第24話 男同士の温泉。そして、再会

「温泉?」

「そうそう。知らない?最近、学校裏にいい店が出来たんだよ。せっかくの新学期だし、久しぶりに男二人で盛り上がるってのも悪くないかなって」


 その日の放課後。すでに周りの生徒達が下校した後、俺は裕也から思わぬ誘いを受けていた。

 その手には二枚重ねになっているチケット。白い用紙には店の名前であろう名とその隣には《男性様一名限り!》と書かれている。

 

 見たところ、ごく普通の温泉店ではあるようだが。


「お前、また妙なことを吹き込まれてないだろうな?」

「なんだよ、人聞き悪りぃな。妙なことって?」

「プレジャーレストランの時のことに決まってんだろうが。あんな卑猥な店の招待券を莉緒に渡したこと、忘れたとは言わせねぇぞ」

「あ、ああ……あの時の話ね。いやー、悪かったって。今回はマジで何もないから」


 裕也はわざとらしく手のひらを顔面前に合わせる。

 もはや呆れ果てて責める気にもなれなかった。


「ったく。てかこれ、男だけの招待券かよ……今日までなのか?」

「そうなんだよ。ようやく騒ぎも落ち着いて来たっぽいし、お前だって一息つきたいだろ?たまには伸び伸びとしてもいいんじゃない?」

「ああ、そうかもな」


 珍しく気の利いた裕也の言葉に俺は素直に頷く。

 幸い、“約束の時刻“までは時間もある。俺は軽いまとめた荷物を背に裕也と共に教室を後にした。

 

「……そういやさ、あいつのこと──何か聞いてる?」


 下駄箱までたどり着いたところで、裕也からそう問われる。柄にもなく真剣な表情を向けていた。


「先週に確認してみたが、特に誰かに何をされたとは聞いてないな。友達も何人か居るみたいだし、陽菜なりに上手くやってると思うぞ」

「そっか、ならいいんだけど」


 俺の言葉に、裕也は安堵する。血の繋がりがある妹の安否を、恋人関係でもない友人に確認する。

 側から見れば、あまりにおかしな光景だろう。


「相変わらずだな。つーかお前ら、一緒に登校して来る割にはそういう話はしないのか?」

「いやいや、普通はそこまで干渉しないって。それに、ほら。あいつだって実の兄に虐められた……なんて知られたくないだろうしさ」

「なるほど……それもそうだな」


 俺の言葉に、裕也はヘラヘラとした様子で首を縦に振った。


「そういう訳で、これからも宜しく頼むぜ、親友!」

「任せろ、下僕。延滞料金として今晩はおごりでいいんだよな?」

「ああ、勿論だとも!だからこれからも命懸けの修羅場を頑張ってくれよ!親友!」


 俺の罵倒や理不尽な要求にも動じず、さらりと自分がもっとも危険な道を眩しい笑顔で回避する辺りは尊敬の念すら覚えた。


 しかし、それも仕方のないことだろう。


 普段は互いにぞんざいな扱いをしているが、こいつとて根は妹想いな兄。

 中学時代、人見知りながらも周りの男子達にアプローチを受けて来た陽菜。

 それがきっかけで、周りの女子達からいじめのターゲットにされた陽菜。


 だからこそ、こいつは妹を救う為の手段として俺を差し向けたのだから——





 俺達が辿り着いたのは、裕也の言うように学校裏に建てられた露天風呂だった。

 ここ最近に出来たばかりということもあって、中には湯腰掛やジェットバス、電気風呂、スチームサウナや岩盤浴などが数々に設置されていた。

 何より、学校裏から見える風景はとても普段見慣れているものとは思えぬ程の絶景であり、田舎ならでは美しさを見事に描き出している。


 ふぅ……とため息のような声と共に湯に浸かる。我ながら年寄りじみていると思うが、日頃からの疲れや悩みなどが全て洗い流されて行く気さえした。


「ぶ……うひひひひ……いいぞぅ、もうちょっともうちょっと」

「………」

「あー!大事なとこタオルで隠しちゃったよ!あと少し、少しでいいから下ろして——よっしゃあ!ナイス!」

「はぁ……」


 まあ、この覗き魔のド変態さえいなければな。


「おい、そこのイケメン()。どうせ止めても無駄だろうから忠告に留めとくが、程々にしとけよ?いつ他の客が入って来るとも限らないからな」

「おいおい、この早乙女裕也様がそんなヘマをする訳ねぇだろ?まあ例えそうだとしても、僕は止まらねぇ。否!真の覗きを極めし者、窮地に追い込まれた時にこそパワーアップするのさ!」

「最近の覗き魔は戦闘民族の特性でも持ってんのか?」


 夏という時期、尚且つ、まだ日が登っている時間帯の為か露天風呂は俺達の貸し切りだった。それを良いことに裕也は男女を繋ぐ露天風呂の柵の僅かな隙間に小型の望遠鏡をはめ込ませ、その上には小型カメラ惜しげもなく使う辺りは無駄に抜け目ない。

