悩まずに済みそうです」


 どこか嬉しそうな、それでいて悲しそうな、複雑な笑みを見せる陽菜。

 その表情は、兄の死が完全に吹っ切れた……というよりは彼女の言うように、自分が居るのはスタート地点に過ぎないという気持ちの表れだろう。


「湊先輩はどうですか?意外と、兄貴の死に後悔を感じてたり?」

「そうだな。確かに、何も思うところがないと言えば嘘にはなる」

「軽いなー。こういう時くらいは普通、しみじみするべきですよ」


 冗談交じりに陽菜は笑う。

 しかし、それも一時的なものだった。


「……兄貴だって湊先輩のこと、ちゃんと友達だって思っていたと思います。ただ、羨ましかったんです。どれだけ望んでも、自分には絶対に手に入らないモノを持っている湊先輩が」


 陽菜の重苦しい表情。

 口には出さずとも、彼女の言わんとしていることは嫌でも伝わって来た。


「お前にも裕也にも、随分と買い被られたもんだ」

「……前から思ってましたけど。湊先輩って、“自分ができることは他も出来る”って考えてますよね。自分を過小評価し過ぎです。皆がみんな、湊先輩みたいに感情を抑えたり割り切った考え方を出来るわけじゃないんですから」

「そんなこともないと思うけどな。ま、一応は褒め言葉として受け取っておく」


 そう言いつつ、俺達は隣り合わせに並び、互いに手を合わせた。

 かつて、奏や莉緒と共に訪れた校長の計らいで作られた物とは異なり、他ならぬ親族の手によって建てられた墓石の前で……。


「今日は付き添ってくれてありがとうございました。色々ありましたけど、これからはきちんと向き合って行けそうです」

「だったら何よりだ。ただ、くれぐれも無理はするなよ。また今回みたいなことになられたんじゃ裕也の野郎に呪い殺されちまうしな」

「ふふ……肝に銘じておきます。戻りましょうか」


 陽菜は今度こそ確かな微笑みを見せると同時に、共に墓所を後にした。

 特に会話もなく人通りの少ない道を歩く。その際、自身の手のひらに温かい感触が走るのに気がついた。

 

「……?どうした?」

「どうもしませんよ。ただ、私がしたいからこうしてるだけです。嫌ですか?」

「いや、別に構わないが」

「はぁ……」


 陽菜は先程までとは打って変わり、呆れながらも拗ねたような表情を向けてきた。

 素直に了承したはずだが、どうやら俺は彼女の思惑とは違った行動を取ってしまったらしい。


「いいですか?湊先輩。女の子が恋愛面で男性に最も求めるものは、話を聞いてくれる人なんですよ」

「ああ、特にお前は……だろ?」

「わかってるなら、早く私を肯定して下さい。“救えるはずの命をあえて救わなかった”湊先輩には、その義務がありますよね?」

「おいおい、裕也が泣くぞ」

「泣かせときゃいいんですよ。元はと言えば勝手に絶望して死んだあいつが悪いんですから」


 早くも脅しのネタに使われる亡き友に同情を覚えながらも、ドン引きを超え清々しい気分になる。

 ……何というか、この兄妹、本当に最後まで相容れないんだな。


「何ですか、その顔。まさか湊先輩ともあろう方が、言い逃れなんかしませんよね?さっきも言いましたけど、あなたには私の全てを受け入れる義務があるんですから」

「わかったわかった……」


 鋭い視線を向けつつも、陽菜の俺の手のひらを握る力が強くなる。

 口ではぞんざいな扱いをしつつも、兄を失ったことで空いた心の穴は未だに埋まっていないのだろう。

 俺は早々に彼女の気持ちに応えるべく、乱暴に彼女の手のひら──拳を自らの手で包み込んだ。


「ぁ……」

「今の俺が出来ることと言えばこのくらいだ。どうだ、不服か?」

「……莉緒ちゃんの言う通りですね。この女たらし」

 

 頬を染めながら、陽菜は子供のようにそっぽを向く。

 どうやら、今回は彼女の期待に応えられたようだった。


「ここまで来たら、徹底的に付き合ってもらいますからね。私が納得するまで」

「勿論覚悟の上だが、俺がお前を撰ぶかどうかは別問題だぞ」

「ええ、お好きにどうぞ。その時は奪って見せます。湊先輩が誰に目を向けようと、最終的には私に振り向かせてあげますから。今度は、正々堂々と……ね」

 

「……いい女だな、お前も」

「“お前は”、ですよ♪」


 陽菜は悪戯っ子のような目つきで笑う。

 それは、かつて奏や莉緒に向けていた歪んだものとは異なる、純粋な挑戦者としての瞳だった。

 

「(ま、約束は果たしてやるさ。それがお前への手向けになるならさ)」


 脳内に蘇る、亡き友の最後の願い。

 誰が何と言おうが、俺はあいつを見殺しにした。

 後悔はない。謝る気もない。

 しかし、その代償は受けよう。


 全てが終わった、最後に──俺の全てを捧げることによって……。

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