第103話 兄としての愛情、親としての愛情

 数分後、早乙女陽菜は全てを知った。

 実の兄……裕也が行動を起こすきっかけが監禁された自分を救う為だったこと、天野澪の干渉があったこと。その澪の裏には元朝神グループのボディーガードである鬼塚玄馬がバックについていたこと。

 ……何よりも、最後まで自身の心に干渉しなかった兄が──自身をどれだけ大切に想っていてくれたのかを。


「……それ、間違いないんだよね?」

「うん。裕也先輩、確かに言ってたよ。自分は、妹と……陽菜ちゃんのいない現実と向き合う勇気はないって」


 莉緒の脳内に蘇るのは、"絶望を前に死を覚悟にした者"。

 ……あの日の裕也の表情を、彼女が忘れることは一生ないだろう。 

 あの人が自身にしようとしたことを許すつもりはない。

 しかし、その気持ちがわからない訳ではない。

 かつては、自分もそうだったのだから……。


「……そっか」


 全ての話を聞いた陽菜は、静かに目を閉じた。

 兄の死をきっかけにある程度は聞かされていたが、ここまでの事態になっているとは想像もしていなかった。


「(何よ……)」


 陽菜は、心底うんざりしたような声色で呟く。

 彼女の表情から察せるのは、血の繋がった兄に対する軽蔑と怒り。

 しかし、何故か震える拳を堪えることは出来なかった……。


「(何なのよ、あんたは……!)」


 わかっていた。兄が……あいつが、自分の身を案じてくれていることくらい。

 幼い頃から互いの本音に干渉せず、程々の距離感で接して来たはずの兄。

 ……どうしようもなく弱い男だった。

 守るべき妹を彼に押し付け、最後に溢れ出したのはその友に抱いていた嫉妬心を剥き出しにした。

 どれだけ大切に思ってくれていたとしても、あいつにはそれを行動に移す勇気もなければ、力もない。

 何度決意を新たにしようと、最後には自分という存在を選ぶ。どこまでも優柔不断な兄。


 それこそが、兄……早乙女裕也という男だった……。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「は、陽菜ちゃん?」


 陽菜の心を支配する、亡き兄の想い。それは、まるで呪いのように彼女の心を締め付けた。

 世界がぐるぐる回る。

 足元がおぼつかない。

 地が急速に目の前に迫ってくる。

 

 ……やがて、彼女の精神力は限界を迎えた。





 三学期初日。下校時間をも等に過ぎた時刻の中で、俺は優奈と共に校長室に呼び出されていた。


「すまないね、初日から」

「別にいいが、何の用だ?鬼塚玄馬の手掛かりでも掴んだのか?」

「うむ。まあ、掛けてくれ」


 向かい側のソファーに腰を掛けつつ、校長からホットコーヒーを受け取る。

 思わぬ形にはなったが、澪の脅威が去った今、こうしてコソコソと会う必要はない。あの女を廃人化させた犯人が鬼塚玄馬だとしても、俺が動く理由はないだろう。

 一応、おおよその察しはついているが……"その話題"がこの男からだとするなら、こちらとしても問い詰めなければならない。


「初日の学校はどうだった?上手くやっていけそうかね?」

「ああ、特に問題ないと思うぜ。貴重な話し相手がいなくなっちまったのは少し寂しいけどな」

「話し相手って……友達だったんでしょ?そんな言い方しないの」


 冗談半分のつもりだったが、優奈に早々に咎められる。

 叔父夫婦の一件、朝神グループの崩壊から僅か数ヶ月。ついには自殺者が出たという衝撃は多くの生徒に注目の的となっていたが、あくまでも一般には自殺という情報のみが報道されている為、予め優奈から聞かされていた通り、今回に至ってはそこまで陰口は叩かれてはいないようだった。


「そう言うあんたはどうなんだ?息子とは上手くやれてんのか?」

「え?ああ……先日、少しだが話し合ったよ。天野君にはしてやられたな。まさか彼女の情報源が亮二……もとい私だったとは。情けない話だ」


 あからさまに落ち込んだ様子を見せる校長。こちらとしては適当な世間話のつもりだったが、思いの外責任を感じているらしい。

 

「ま、仕方ねえだろ。別にあんたは悪くないさ。この際、あそこまで悪知恵を働かせた澪を讃えてやろうぜ」

「……何というか、本当にポーカーフェイスだな、黒鉄君は。その年齢にしてその冷静さ。もはや恐怖すら感じるよ」

「そりゃあ、買い被りすぎだろ」


 言いながら、俺は渡されたコーヒーカップを口につける。

 以前に来た時は味わうことは出来なかったが、まさに甘い果実のような舌触り。コーヒーの味など素人同然の俺だが、心の中にまで響き渡るまろやかな味付けはどこか懐かしいものに感じた。