 陽菜の兄なだけあって顔はかなりのものだが、こういうところがこいつに彼女が出来ない最大の理由なんだろうな。


「くっくっ……一人しかいないのは残念だけど、かなりの上玉だよ。見たところ、僕達より少し下ってところかな?にしては、胸がけしからん——うっひゃーー!!死ねるーー!」

「よし、なら出血多量でそのまま逝け」


 ど変態キャラのお手本の如く、だらしなく鼻血を出す裕也。とことん幸せな男だ。

 それはそれとして、俺は改めてジェットバスに浸かる。浴槽の穴から噴出する気泡は、俺の身体の疲れをゆっくりと癒してくれる。

 露天風呂から見える風景も相まって、季節をも忘れさせてくれる程の気持ち良さだった。


「……はぁ……はぁ……お、おい。湊も来てみ?あの子、マジやべぇ、やべぇよ」

「いや、遠慮する……」


 もはや舌が回らなくなる程に興奮状態の裕也。何が悲しくて目の前で恍惚な表情をしている男の隣で覗きをしなきゃならんのか。

 無論、俺とて一人の健全な男子。このど変態がこれ程までに持ち上げる女の素肌というのは興味はあるが、今はこの優雅なひと時を楽しむことを最優先。


 その時だった。突如、露天風呂内に凄まじい騒音が鳴り響いたのは——


「ひっ……」

「?」


小さく悲鳴を上げる裕也。俺自身、何事かと騒音した方を眺めてみる。


 ドスン!ドスン!と、目の前の柵はまるでその奥には猛獣か暴れ熊が居るかのように揺れる。鳴り響く騒音。そして、その時は瞬く間に訪れた。


「ひやぁぁぁっ!」


 みっともない悲鳴を上げつつ、裕也はその場を後退る。

 明らかにただ事ではない事態に、俺も視線を集中させた。

 まるで雪崩れのように湯の中に沈んでいく柵の素材。露天風呂という空間で異性を阻む柵が消えた中、湯煙によって覆われた人影が歩を進めているのがわかった。


「人の素肌を覗き見とは感心しないね」


 その言葉と共に、湯煙は段々と晴れていく。

 現れたのは、一人の少女だった。


「おぉ……」


 思わずそんな声を呟いてしまう。

 驚くべきことに、そこに衣服は一切着用されておらず、下着すら身につけていない………文字通りの全裸姿だったからである。


「(つか、風呂の中でグラサンかい……)」


 そこまでするならせめてタオルくらいは巻いて来いよ、色んなところが丸見え……などと突っ込んでいる場合ではないか。


「おい、真の覗き魔は窮地に追い込まれた時にこそパワーアップするんだろ?今がその時じゃないのか?」

「あ、あはははは……な、なあ湊……僕達って親友だよね?」

「そう思うのは勝手だ。俺にとっては下僕だが」

「親友たる者、片方の親友が困ってるのを助けるのは当然だと思わないかい?」

「ああ、思わないな」

「うんうん、そーだよねー。湊ともあろう者が、親友が困ってるところを見過ごすはずがないよね〜。じゃ、そういうことで後は宜し——ぐぱっ!」


 世界一自分に都合のいい会話のドッチボールをかました後、逃げ出そうとする裕也の首根っこを掴み、目の前の露天風呂に投げつける。


 湯しぶきが上る中、俺は背を向けた。


「よし、じゃあ後は頑張れよー」

「ばばはばば……ばってごべべぇぇーーっっ!!」


 風呂の中で必死にもがく裕也の言葉に耳を貸さず、俺はその場を後にしようとした。


「湊……?もしかして、黒鉄湊なの?」


 ド変態の耳障りな水音が響く中でポツリと発された一言に、足を止める。

 そのまま斜めに首を傾けた先には、先の言葉を発したと思われる全裸の少女が居た。

 耳がギリギリ全部隠れるくらいの長さの女にしては短めのショートヘアに、サングラス越しでもわかるほどの幼い顔立ち。

 裕也の言うように、第一印象だけで判断するなら年齢は俺達と同等かやや下と言ったところだろうか。人によっては、中学生にも見えるかもしれない。

 俺はさらに彼女の体格に目を向ける。

 最初こそ顔立ちからそう感じてしまったが、見た目の幼さとは裏腹に、Eカップはあるであろう胸はいかにもギャップという言葉が相応しい。


 もっとも、今の俺にそれを楽しむ余裕などないのだが。


「何だ、数年振りとはいえ、実の弟の顔を忘れたか?散々可愛がってもらったってのに」

「……相変わらずだね」


 彼女はサングラスを外す。その表情に驚愕や一驚と言った文字はなかった。

 それは運命か、気まぐれな神の悪戯か、はたまた目の前の本人の奇策によるものか。

 目の前に居たのは、実の両親が俺達兄妹を叔父夫婦に押し付けた後に共に姿を消した実の姉──黒鉄菫くろがねすみれだったのだから……。

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