第23話 陽菜の真相


 時刻は午前6時を指していた。部屋に僅かな朝日が差し込む中、聞こえてくるのは目覚まし時計の針音と、隣で気持ちよく寝入る莉緒の寝息のみ。

 もうどれだけの時間をこうしていただろうか?学校がある平日とはいえ、朝方に目が覚めるのにも早すぎる時間である。

 俺自身、何度か二度寝しようとも試みたものの、目……頭はすっかりと冴えてしまっていた。


「(しかし、やっべえよなぁ。今回ばかりは)」


 無論、今の俺の脳内を支配するのは前日による奏と陽菜によるやり取りである。

 仕方がなかった、ああするしかなかった。今となっても、他の方法があるとは思えなかった。

 勿論、後悔がないと言えば嘘になるが。


 あの時、まさに人形のようにその場から動かない奏の姿に、陽菜が勝ち誇ったように放った一言──


『結局、湊先輩は私を見てはくれないんですね。でも安心して下さい。この事、今はまだ誰にも言うつもりはありせんから。ただ、もし湊先輩が私以外の唇を奪う事があったなら、その時は──分かってますよね?』


 あの時のキスが、奏への注意をこちらに向けさせる為の俺が仕掛けた罠だということはあいつとて理解しているだろう。

 すでに陽菜のスマホにある録音データは削除した。決め手となる証拠がない以上、警察が奏にたどり着くことは難しいだろうが、あくまでも想像でしかない。

 陽菜があの時の真相のどこまでを把握しているのか。

 

 あの余裕……他に証拠があるのではないか?

 

 最悪の事態は回避したものの、現状ではこちらが明らかに不利。考えれば考えるだけネガティブ思考になってしまうが……。


「(ま、何はともあれ、ひとまずは真意を確かめるところからだな)」


 傍に置いてあるスマホに手を伸ばし、メッセージを作成した。





 時刻はすでに午前7時35分。普段ならば、起床するのにはそろそろといった頃合いだろう。

 そんな現状の中、俺の立つ場所は星宮学園の校門前。

 時間が時間なだけあって、辺りには人影は全くない。当然である。

 わざわざそのタイミングを見計らったのは、他でもない。俺自身なのだから。


「悪いな、こんな時間に呼び出して」

「いえいえ、湊先輩からの誘いなら、例え埋葬されてようとは出向きますから」

「めっちゃ残虐な光景になりそうだな、それ……」


 目の前で嬉しそうに微笑む陽菜。わざわざ莉緒の登校時間を送らせてまで陽菜のみを呼び出した理由は、もはや言うまでもないだろう。


「莉緒ちゃんのことなら心配しなくても大丈夫です。なんとか上手くやるように兄貴にも言ってありますから」

「別に信用してない訳じゃないぞ。早速本題だが──」

「……朝神先輩のこと、ですか?」


 瞬間、陽菜は声色を変えた。幼い頃より、奏には財力という力あった。

 その生まれ持ったアドバンテージ故に、彼女は通常の人間が経験すべき苦難を経験することもなく、欲しい物はどんな手を使ってでも手に入れて来た。

 

 今になって思えば、屋上で陽菜が奏に対する感情の全てを爆発させたのは必然だったのかもしれない。


「安心して下さい。もう怒ってません。私も、昨日は少しやり過ぎたと思ってましたから」


 口ではそう言うが、決して彼女の本心ではないだろう。

 奏を追い詰める為の証拠は破棄したものの、俺が一番に警戒すべきはその情報自体をどこで得たのかだ。

 脳内に浮かび上がる一人の少女。

 

 やはり、あの女が黒幕なのか?それとも……。


「そういや、お前、奏のことをよく知ってたよな。誰から聞いたんだ?」


 俺は自然体を装いつつ、単刀直入に問う。

 これから先、あの女──澪が何を仕掛けてくるかは想像も出来ない。

 少なくとも、このまま手をこまねいているよりはマシだろう。


「ん?ああ、あー……まあ、湊先輩にならいいか。教えてあげてもいいですけど、他の人には内緒にして下さいね」

「ああ、わかった」


 この反応……少なくとも陽菜にとっては俺に知られて困るという程でもないということか。

 陽菜は懐からスマホを取り出し、こちらに向けながら操作を始めた。


「一昨日の……夜の10時くらいだったかな。誰が送って来たかは知りませんが、私宛てに数枚の写真が添付されたメッセージが届いたんです」


 陽菜は自らのスマホを操作し、写真フォルダーへと移行する。そこに現れた数枚の写真──


「(おいおい、冗談だろ……)」


 俺は息を飲む。それは、あまりにも突然かつ無慈悲。驚きを通り越して呆れるレベルだった。

 映し出されていたのは、まさに隠し撮りと言わんばかりの写真。


 トランクケースから大量の札束を手に、黒服にサングラスと、いかにも怪しげな男達から交渉を受けている叔父夫婦の姿。


 他でもない奏に対し、その男達が膝をつき忠誠を誓う姿。


 さらには──自らの手で首筋に釘を突き刺している莉緒の姿が映し出されていた。


「本当、心臓が止まるかと思いましたよ。莉緒ちゃんも莉緒ちゃんですよね。叔父さん達が自分を殺めようとしていることをいいことに湊先輩の感情を独り占めしようとするなんて」


 穏やかな口調とは対照的に、陽菜の瞳には確かな怒りが感じ取れた。


「写真の送り主に心当たりはあるのか?」

「いえ。さっきも言いましたけど、受信したメッセージに文章はなかったですし。勿論最初は半信半疑でしたけど、昨日のお二人の反応からして真実……なんですよね?」

「やれやれ……こいつは一歩取られたな」


 まさか陽菜に鎌をかけられていたとは……地味にショックである。

 こいつの言うことが真実ならば、その差出人があの女──澪である可能性は極めて高い。

 もっとも、現時点では他に疑う対象もいないが……。


 だがそれ以上に、写真にはっきりと映し出されていた人物に尋ねるのが一番手っ取り早いだろう。

 

「私も湊先輩が悲しむ姿を見るのは嫌ですし、朝神先輩のことは秘密にしておきます。今後奏先輩が妙な真似を起こさなければですけど」

「そうしてやってくれ。朝飯まだだろ?こっちから呼び出したんだ。奢るぜ?」

「あ、本当ですかっ?なら、メロンパンとカツサンドを頼めます?飲み物はお任せで」

「ああ、ちょっくら行ってくる」


 幸いにも、学園から五分も歩けばコンビニが近くにある。

 俺は陽菜に背を向け、そのまま歩き出した。


「後は、もう一人ですよね……」


 背後から聞こえてくる声。俺は気にせず歩を進めていった。


「安心して下さい。私、嘘はつきませんよ。湊先輩のキスに免じて、今は朝神先輩はいいです。問題は、あの娘ですよ。湊先輩の妹だからって、いつもいつも引っ付き回って……湊先輩の気を引く為に、首の怪我を叔父さん達の仕業に見せかけた──ぷ……あははっ!見上げた根性ですよね。でもだからって、それで罪がなくなるなんて思わないで。どんな理由があろうと、あなたは湊先輩の心を踏み躙ろうとした。許さない。許さない許さない……!私を助けてくれた湊先輩。だから今度は、私が助ける番……湊先輩を傷つける奴は、私が全部壊してあげますから」

「(助ける、ねぇ……)」


 俺は振り向かなかった。おそらく、今の陽菜は彼女らしい、天真爛漫な表情に違いないだろう。


 ただひとつ、正気のない瞳のみを除いて……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る