第8話 愛と恋


「よーし、みんな、コップは持ったよな!それじゃあ、黒鉄兄妹の帰郷を祝って——」

「あ、湊先輩。この肉いけますね。おかわりあります?」

「ああ、前んとこ」

「って、お前ら何乾杯する前から始めてんだよ!ムード台無しじゃねぇか!!」

 

 新学期二日目、明日には土日に入る為か、授業そのものは午前中で終わり、昼食には丁度いい時間帯の放課後。俺達は学園から数分程歩いた中華屋に集まっていた。

 完全個室の畳部屋。高校生五人の集まり。目の前には無数の料理やコップが並んでおり、ムードとしては文字通りの飯会そのものと言えるだろうか。


「あ、裕也先輩、今日はありがとうございました。わざわざ莉緒達の為に開いてくれたんですよね?」

「いいよいいよ。いやーしかし。こうして五人が揃うのは本当に久しぶりだねぇ。あ、奏さん。ここ、夏休みの課題なんですけど」

「はいはい。変わらないね、裕也は」


 裕也はチャンスとばかりに早々に課題であるプリントを奏に筆記用具と共に突き渡した。思えば、中学時代はこれが当たり前の光景だったなぁと思い出に振り返る。

 一応言っておくと、夏休みは終わっているので今更やったところで完全に手遅れである。


「はぁ……本当にこいつは。すみません、湊先輩。こんな時に」

「気にすんな。それから、改めてありがとうな。今日はいい気分展開になりそうだ」

「いえ、そんな。私も久しぶりに先輩と話せて嬉しいです」


 陽菜は気にしないで下さいとばかりに満面の笑顔を向ける。

 莉緒や奏の真意を知った今となっては、彼女の存在はまさに癒しである。


 それだけに、一つだけ確認しておくことがあった。


「高校に入ってからは、どうなんだ?誰かに何かをされたりは……」

「……大丈夫です。私も、いつまでも子供のままじゃいられませんから」

「そうか、それならいい」


 陽菜はどこか複雑な表情を見せるが、ひとまずは安堵した。


「むっ、いつの間に二人だけの世界?なら、お姉ちゃんも混ぜてもらおうかな」

「あれ?まさか、嫉妬される程仲良く見えちゃいましたか?これはわたしにもワンちゃんありますかね」

「あはは。でも、莉緒の目が黒いうちは渡せないかなぁ」

「言ったなー、お前ら〜!」


 畳の上で繰り広げられる女子達のじゃれ合い。馬鹿騒ぎ。

 彼女達のその瞳には確かな「心」が宿っていた。

 

「女の子達、随分と楽しそうだねぇ。でもなんか、いいもんだよな。こういうの」

「だな」

 

 呆れつつも笑みを見せる裕也に、俺も頷く。

 他者を恨むこともなく、妬むこともない。誰もが笑い合える世界。

 

 まさに、俺自身が求めていた本当の日々が展開されてるのだから……。


「ホント、ライバル多いなぁ。でも、みんなの席はないよ〜。夏休みにろくに会えなかった分、これからは私が湊の隣に独占しちゃうんだから!」

「……でもそれ、もう無理だよね」


 そう──例え、その瞬間が束の間の時だったとしても。


「ん?どういう意味かな、莉緒?」

「言葉のまんま。もう奏ちゃんは、兄さんにとって過去の人。今も、ううん。これからも、幼馴染以上の関係には戻らないよ?だって、兄さんは──もう奏ちゃんとは歩むべき道が違うんだから」

「……湊先輩が、過去の人?」

「あ、あのー……莉緒ちゃん?」

 

 莉緒の言葉に疑問を感じる陽菜。裕也はその微妙な空気の変化に気づいたのか、オドオドとした様子で止めようとするも、奏の反撃もすぐに始まった。

 

「過去の人かぁ……うん、そうだね。莉緒の言い分が正しいのなら、湊はあなたとも歩むべき道が違うもんね」

「……どういう意味?」

「別に?ただ、これだけははっきりと言えるかな。あなたは、湊と血の繋がりがあるたった一人の妹。それは変わらないし、変えられないよね?だから──湊が一人の妹として莉緒を愛する気持ちがあったとしても、一人の"女"として莉緒に恋をすることは永遠に叶わないんないんだなぁって」

「っっ!?」

 

 ──それは、妹にとってもっとも触れてはならぬ言葉。

 俺はとっさに莉緒の手首を掴み、その先が奏の胸元へと向かっていた物の直進を抑えた。


「え……?」

「り、莉緒ちゃん!?何して……」


 裕也と陽菜は何が起きているのかを理解していなかった。

 いや、出来なかったが正しいだろうか?

 それもそのはずである。奏の胸先に使おうとした物は──その気になれば誰もが他者の命を奪える凶器だっだから。


「殺す……殺してやる……!」

 

 これ以上ない殺意と狂気を向ける莉緒。対して、奏の表情が微笑みから変わることはなかった。

 裕也はすっかりと青ざめ、陽菜は驚愕の視線を向け続けている。

 

「ありがとう、湊。それにしても、物騒だなぁ。そんな物、いつも持ち歩いてるんだ?」

 

 奏は傍に置いてあった自身の鞄を背に、そのまま立ち上がった。

 

「私ね、最近思うんだ。愛と恋は、似てるようで違うもの。だって、愛は見返りを求めなくても出来るでしょ?でも、恋とはなればそうもいかないよ。彼を振り向かせたい、彼を自分の物にしたいという欲求……血の繋がりのあるあなたはそこに立つ挑戦権すらも与えてもらえない。ここまで言えば、流石にわかるよね?あなたは湊にとって──妹でしかないんだから」

「っっ!!?」

 

 莉緒の抵抗が一層強くなった。凶器を掴んだ手に力を込め、身体中を捩り、必死に奏に摑みかかろうとする。

 俺は莉緒の背を抑えつけ、その凶器──果物ナイフを持つ左腕を背に持ち上げた。

 

「渡さない……あんたには二度と渡さないっっ!!兄さんは私のモノ……あの日からずっと…!」

「ご馳走様。ごめん、私は先に帰ってるね。裕也、また誘ってくれる?」

 

 裕也は答えない。日常とはあまりにかけ離れた異常とも言える光景に、すっかり言葉を失っていた。

 そんな裕也を気にも止めず、目の前の莉緒の狂声にも耳を貸さず、奏はその場を後にした。


「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!うわあ"あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁっっっ!!!」


 絶叫。それは断末魔のような叫び。敗北を認めない者の哀れな抵抗だった。


「(だから言ったろ、覚悟はしておけってな)」


 あまりに滑稽で無様な妹を前に、俺はそう呟いた。


 それから数分後、莉緒の断末魔を聞きつけた店側のスタッフの何人かがかけつけて来た。

 その際、俺達の中に怪我人が皆無だったこと、完全個室だったこともあり、他の客に被害も及んでいなかったことから幸いにも通報は免れることが出来た。

 やがて、正気を取り戻した莉緒は体力を多いに消耗した影響か、先に帰ると言い残し、そのまま別れる。

 

 結果、その場に残されたのは俺と裕也、そして陽菜の三人のみとなった。


「あの……湊先輩」

「悪い、陽菜、裕也も。少しだけ時間を貰えるか?」

「あ、ああ……」


 ひとまずは、こいつらへの説明が先だろうな。

 

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