第21話 奏の罪


 辺りを沈黙が支配する中、屋上内に聞こえてくるのは通り過ぎる風の音のみ。

 笑みを浮かべる陽菜に対し、奏も、俺でさえ、この沈黙を打ち破る術は持ち合わせていなかった。


 当然だろう。


 かつて、共に互いの合意の上で隠蔽したはずの真実。それが今、知るはずもない後輩の口からあまりにも唐突に語られているのだから。


「意外そうな顔をしてますね、湊先輩。私が知らないとでも思いましたか?」

 

 陽菜はいつものような明るい笑顔で言い放つ。

 全てを見透かしているような黒い瞳に映し出される俺の姿——そこには絶対的の自信が感じ取れた気がした。

 

「驚いたな。まさかとは思うが、莉緒から聞いたのか?」

「安心して下さい、莉緒ちゃんや兄貴には一度も話していません。勿論、首の傷も、ですよ」

 

 嬉しそうに微笑む。瞳を除き、そこにはいつもの天真爛漫な笑顔があった。

 

「(鎌をかけてみたが、失敗か。つか、首の傷まで知ってやがったか……)」

  

 あの日、俺が叔父夫婦を手にかけたという事実。確かに、それが陽菜や裕也の耳に入るのは時間の問題だっただろう。

 しかし、その思想。真相は、警察の……被害者である莉緒ですら知り得ない諸悪の根源。その真実を知っているのは、当事者である俺を除けば、この場に居る奏のみだと。


 少し前までは、そうだと疑っていなかった。

 

「いつも堂々としている湊先輩らしからぬ顔ですね。そんなに朝神先輩が心配ですか?」

「いや」

 

 俺は改めて気持ちを切り替える。

 陽菜は笑みを崩さないが、それが決して本心ではない。

 

 彼女は、冷静に怒り狂っている。


 そして今、この場での上下関係の主権を握っているのは彼女。

 それは誰の目から見ても確かであり、奏の今後の人生すらも陽菜の一捻りといっても過言ではないのだから。陽菜は言葉を続けていく。

 

「ふふ……でも本当に、朝神先輩には驚かされっぱなしですね。勉強も、容姿も、かつては湊先輩の心までもが朝神先輩に向いてたんですから。後者に関しては、私がずっと求めていたものだったのに……」

 

 陽菜はわざとらしく肩を落とす。彼女の表情は相変わらず無邪気な天真爛漫そのものではあったが、ただ一つ、目のみは笑ってはいなかった。

 と同時に、陽菜が制服の懐に手を伸ばしているのが見えた。

 

「あ、ごめんなさい。うっかりしてました。奏先輩にあって、私達にない一番のものは──」

 

 陽菜はわざとらしく右手で銃の形を作る。その形のまま狙うは、奏だった。

 

「お金、ですよね?朝神グループのお姫様」

 

 右手で弾丸を放つ陽菜。側から見れば、無邪気な子供の手遊びに過ぎない。

 しかし、当の奏にとってはまさに本物の銃に撃たれたような衝撃だろう。


 朝神グループ——その名の通り、奏が住む家屋。

 屋敷のような広さからか世間からはそう呼ばれていた。

 特に奏が小学生の頃は登校時、下校時に常にSPが彼女の身を管理しており、金や権力ならば文句なしにこの街最上位に君臨する程に。

 

「……知ってたんだ」

「ふふ……ようやく口を開いてくれましたね」

 

 陽菜はようやく表情を変えた。それは、微笑みながらも怒りの感情をさらけ出していた先程までとは違う、

 愉悦と興奮の混じった黒い笑み。

 ただ、陽菜の真意は、きっかけとなった奏への感謝すら感じられた。

 

「でも、本当に上手くやりましたよね。金額にして、二千万でしたっけ?湊先輩が武術に夢中なのを良いことに、叔父さん達が湊先輩や莉緒ちゃんに愛情がない事を良いことに——彼らに莉緒ちゃんを殺させようとするなんて」

「っ!!」

「(こいつ、言いやがった……)」

 