 やがて、コーヒーカップを受け皿に置くと共に、先程から視線を送っていた相方に目を向けた。


「どうかしたのか?」

「……!あ……ううん、別に」


 俺の視線に気づいた優奈は慌てて目を逸らす。微かに頬を赤くしながらも唇をわなわなと震わせている姿に疑問を抱きつつも、話を進めた。


「んで、肝心の要件は結局は何なんだ?」

「あまりいい話ではないんだが……君のお父さんのことだ」


 あまりに予想通りの言葉に、俺は無礼と自覚しつつもため息をつく。

 校長はそんな俺の態度に不快感を露わにこともなく、言葉を続けた。


「君も知っての通り、天野君は身寄りがない。正解に言うならば、今までは表になっていなかっただけだが。そんな彼女が事件の重要参考人となれば、誰の元へ連絡が行くのか……」

「まあ、考えるまでもなく"あの男"だろうな」


 父と呼ぶべき男の姿を脳内に浮かべつつ、俺は再度コーヒーをすする。

 元より、数日前より聞いていた事。あの女が俺にとって腹違いの妹と呼ぶべき存在だとだとするなら、その答えに辿り着くのは何ら難しいことではなかった。


「事情は把握してる。あの野郎、あろうことか澪を引き取る気で居たみたいだな。大方、母親がかけていた保険金目当てだろうが」

「ちょ、ちょっと待ってよ。その人って、あの時に会った君のお父さんだよね?今更……」


 あまりにど正論な優奈の突っ込みに、思わず口元が緩むのが堪えられなかった。

 

「大丈夫だ。ただでさえ強姦で生んだ娘の前に今更姿を現しただけでなく、実の子すら育児放棄した男だぞ?んな奴、無事で済む訳がねぇだろ」


 俺の言葉に、いかにも間が抜けた表情をする優奈。

 そう……澪の存在が警察に知られるのと同時に、その人生を壊したきっかけである父と呼ぶべき男はあっさりと逮捕された。

 これまで何度も裁判にかかりながら、確かな証拠がないということで無罪放免になり続けていた男の人生がついに終わりを告げた瞬間だったのだ。


「やはり知っていたか。結局私は、また何もしてやれなかったようだ」

「……何故あんたが責任を感じる?悪いのは野放しにしてた俺の方だろ」

「いや、またしても道を踏み外した友を救えなかった。それだけで立派な重罪だ」


 その言葉に、俺は思わず手を止めた。


「……校長先生、今のって」

「すまない、別に隠すつもりはなかったんだが、中々言い出すタイミングがなくてな」


 唐突に明かされた意外な繋がり。

 校長はそのまま自身と父と呼ぶべき男との関係を語った。


「黒鉄君のお父さん……陣とは高校からの縁でね。当時からヤンチャだったものだ。女遊びは勿論、万引きも繰り返し、少年院に行きかけたこともあった。君の前でこういう言い方をするのも気が引けるが、本当にどうしようもない奴……という感情しか抱けなかったよ」

  

 言葉とは裏腹に、どこか穏やかな笑みの校長。

 それは、過ぎ去った思い出故か?あるいは……。

 

「ただ、だからこそだろう。あいつが結婚していたと聞いた時は思わず耳を疑ったよ。まだ言葉も喋れない赤ん坊を三人も連れて、心の底から笑いながら──"こいつらはオレが守る"ってね。その時はすでに、勤めていた会社をリストラされたにも関わらずだ」

「っ……」

「その後も家族を支える為に何度も仕事をクビになって、転々として……いつしかあいつは戻ってしまった。今でも時々考えるんだ。もしもその時、私があいつの痛みに、苦しさに気づいてさえいれば、違った未来もあったのかもしれない……と」


 ……流石に驚きを隠せなかった。夢なのか?とも思う程だ。

 物心がついた頃より、愛情のひとかけらすら感じることのなかったあの男が、俺達に確かな愛情を持っていた時期があったという現実に……。


「黒鉄君、確かにあいつは父として、人として許されない程の罪を犯した。許せなくて当然だ。だが、忘れないで欲しい。男が一人の父親としてこの世に生を残すと決めた以上、子供の成長に喜びを感じないことは出来ない。それを上回る絶望に呑まれるまではね」

「……そうだな」


 飲み終えたコーヒーカップを受け皿に置く。

 史上最低だと信じて疑わなかった父親。

 少なくとも、あの男もかつては一人の親だったということだろうが……。


「──だから、その罪滅ぼしの為に選ばれたのが……わたしという訳ですか?」


 突如として聞こえてくるのは、あまりにも凍てついた声だった。

 視線を傾けると、それを発した張本人である少女──優奈の氷のような瞳が校長を捉えていた。

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