第105話 諦められない恋心

 暗闇の中から一人の少女の意識は覚醒した。

 はっ、と体を起き上がらせると同時に急激なダルさが襲ってくるも、我慢が出来ない程ではない。

 自身の上半身を見下ろせば、纏っていたのは着脱性が優先された寝服ではなく学生服。

 どうやら寝ていたことは理解したが、そこに至るまでのプロセス部分はどこかまだ曖昧だった。


「(ここ……どこ?私、確か……)」


 その中で、少女──早乙女陽菜は改めて自身がここに至るまでの経緯を整理して行く。

 新学期の初日、クラスメイトと……莉緒との帰り道で意識が途絶えたのに気がついたのは今更だった。

 この世にいない兄。裕也の……実の兄の死に立ち会った少女から自身に抱いていた想いを知り、胸が苦しくなり、訳がわからなくなって……。


「……っ」


 脳内に浮かぶ今は亡き兄の姿。陽菜は思わず震える拳を抑えつけた。

 とにかく、今は状況を詳しく確認する必要がある。そもそもここはどこなのだろうか?

 陽菜は部屋全体を見渡す。そこにあるものといえば、自身が横たわっていたベッドとその正面に新品と思われる勉強机と椅子のみ。

 直感的に恐らく女性の部屋だと認識するものの、それがどこの誰かなのは見当もつかなかった。


 次の瞬間──


「陽菜?起きたのか?」

「っ……!」


 唐突なノック音と共に聞こえてくる声。反射的に陽菜の心臓は高鳴る。

 その声の主が、誰のものかなどすぐにわかってしまった。


「入っていいか?」

「あっ、は、はい!どうぞ」


 慌てて了承の言葉を口にすると同時に、部屋の扉が開く。

 姿を見せたのは、やはり想像通りの人物だった。


「よう、どうだ?調子は」

「えっと、大丈夫?……だと思います」

「いや、何で疑問系なんだよ。一応今、莉緒が買い出しに行ってくれてるんだが、何か欲しい物はあるか?頼んでやるぞ」

「い、いえ、そんな……大したことはありませんから」


 声が震える。明らかに動揺を隠し切れなかった。

 状況から察するに、ここは彼の家ということだろうか?

 だとしたら、彼が倒れた自分を運んでくれた?

 何一つ理解出来ない陽菜に、目の前の彼は陽菜の心境など等に察していたのか、呆れたようにため息をついた。


「やっぱ覚えてないか。まあ、相当しんどそうだったもんな。あの時のお前」


 やがて、その視線を陽菜に向け、ここに至るまでの経緯を語った。


「安心しろ、俺んちだ。親には連絡してない。時間もそんなに経ってねぇしな。体調に問題がないなら、少し休んでから帰れば問題ないと思うぜ」

「……湊先輩が運んでくれたんですか?」

「莉緒から連絡を貰った時は流石に驚いたぞ。何せ道の真ん中でうずくまってたんだからな。散々親や病院には連絡するなって言ってたが、それも覚えてないのか?」


 湊の問いに対して、陽菜は小さく頷く。

 彼が妹である黒鉄莉緒から連絡を受け、陽菜をこの部屋に運んだのは僅か二時間前。

 最初こそ明らかにただならぬ様子からすぐにでも病院に連絡しようと試みたが、微かに意識が残っていた陽菜の哀願によってそれは阻止された。

 

「ま、ひとまずは平気そうで安心したぜ。また警察の世話になるのもごめんだったしな」

「すみません、湊先輩。ご迷惑をお掛けして……」

「気にするな。お前をそうさせちまったのは俺の責任でもあるからな」


 言いながら、湊は陽菜の目前にある勉強机についていた椅子に腰を下ろした。


「大体のことは莉緒から聞いた。悪かったな、気づいてやれなくて」

「……私自身が、一番驚いています。勝手に死んだあいつのことなんて、何とも思ってなかったはずなのに」

「気持ちはわかる。ただまあ、そんなもんだと思うぜ。家族なんてもんはな」


 経験者は語るとばかりの湊の表情に、陽菜は曇った瞳を崩さなかった。

 家族だから……妹だから。

 かつても今も、そう言って全てを納得させるこの人の言葉の意図がどうしても気になってしまった。

 

「それって、妹を持つ兄にとっては呪いにしかならないってことですか?」


 陽菜の言葉に、微かだが湊の眼光が鋭くなる。

 彼女がその視線に怯むことはなかったが、それ以上に疑の念を吐き出すことはなかった。


「……すみません。忘れて下さい」


 曇った表情のまま陽菜は目を伏せる。

 誰よりも重荷を背負い、傷ついているのはこの人のはずなのに……。


「親には連絡しないでくれたんですよね?なら、早く戻らなきゃですね」

「身体は大丈夫なのか?もう少し休んでからの方がいいと思うぞ」

「いえいえ。それに、親にも今日は真っ直ぐ帰るようにって言われてるので」

 

