第102話 新学期の始まり。陽菜の想い

 数日の入院生活が終わり、その日は星宮学園の始業式。

 少女──早乙女陽菜は予め用意されていたパイプ椅子に腰を下ろし、恒例とも言える教師の話に耳を傾けていた。


「この度は、無念のうちに命を落としてしまった早乙女裕也君に──」


 通常、この手の話に生徒達が真剣に耳を傾けることは稀である。

 今年度の目標の成果、将来への不安、進学や受験への意気込みなど、実にありがちな話題は多くの生徒達にとって退屈以外の何者でもない。

 しかし今、教師の口から語られている内容はありがちな"それ"とはまるで違うものだった。

 そして、その話題にもっとも近しい生徒が他ならぬ彼女であることも……。


「早乙女裕也って、二年生の先輩だっけ?」

「冬休みの間に自殺ってマジかよ……」

「確か、数日前から行方不明だったって話はだったよね?それも関係してたりするのかな?」

「わかんねぇ。今回に至っては、例の人は関わってないっぽいし」

「いや、どうだかな。結構一緒に居るところを見たって人も居るし、案外関わりがあるかもしれないぜ?」


 他のクラスから聞こえて来るヒソヒソ話に、陽菜は無意識に小さな舌打ちを打つ。

 すると、隣のパイプ椅子に座る女子生徒から声をかけられた。

 

「その……早乙女さん?」

「……何?」

「いや、あの……無理はしないでね。お兄さんが亡くなって辛いとは思うけど、何か困ったことがあったら言って?私で良ければいつでも相談に乗るから」

「……そう。ありがと」


 投げやりに言い放ち、陽菜は視線を再び眼前に戻す。

 自身を心配してくれてのことだろうが、今の陽菜にとってはその気遣いこそが彼女の中にある煩わしさを加速させるだけだった。

 

 ……そう、あの日。彼を手中にしようとした天野澪による野暮により、一時的に陽菜の命運は崩壊の危機を辿った。

 それを他ならぬ彼によって救われ、数週間の監禁の影響によって衰弱していた陽菜は総合病院に搬送させることになった。

 未だ多少のダルさこそ残るものの、身体への影響などは殆どなく、数日の検査入院を終えた後に三学期の始業式に間に合わせることが出来た。

 陽菜の心境を案じた家族や医師からはもう少し休むことを薦められたが、二学期に起きた朝神グループの一件もあり、これ以上の欠席は進級にも影響が出る。誰よりも、陽菜自身がそれを強く拒んだ。

 ……兄と呼ぶべき存在のいない日常が、自身にどんな結果をもたらすのか?

 それを知る為に……。

 



 

 

 役30分後、室内に放課後を告げるチャイムが響く。新学期初日ということもあり授業もなく、陽菜は通常通りに一人で帰る準備をする。

 小さなカバンにタブレットなどをしまい、微かな眩暈を感じつつも立ち上がると同時のことだった。


「……えっと、陽菜ちゃん。ちょっといい?」


 不意に一人の女子生徒から声をかけられる。陽菜は自然のままに声のした方向へと視線を向けると、そこには意外な人物が立っていた。


「あぁ、珍しいね。どうしたの?」

「良かったら一緒に帰らない?少し話がしたくて」


 唐突に誘って来たのは、想い人である彼の妹である黒鉄莉緒。

 同じクラスという関係にありながらも、普段は言葉を交わすことすらろくにない為か軽く当惑してしまった。


「……兄さんや裕也先輩のこと、話しておきたいんだ。特に陽菜ちゃんには聞く権利があると思うから」


 陽菜が返事に詰まっていると、莉緒は今の彼女を縛る人物二人の名前を出す。

 どう返事しようか……と悩む陽菜の脳内に、早々に選択肢が消えた瞬間であった。


「そう……なんだ。わかった。久しぶりに一緒に帰ろっか」

「……ごめんね」


 何故か謝る莉緒と共に、陽菜はそのまま教室を後にした。


「ほら、あの娘だよ」

「ん?ああ、噂の自殺した二年の妹か」

「へぇ、結構可愛いじゃん。もしかして傷心中?今なら堕とせる感じ?」

「馬鹿、やめとけ。というかあいつ、二学期の最後の方から行方不明だったんだぞ。関わってる可能性もあるぜ」

「あんなオシャレな子がかよ……つかマジ、この学校って呪われてんじゃね?一学期毎に色んなこと起きすぎだし」

「まあ正直、こっちとしては退屈はしないけどな。話題には困らないし」

「もう!縁起でもないこと言わないの。本人に聞こえるでしょっ」

「(いや、さっきから全部聞こえてるから……)」

 

