第26話 圧倒的な力
俺はボディーガードの拳を離すと同時に、距離を取る。
それに対しても、目の前の男が動揺を見せることはなかった。
「どうやら腕は鈍っていないようだな。安心したぞ」
そうして不敵に笑う奏のボディーガード……本名、
基本業は奏のボディーガードでありながら、身の回りの世話や中学時代には送り迎えなど、執事のような役割でもあった男。
何よりも──俺にとっては仇であり、同時に師と呼ぶべき存在なのだから。
「あんたも相変わらずだな。俺もその無慈悲さは見習いたいもんだ」
「何の用だ?まさか、今更復讐する気にでもなかったか?
サングラス越しにも、男が薄ら笑いを浮かべているのがはっきりとわかった。
「だとしたら、あんたはどうする?この場で俺に二、三発殴られてくれるか?」
「それは同意出来んな。しかし、中々にいいタイミングだぞ。これなら何なく仕事が果たさせそうだ」
「仕事だ?」
「ああ、言ってなかったな。では、こちらも本題に入ろうか」
阿久津の薄ら笑いは止まらない。
それは先程の旅館で菫と鉢合わせになった際、俺に送りつけた一通のメッセージが原因だろう。
ただ一つ、そこに貼付された一枚の画像と共に……。
「お前とてすでに察しはついているのだろう?あの方の……奏様からの依頼は、直ちにお前の身柄を拘束すること」
「……一応聞いとくが、拒否権は?」
「抵抗するなら自由にすることだ。しかし、それが何を意味するのか……お前ならばとうに理解しているはずだろう?」
「やれやれ……」
俺はため息をつくと同時に、阿久津が送ってきたメールを再度開いた。
そこに映し出されたのは、あの時の——陽菜と俺の接吻。偽りの愛情とはいえ、その舌は這わせ、写真からでも俺達を繋ぐ糸すらもはっきりとわかる。
錯乱していたように見えたが、そうところは抜け目ないのな、と……俺はどこに居るかわからない幼馴染兼元恋人に嘆いた。
「俺を拘束したとして、この後はどうする?」
「さあな。私が授かった仕事は、お前を奏様の元へお連れすることのみ。その先の話は彼女に聞くことだ。時間が惜しい、そろそろ始めさせてもらうぞ」
何事もなく言い出す阿久津を前に、俺は驚きを超え呆れ果てていた。
その手にあるのは、かつて澪が俺に向けた狂気であるスタンガン。
「(俺が阿久津を呼び出した途端にこの状況……あまりにタイミングが良すぎるな。何を狙ってやがる?)」
俺が奏を理解しているように、彼女も俺を理解している。
正直、踊らされるのはお世話にもいい気分ではないが……俺は口元を緩めた。
「ま、はいそうですか……って素直にやられる訳にも行かないわな」
「ほぅ……」
俺は自らの首筋に向かってきたスタンガンを持つ阿久津の右手首を掴み上げた。
それに対しても阿久津は特に動じることもなく、手首を傾け、あろうことか俺の顔面に目掛けてスタンガンを放り投げて来た。
俺はとっさに回避するも、その隙を突き、阿久津は俺からある程度の距離を置く。
「随分と思い切ったな。スタンガンっていったら相手を気絶させるのには効果的なアイテムだろう?それをぶん投げるか?普通」
「何、ほんの小手調べだ。それに、こう見えてもボディーガードの身。あのような武器に頼らずともお前の身柄の確保など造作もないこと」
「言ってくれんじゃねぇか」
しかし、それも仕方ないのかもしれない。
かつて俺が武術に打ち込んでいた日々、奏から稽古相手にと紹介されたのが全ての始まりだったのだろう。
その体格からは想像も出来ない判断力と身体能力は間違いなく俺の求めていた強さだった。
俺は負けた。次の日も、また次の日も、負けて、負けて負け続けた。
いくら武術の大会で結果を出そうが、俺はこの男を相手に一撃を入れる事すら出来なかったのだ。
あの時、この男に最後の試練を課せられるまでは。
「さて、今回はどうなるかな」
目の前の不敵な笑み。その正体に気がついたのは、俺がこの手で叔父夫婦を殺めたあの日だった。
この阿久津という男は、依頼とそれに見合った金さえ貰えれば、どんな汚れ仕事であろうとこなす。
冷酷で冷血な血の通っていない異常者。まさしく、叔父夫婦の一件でその全ての説明がつくだろう。
憎んでいる訳でもない。事のきっかけは奏であり、阿久津はあくまでも彼女の指示に従っただけなのだ。
