第9話 協力者の確保
「そっか。じゃあ、奏さんとは……」
「ああ、別れた。そうするしかなかったんだけどな」
数分後、中華屋を後にした俺達は、近場の公園に集まっていた。理由は言わずもがな、莉緒の行動への状況説明である。
あの時、莉緒の手に握られた果物ナイフは確実に奏の心臓に向かっていた。
それはもはや変えようのない現実であり、何よりも、この場にいる裕也と陽菜自身が目の当たりにしたこと。
ここまで来れば、俺に出来ることは一つだけだった。
「つまり、今の莉緒ちゃんは湊先輩以外の人全員が、敵に見えてる状態……ってことですか?」
「大袈裟な捉え方をすれば、そうなるかもな。医者が言うには、下手に刺激しなきゃおかしな行動はしないって話だが」
「……それってさ、やっぱり叔父さん達に殺されかけたトラウマが原因ってことだよな?」
「多分な」
陽菜と裕也の問いに対し、俺はそう答えた。
当然ではあるが、莉緒が俺の気を引く為に自らの手で首筋を傷つけたことなど話せる訳もなければ、その裏には奏の策略があったなど言えるはずもなく、あくまで二人が納得出来る理由を延べたまでだ。
全てが全てという訳ではないにしろ……まあ、半分以上は嘘だな。
「考えてみりゃあ、そうだよな。たった二ヶ月ちょっとで、心の傷が埋まるはずもねぇか。その……悪かったな。今まで気付いてやれなくて」
「気にすんな。俺も話さなかった。お互い様だ」
申し訳なさそうな表情の裕也。
世間からすれば、莉緒は義理とはいえ両親に殺されかけた存在。その心の傷が残されたたった一人の家族への依存や暴走に繋がるのは不自然ではないだろう。
うまくいけば、このまま納得してもらえそうだ。
「あの……湊先輩。それで、朝神先輩の方は?」
「情けないが、あいつとは完全に拗れちまってる。ああ見えて結構嫉妬深いからな。最初こそ普段通りに莉緒と接し続けてくれてたんだが、俺が別れを切り出してからは見ての通りだ」
「あの奏さんがなぁ。失礼かもしれないけど、意外だよ。あの人、そういうとこには気を回してくれるイメージがあったからな」
多少強引な部分もあっただろうか?とはいえ、どうやらこちらも納得してもらえたらしい。
やや奏のイメージを壊すことになったが、それも仕方ないだろう。ここからが本番だ。
「物は相談なんだが、二人……特に裕也に頼みがある。これから先も、何度か奏と二人きりで話す機会があると思うんだ。その時は上手く口裏を合わせてくれないか?陽菜は莉緒と同じクラスだし、男の裕也ならあいつも信用するだろうからな」
「あ……ああ、勿論」
「わ、私も協力します」
早乙女兄妹は戸惑いの様子を見せながらも協力を了承してくれた。
かなり遠回りにはなったが、目的であった"味方の確保"には成功したと言っていいだろう。
「悪いな、今や奏と二人で会ってるだけでもいつ暴走するかわかったもんじゃない」
「なんつーか、本当、苦労してるよな。お前って……」
「慣れてるさ。そろそろ帰るわ。今の莉緒を一人にしておくのも不安だからな」
中華屋を出た時には正気に戻っていたとはいえ、万が一がないとも言えない。
俺はそのまま歩き出そうとした。
「あ、あの……!湊先輩!」
突如として声を上げる陽菜に、俺は顔を向ける。
すると彼女は、まさに今にも泣き出してしまいそうな、見ているこっちの方が居た堪れなくなるような表情を向けて来た。
「叔父さん達のこと、莉緒ちゃんや朝神先輩のこと、色々お辛いと思います。ただ、無理はしないで下さいね?私は……私だけはずっと湊先輩の味方ですから」
「……ああ、サンキュ。頼もしいぜ」
軽く手を振りつつ、俺は今度こそ歩き出した。
これで少しは動きやすくなるだろうか?