 作り笑いを浮かべながらも、陽菜は立ち上がる。

 すでに放課後から数時間。未だに両親からの着信がないところを考えば、軽く謝れば丸く収まるだろう。


「では、湊先輩。また明──っ!?」


 ──瞬間、陽菜の身体に変化が訪れた。


 突如として彼女を襲ったのは、急激なダルさと吐き気。意識を失う寸前に体感した不愉快と全く同じもの。

 視界が回る。立ち上がったばかりの彼女の身体は起き上がりの体制を維持することすら叶わず、ぐるぐるとした視界の中で最後に見たものは冷たい輝きを放つ茶色の床だ。


 再度迫り来る衝撃に備え、思わず目を瞑る。

 それは、彼女が痛みに覚悟を決めた瞬間だった……。


「……?」


 しかし、恐れていた衝撃はなく、その身体は一人の大きな腕によってしっかりと支えられていた。


「ったく。言わんこっちゃねぇ」

「ぁ……」


 呆れながらも強く、それでいて優しい声色。

 彼はそのまま何事もなかったかのように手慣れた動きで陽菜の身体をベッドへと導いていった。


「一人で抱え込むな。もっと他人を頼れ。辛い時は休んだっていいんだぞ」


 ……とんだブーメランだ。一番他者を頼ってないあなたが何を言うか。

 真っ先に脳内に浮かんだ陽菜の突っ込みは、言葉にならない。

 されるがままに陽菜の身体はベッドに移動され、彼女の身体を掛け布団が覆った。


「とにかく今は寝とけ。両親の方には俺から連絡しておく。理由はまあ、適当にな」


 それは、いつもの彼らしい飄々とした笑み。

 しかし、何故か陽菜は哀しさと孤独感を覚えた。

 

「(……やめてよ)」


 私を振ったくせに、私の気持ちに応えられないって言ったくせに。


 そんなことされたら、ますます──


「暫くはリビングに居る。何かあれば呼んでくれ」


 その言葉と共に、彼は早々に部屋から立ち去ろうとする。

 陽菜はそれを呆然と眺めていた。


「(湊、先輩……)」


 ……あの日から、どんなに追いかけても、どれほど手を伸ばしても届かなかった彼の背中。  


 彼ともっと話したい。

 彼の隣に立ちたい。

 今度は、自分が彼を支えたい。


 かつて陽菜の中に眠り、溢れ出た欲望。

 彼はいつだって一人で行くことを決心して、背を向けて駆け出して行く彼を引き留める力が自身にはない。

 彼を追いかける足が空回りして、必死で伸ばした少女の手は全く届く事なく闇へと吸い込まれていく。


 気がついた時には、止まらなくなっていた。


「待って下さい──待ってよ!!」


 己自身が生み出した幻覚にあっさりと敗北した彼女は、無意識の内に叫んでいた。

 声は震え、溢れ出た涙が頬を伝いシーツへと落ちる。

 もう自分には、彼の隣に立つだけの力も勇気もない。


 ……そして、常に自分を気にかけてくれた兄もいない。


「お願い……!お願いだからっ、今日は側に居てよ……!!」

 

 側から見れば唐突な叫び声を上げる陽菜に、目の前の彼は何事もなかったのように再度勉強椅子に腰を戻した。


「わかった」

「ぁ……」

「ただし、今だけな」


 相変わらずの飄々とした──しかし、どこか淋しげのある飄々を見せた後、陽菜を覆う掛け布団に自らの手を忍び込ませ、陽菜の手を拾う。

 結果、お互いの指は自然のままに絡め合った。


「(……これ、恋人繋ぎ)」


 陽菜は自身と彼を繋ぐ指に力を込める。

 もう、二度と逃がさないように……。


「んな警戒しなくても、逃げないっての。お前が寝るまではここに居る」

「……駄目ですよ。今日一日はずっと側に居て下さい」

「お前なぁ……つかまさかとは思うが、繋ぎっぱなしなのか?」

「正解です。辛い時は頼っていいんですよね?」

「ったく……」


 彼は観念したようにため息をつく。その姿に、陽菜はようやく心からの笑顔を見せた。

 そう……諦められるはずなどなかった。認められるはずなどなかった。

 例え、決して叶わぬだとしても……。

 

 でも、今日だけは……。


 今だけは、私だけのあなたで居て下さいと願いながら──陽菜は確かな彼の温もりを感じながら目を閉じた。

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