むしろ感謝するべきだろう。この男の指導があったからこそ、俺は彼女達に対抗出来る“力“を得ることが出来たのだから。
「(それに、遅かれ早かれ俺が叔父夫婦を殺すのは避けられなかっただろうな、妹があれじゃ……)」
「お喋りはここまでだ。眠ってもらおう!」
言い終わるよりも早く、阿久津は俺に向かい駆け出してきた。流石に動きが早い。
しかし──所詮はそこ止まりだ。
「な……!」
「強がりタイムは終わりか?なら、こっちもその気にさせてもらうぜ」
俺は放たれた拳を受け止める。やや手は痺れてはいるが、手のひらに伝わる刺激力はそこまでではない。
俺は右腕で拳を作り、そのまま阿久津の顔面に向けた。
「く……!」
同じく阿久津も自由が残してある左手でそれを防ごうとするが、固定概念だ。
俺は完全に手薄になっている腹部に右拳を力一杯押しつけた。
「がっ……はっ!」
よろける阿久津。とはいえ、まだまだ意識はあるのか、再度俺から距離を取ろうとする。
が、俺はそれを許さない。
「読み合いが甘いな。出来損ない扱いして来たガキに最後の最後で負けたこと、まだ根に持ってるのか?あんたも案外人間臭えとこあるんだな」
「ちっ……!」
今まで平静を貫いてきた阿久津が、今度はあっさりと挑発に乗ってきた。
こうなれば、もうこちらのペースだ。
俺は阿久津に足を引っかかると、そのままバランスを崩し、地面に尻もちをつく。しかし、それは阿久津の逆上に触れ、すぐに立ち上がった。
「一度ならず二度とまで。こんなことが、あってはならない……!」
焦りに身を任せ、任せに俺の首筋を狙う。まさに防いで下さいとばかりの直線的な動き故に俺は簡単にその腕を掴んだ。
「だから、単調なんだよ」
「くっ……!」
俺の言葉に、阿久津は慌てて掴まれていない方の左腕を振り上げた。
無論、この俺自身も自由が効く左腕は残している。
しかし、それも固定観念だ。
「がっ……!」
左腕に気を取られている阿久津の不意を突き、俺は頭突きを叩き込む。阿久津はバランスを崩し、俺は左腕で頭を捕む。そのまま地面に叩きつけた。
少々やり過ぎとも思うが、仮にも相手はボディーガード、徹底的な覚悟で挑まねば足元をすくわれかねないだろう。
「ぐっ……!!」
「へぇ、流石にタフだな」
正直、トドメのつもりだった。阿久津はまだ意識があるのか、弱々しい力で俺の手を握る。
俺はそのまま阿久津の頭を持ち上げ、再度地面に叩きつける。次に阿久津が抵抗することはなかった。
俺は再度頭を持ち上げる。
「そろそろこっちの用事も聞いてもらおうか。早乙女陽菜に叔父夫婦を買収する時の写真を送ったのはあんたか?だとしたら、何故奏を裏切るような真似をした?」
掴み上げた阿久津の表情には、苦悶の二文字がはっきりと見えた。
かけていたサングラスはヒビまみれになり、唇や鼻の切り口から広がった血は顔の所々に飛び散っている。
下手をすれば命に関わる可能性もある為、俺はその場で止める。
「……彼女が動いたか」
そんな状況にありながらも、阿久津が降参や命乞い口にすることはなかった。ボディーガードとは名だけではないらしい。
「彼女?天野澪か?」
「ぐ……くっくっ……どうだろうな。あいにくと、これ以上は何も喋るつもりはない」
「そうか。ならもう用はない」
阿久津は柄にもなく笑い、僅かに込めていた抵抗の力も極端に弱まった。これ以上は無駄な抵抗だと悟ったのだろう。
俺はそれを確認すると、阿久津をある程度の力で放り投げた。
「ぐあっ」
受け身を取ることが叶わず、そのまま仰向けで倒れ込む。
気絶はしていないようだが、阿久津が立ち上がりの意思を見せることはなかった。
少し酷だが、これから先、この男に動かれてはこちらとしてもやりにくいだろうという判断だった。
次なる戦いは、すでに始まっているのだから……。
「うわぁ、びっくりした。本当に越えちゃったんだね、湊」
「ったく……」
まるで他人事のような言葉に、俺は背を向ける。
その先には、もはや言うまでもない──かつての想い人である少女が立ち尽くしていた。
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