純粋に心配してくれる友人を利用するような真似をするのは気が引けるが、もはやなり振り構っていられる状況ではないのだ。
「(それにまあ、本当のことを話したら、間違いなく協力されなかっただろうしな)」
俺は歩みを止めることもなく、首を傾げる。
すでにそこに陽菜の姿はなく、ただ一人、ぽつんと立ち尽くす裕也の姿があった。
◆
「ふぅ……」
夕食を終えた後、私──朝神奏は自室に戻る。
すでに夕陽は沈みかけており、まさに気の向くままとばかりに落ちようとする太陽は、私の心を皮肉のように描いているように見えるのは、流石に自惚れだろうか?
そんな私の脳内を支配するのは、やはり幼馴染であり"恋人"でもある人。
彼の複雑な家庭環境のことは私もある程度は把握している。
幼い頃の私でさえわかるくらいに実の子供に無関心だった両親。もっとも愛情を注いでくれたおばあちゃんの死。
そんな環境の中で、最も信頼していた姉をも失ったことも。
「(本当、報われない……よね)」
学問やスポーツの話ではない。昔からそうだった。
彼は恐れや陰口など、他人など評価を気にも止めず、常に自分という存在を貫き通す。
それは私などには決してないものであり、同時に彼が抱く悲しみも感じ取っていた。
そんな彼が、選んでくれたのだ。私という存在を。
「えへへ……」
思わず漏れてしまう声。もしかしたら、今の私はとてつもなくだらしない表情をしていているのかもしれない。
しかし、それも仕方のないこと。
私はベッドに寝転がったまま、天井を見上げる。
そこは、普段と変わらない天井。
睡眠を取る際、誰しもが目にするであろう光景。
強いて違いを挙げるとすれば、無数の写真があるだけのただの天井とでも言えばいいだろうか?
彼の写真が壁に、天井に──敷き詰められてるだけのごく普通の部屋だ。
「あへ……ひへへへへ……」
思わず口元が緩むのが堪えられない。
そう、この何もない部屋。
彼を感じる為だけにわざわざ用意させた、精々20畳程の広さしかない部屋。
彼が隣にいない間、私だけが摂取することが許された唯一の空間で。
入口に貼られた、彼の写真。
壁一面にしっかりと貼られた、彼の写真。
純白の天井にびっしりと貼られた、彼の写真。
初めて出会った時の、まるで女の子のように可愛かった頃の彼。
小学生の時の、ちょっとだけかっこいい男の子になった頃の彼。
憧れだったお姉ちゃんに見てもらおうと、夢に夢中だった頃の彼。
あまりに唐突な絶望の中で、もがき苦しんだ頃の彼。
家族を失った頃の彼。
心を壊した頃の彼。
その果てに、私のモノになった日の頃の彼。
私の為の、湊。
私だけの、湊。
「んん……!はぁっ……!」
愛しい彼の思い出に囲まれながら、私は浮き出る感情を押さえ込みように両手で自身の身体を包み込んだ。
そうでもしないと、あまりの興奮で飛び跳ねてしまいそうだったから。
私は傍に置いてあったスマホを手に取り、写真フォルダーへ。
そこに保存されている数百にも及ぶ彼の写真のうち──今日という日に撮られた写真をタップした。
それは、新しく出来た思い出。
彼が、私を守ってくれた写真だった。
「(素直じゃないなぁ。もうお前のことは好きじゃない……なんて。私、これでも結構傷ついたんだから。でも、嬉しかったよ?また守ってくれて)」
一切の感情のない表情で、彼女である私の命を奪おうとしたあの女の手を拘束している彼の写真。
見れば見るほど心臓の鼓動が高まった。
だって、そうでしょう?
その真意は、彼女である私の命を奪おうとした"あの女"への怒りなのだから──
「(譲れない……譲れないなぁ……譲れないよぉ……)」
しかし、いつまでも彼に頼り切る訳にもいかない。
降りかかる火の粉は、消さねばならない。
ねぇ、湊。
ごめんね、もう……疲れたよね?
もう、いいんだよ?後はゆっくり休んで。
大丈夫。後は全部私が終わらせてあげるから。
私達の邪魔をする奴は、全部消してあげる。
──今度は、私の手で確実に、ね。
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