 渡り廊下を歩くだけでも嫌でも耳に入って来るヒソヒソ話に陽菜は思わず突っ込みを入れる。

 そのまま視線を真横に向けると、何とも居心地な悪そうな表情で彼女を見る莉緒の姿があった。

 

「はぁ……早く行こうか」

 

 周囲の生徒達からの罵倒とも言える言葉に呆れながら、陽菜と莉緒はその場を立ち去る。

 やがて、ある程度人目がつかない場所に辿り着いた後に陽菜はいかにも面倒くさそうに頭をかきながら口を開いた。


「全くさ……ああいうの、勘弁して欲しいよね。ネタにするのは結構だけど、せめて本人がいない場所でやれっての」

「……そうだよね。もう少し気を使って欲しいかな」


 周囲の生徒達の態度に愚痴りつつも、陽菜は二学期の始業式で彼へと向けられていた罵倒を思い出していた。

 もしかしたら、あの人もこんな思いをしていたのだろうか?

 不謹慎と自覚しつつも、僅かでも同じ立場に近づけたことに彼女は喜びを感じていた。

 ……例え振られた身だとしても、想いを捨て去るのはそう簡単ではないのだ。


「それで、話って何?今日はすぐに帰って来いって言われてるからさ、出来れば早めに頼みたいんだけど」

「あ……うん、ごめんね」

「(また謝ったし……というか、こんなに陰キャみたいな子だったっけ?)」


 莉緒と陽菜。互いに同じ学年であり、同年代の兄を持ち、中学時代からの顔見知り。

 だが、その距離は決して近いものではなかった。

 関係上、顔を合わせれば挨拶くらいはする。帰り際で会えば共に帰ることはある。


 しかし、言うなれば二人の仲を説明できるのはそれのみだったのだ。


「……裕也先輩のこと、残念だったよね」

「ん?……ああ、まあね」


 もはや何度目かもわからぬ他者からの労いの言葉に、陽菜は何とかため息を堪える。

 一応は気遣ってくれているのだろう……という気持ちと共に、目の前の少女が兄の最後に立ち会ったのに気がついたのは今更だった。


「莉緒ちゃんこそ、あいつのせいで足を怪我したんでしょ?もう大丈夫なの?」

「心配ないよ。元から少しかすっただけだから」

「そう?まあ、お大事にね」


 何気ない会話を終えた後、気まずい沈黙が流れる。

 互いに聞きたいことは山ほどあるはずなのに、その言葉は何故か出て来ない。

 その中で、陽菜はなんとか別の話題を口にした。


「湊先輩はどう?あの人のことだから心配ないと思うけど、その後はちゃんとやれてる?」

「大丈夫だと思う。というか、莉緒なんかよりよっぽどピンピンしてるよ。休みの間だって、奏ちゃんと二人きりで過ごしてたし」

「ほーほー、流石は百戦錬磨の湊先輩ですなぁ。余裕があるのは結構だけど、もう少し落ち込んでくれてもいいのにねー」

「本当だよ、あの女たらし」


 先程までの気まずい雰囲気が嘘のように、莉緒と陽菜は顔を引き攣らせながらも笑い合う。

 大した接点もない故、共通の話題となれば想い人である彼の話になるのは必然だろう。


「なんというか、純粋に羨ましいよ。君にはいつも頼りになるお兄ちゃんが居てさ」

「自慢する訳じゃないけど、流石にあれと比べるのは裕也先輩が可哀想だと思うけど」

「こーら、実のお兄さんを"あれ"呼ばわりしないの。言いたいことはわかるけどさ」

「まあ莉緒としては、陽菜ちゃんの方が羨ましいけどね。あの人の妹として生まれなきゃ、こんな想いをしなくて済んだかもしれないし」


 互いが互いの兄を比較しつつ、二人の少女の間に僅かな和やかな雰囲気が流れる中──先手を仕掛けたのは陽菜だった。


「ねぇ、あいつさ……最後に何か言ってた?」

「……うん、特に兄さんにね。最後の最後で、泣きながらさ。陽菜ちゃんを頼むって」


 唐突な陽菜の問いに、莉緒は迷いなく答える。

 その場の雰囲気が一瞬にして全く別のものへと変化した。


「……ごめん。その時のこと、詳しく聞かせてもらっていい?あんまり思い出したくないのはわかるんだけどさ、どうしても知りたいんだ」

「大丈夫だよ。元からそのつもりだったから」


 そうして、莉緒は重い口を開いた。

 あまりにも唐突にいなくなった兄。そんな訳がないと思いつつも、知ってしまった兄の想い。

 その気持ちと、どう向き合うべきなのか。

 答えを得る為に……。

 

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