第22話 例え壊れた日常であっても
気がつくと、奏は走り出していた。そのまま引き下がると思っていたのか?はたまた計画通りか、陽菜はされるがままに倒れこむ。
すっかり頭に血が登っている奏。そのまま陽菜の上に馬乗りになった。
「壊さないで……!」
奏の手は、陽菜の首へ伸びて行く。
「壊さないで…...!もう、何も...…止めてよ..….!」
狂ったように奏は陽菜へ言葉を投げかけ、自らの腕に力を込めた。陽菜はその手を離させようと掴むも、力の差で敵わない。
奏の動きは完全に素人のそれであったが、体格差、身体能力の全てが彼女に劣る陽菜ではされるがまま。
俺はぼんやりとその様子を眺めていた。
いっそのこと、このまま流れに任せてしまえば楽になるのだろうか?
ある意味、彼女達が壊れる根源となったのは俺だろう。
俺さえいなければ、彼女達にはもっと違う日常があったのではないか?その日常を壊してしまったのは他でもない──
「(いや……)」
脳内に浮かんだ疑問を払う。柄にもないことを考えてしまったようだ。
俺は自身の左手で陽菜の首筋を握る奏の両手を掴んだ。
「おい、その辺にしとけ」
「っ…!離してっ」
奏は必死に抵抗しようとするも、力の差は歴然。難なく陽菜から引き放つことに成功した。
「はぁ……はぁ……あははっ、やってくれましたね、朝神先輩。これは前言撤回かなぁ」
下手をすれば窒息死までに追い込まれた状況でありながら、陽菜が怒りを見せることはなかった。
何故彼女が俺と奏にしか知り得ない情報を部外者であるはずの陽菜が握ることが出来たのか?
それはわからないが、スマホに録画された音声は真実。
例え俺がどんなに否定しようが、警察が動くだけの情報は十分だろう。
そうなれば、奏の人生は終わるも同然。なんとしても避けなければならない。
「湊先輩らしからぬ真面目な表情ですね。そんなにその人が大事なんですか?」
「まあ終わった関係とはいえ、元は恋人だからな。それに、これまで苦楽を共にして来た幼馴染が牢屋に入るってのは気分が悪い」
「……本当、相変わらずだなー」
そう言う彼女は、いつもの天使のような笑顔が魅力を溢れ出した。しかし、それは次の一言により終わりを告げる。
彼女の一点の光すら射さない瞳。
それは、主に莉緒と対峙した時に俺が直視して来たものだが、今になって実感する。
その瞳がこいつ程似合う女もいないだろう。
容姿や表情の話ではない。まさに早乙女陽菜という少女そのものを表していると言っても過言ではないだから……。
「苦楽を共にした?その人の人生のどこに苦なんてあったんですか?いつも男子達にちやほやされて、誰かに虐められる事もなく……そんなお嬢様人生の朝神先輩には、湊先輩なんて足元にも及びませんよ。まあ、それはいいんです。そこまではいいんです。"そいつ"は、やっちゃいけない事をやった。湊先輩の心を壊した。だから、私が教えてあげるんです。大切な想い人を奪われる挫折を叩き込んであげるんです。誰よりも守って、誰よりも湊先輩をわかってあげられる立場でありながら、湊先輩の心を壊した?絶対に許さないっっ!!それなのに……!どうして庇うんですか!?そいつは湊先輩を傷つけて、殺人者の汚名を着せようとしたんですよ!?いい加減突き放してよ!!私の目の前で"お前は最低だ。金輪際俺に近づくな"って言ってよ!!どうして、湊先輩はいつも……!!」
言いたい事を終えたのか、陽菜は肩で息をする。先程までは絶対的な立場にあった陽菜が感情の全てをさらけ出したことによるものか、俺の頭はすっかりと冷静になっていた。だからといって状況が良くなる訳でもないのだが。
第一、こいつの言い分は正論なのだ。
俺の家族を、妹を、日常を狂わせた原因は間違いなく奏だ。
そんな彼女の悪業を黙秘するだけならまだしも、その彼女を救おうと手を差し伸べる俺も彼女達に負けじと狂っているのかもしれない。
「(まあ、だとしても……)」
俺は目を閉じた。
失いたくはないんだよ。もう、日常を。
「おい、陽菜」
「……?」
怒り狂った陽菜に対し、俺は静かに近づいた。奏は何も言わずにこちらを見つめている。
未だかつてない状況、改めて決意を固めると、俺は陽菜の肩に手を置いた。
「湊先輩……?」
「じっとしてろ」
1メートルにも満たない距離の中、男女とはいえ、一学年年上の俺と10センチ以上は違うであろう身長差に加えて、その幼さが残る顔立ちは見れば見るほどあどけない。
ここで無理にスマホを奪えば逆上した陽菜がどんな行動をするかは容易に想像がつく。
写真のバックアップを残している可能性もあれば、すでに現物の写真として自宅に保管している可能性もあるだろう。
下手に刺激すればそれだけで奏はアウトだ。
だからといって今の陽菜は言葉で説得出来る相手でもない。すでに俺の覚悟は決まっていた。
最後に、心の中で莉緒や奏、さらには澪に詫びを入れる。
俺の唇はゆっくりと陽菜のそれに近づく。
そして、あっさりと重なった。
「っっ!?」
目には見えずとも、背に刺さる奏の心境が手に取るのがわかる。
そんな奏をよそに、初めこそ触れるだけだったが、俺は次第に強く唇を押し当てる。
「んむ……ぴちゃ……くちゅ……!」
陽菜に口づけをし、舌を這わせ、彼女の口に俺と言う存在を刻んでいった。
ゆっくりと、時間をかけて彼女の怒り、悲しみを沈めて行く。
今だけ、今だけでいい。この瞬間だけ彼女の怒りと狂気を止められるなら。二人を繋ぐ糸が口から引く中、俺は静かに唇を離した。
「湊、先輩……」
目の前には上気した表情の陽菜。気がつけば、黒く沈んだ瞳は元に戻っている。
無論、その隙も狩らせてもらっていた。
「悪いな、少し借りるぜ」
「あ……」
未だ状況を読み込めない陽菜をよそに、俺は陽菜から距離を取り、制服の後ポケットにあるスマホの感触を確かめつつ、陽菜から奪った物を開く。
幸いなことに、オートロックや本人認証などは特にかけてはいないようだ。
そのままスワンプさせると、ボイスメモが表示された。すかさず削除ボタン。
証拠隠滅は、全て完了した。
「くく……ふひひ……ひははははははっ!あはははははははっっ!!」
陽菜は喜悦に涙を滲み込ませ、床に果てた。
よほど嬉しかったのか、まさに無邪気な、聞き分けのない駄々っ子のように、あろうことかその場に転がり込んでしまう。
「見てくれた!見てくれた!見てくれた!湊先輩が、やっと私を……!あはっ、あはははははははっっ!!」
立ち入り禁止、かつろくに掃除すら行き届いていない屋上。
髪や服、頬にまで泥の跡がついて行くのを俺は無言で見守りつつ、冷や汗が頬を伝う。
流石に今回ばかりは、難易度が高い様だ。
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