 今度は、奏が表情の変化を見せた。

 真夏の中、屋上内に熱風が吹く中、冷や汗が彼女の頬を伝うのがはっきりとわかる。

 言葉にして、僅か数秒。俺以外には決して知られてはならぬ真実。過ちなどでは逃れる事の出来ない現実が、ついに奏へ襲いかかったのだ。

 

「私、湊先輩には心底惚れ直しちゃいました。形だけだったとはいえ、肉親を手にかけ、莉緒ちゃんの精神を壊した元凶である朝神先輩の真意を見抜いていただけならまだしも、以前と変わらず接してくれている。本当、どんなメンタルですか!?って突っ込みたくなります。とはいえ、湊先輩も人間ですし、心の中じゃ朝神先輩を憎んでいるのかもですけど」

 

 そう言いながら、陽菜は俺に視線を向けてきた。

 奏が家の財力を利用し、叔父夫婦に莉緒を虐待するように仕向けたのはれっきとした事実。

 だが、一般人に等しい陽菜が警察にすら念入りに調査した結果漏れることもなかった情報を、どこから入手したのか?

 最初に鎌をかけた通り、これは最大の被害者である莉緒ですら知り得ない情報。

 数え切れないほどの疑問が脳内を埋め尽くす。


「はぁ……」


 そこまで考えて、俺は改めて頭を切り替えることにした。いくら考えたところで答えなど見つからないだろう。

 

 今、俺が解決するべき最大の壁は目の前にあるのだから。

 

「ねぇ、朝神先輩。あんなことまでしといて、湊先輩と関係を戻したいなんて都合が良すぎませんか?まさに究極の構ってちゃんですね。湊先輩に人殺しの汚名を着させるなんて真似はいくらなんでもやり過ぎですよ」

「……あなたに、私の何がわかるの?」

「おや?」

「おい奏、やめとけ。その辺に……」

 

 今まで陽菜に言い包められていた奏が語気を強めた瞬間であった。陽菜も多少は驚いていたが、その表情に動揺の文字はない。これ以上は本当に取り返しがつかないかもしれない。

 俺はとっさに止めようとするも、時すでに遅し。


 まさに、陽菜の思うがままに事は動いてしまった。

 

「私がっ!私がどれだけ湊を想っていたのか……!莉緒が、どれだけ私の邪魔をして来たのか……!!あなたにわかる!?だから、殺してやろうと思ったっ!それなのに——」

「ピンポーン!ゲームオーバーでーす!」

 

 溜めていた感情をさらけ出そうとする奏に対し、陽菜はタイムアウトとばかりに言い放つ。

 何事かと冷静さを取り戻そうとする奏から距離を置き、制服の懐からスマホを取り出して見せた。そのまま画面を俺達に向ける。

 

「今までの話、録音してあります。朝神先輩、私の仮説を一度も否定しませんでしたよね?それに、はっきりと聞き撮らせてもらいましたよ。"殺してやろうと思った"——これはもう自白以上の確かな証拠になりますね!」

「っっ!?」

「(やっべぇ……)」

 

 その時、俺にははっきりとわかった気がした、奏の僅かな心にあったヒビ。

 今更ながら、口を押さえつけてでも止めるべきだったのだと浅はかな自分を悔やむ。

 

「先輩を売るような真似をするのは気が引けますが、仕方ありませんよね。悪いのは朝神先輩なんですから。このデータを警察に見せれば、先輩も、朝神グループも終わりかなぁ?朝神先輩はこれから、犯罪者として罪を償って下さい。牢獄の中で、永遠に叶わぬ恋をして下さい。あ、湊先輩の無実は私がちゃんと証明しますので心配しないで下さい。あなたが傷つけた湊先輩は、私が優しく癒してあげます。だからもう、二度と──“私の“湊先輩の前に現れないで下さいね?」


 陽菜は、笑っていた。

 彼女らしい、小さな容姿に相応しい天真爛漫な笑みで。心の底から、目の前の少女をあざ笑っていた。


 たった一つ、憎悪、嫌悪、怨嗟、忿怒——その全てが込められていた一文を除いては……。


 次の瞬間、対峙していた奏の中にある何かが壊れた。その姿を見るのは、二度目だろうか?

 同時に、俺は覚悟を決めた。

 もはや、手段を選んでいる場合でもなさそうだ。

 

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