第7話 妹の復帰
翌朝、羽のような低い音で俺は目を覚ました。頭の先にある目覚まし時計を確認してみると、8時05分と学校に行くには少し遅めの時刻。
どうやら昨夜は目覚ましをかけ忘れたらしい。朦朧とした意識の中、首を横に向ける。
そこに居る、同じ布団、同じ毛布の中で睡眠を共にしたらしい一人の家族を直視した。
「(なんつー格好だ……てか、また夜中に潜り込んで来やがったな)」
自分と僅か1メートルにも満たない距離の中で首元に巻かれた物以外、一糸纏わず姿で眠る妹。
いわゆる全裸、完全な無防備な状態である。
まあ、流石に血の繋がった妹相手に欲情する程落ちぶれてはいないが……。
「うーん……えへへ〜……」
スヤスヤと、まさに無邪気に、能天気に眠る妹。
この間抜け顔を見ていると、今まであったことが嘘のように思えてしまうのは、兄である俺から見てもわかる、この恵まれた容姿からだろうか?
俺は無言で妹の唯一身に付けている衣服──首に巻かれたネックウォーマーを軽く下げた。
「ん……兄さん?」
「あ、起こしたか?」
薄っすらと目を開ける。どこか不機嫌そうな顔に見えるのは、未だに眠たい証拠だろう。
「……朝から大胆だね」
「おい。まさかとは思うが、カメラなんて仕掛けてないだろうな?」
「さぁ、どうかなぁ」
目の前で嬉しそうに微笑む妹。こいつは殺人者のみならず、変質者の異名をも俺に背負わせる気だろうか?
そんな俺の疑問に曖昧に答えつつ、莉緒は俺が手に掛けたネックウォーマーを取り始めた。
「いいよ?兄さんになら」
「悪いな」
小さく手を上げながら、俺は妹の首元——決して完治する事のない傷を直視した。
ナイフの切り傷、ネジで抉られた穴、煙草を突きつけられて出来た火傷痕。その姿を見るのは何度目だろう?
かつて、妹が自らの手でつけた刻印の傷跡を……。
「莉緒は後悔してないよ?兄さんと違ってね」
「言ってくれんじゃねぇか」
挑発的に言う妹に対して、そう答える。同時に、妹の言う後悔の過去が俺の脳内に蘇った。
「(振り返ってみれば、始まりだったんだよな、あれが……)」
それは、俺達が姉や実の両親と共に暮らしていた頃。俺自身が、武道の道を極めるきっかけになった日のこと。
憧れだった姉の後押しで始めたはずのそれは、一瞬にして俺の心を虜にした。
ただがむしゃらに殴り合うのではなく、対戦ゲームのような読み合いやプレッシャーによる心理戦。
無論、始めたての頃こそ勝率は5割にも満たなかったが、かつての想い人である幼馴染──奏への期待もあり、それは俺の生き甲斐であり、全てを賭けたいと思える存在になった。
次第に小さな大会で優勝する事も珍しくなくなった中、夢中になればなるほど学業の成績は落ちて行ったが、両親は何も言わなかった。
いや、奴らの場合は興味がなかった……正しいだろうが。
思えば、その頃がきっかけだったのかもしれない。妹の心が取り返しのつかない程に壊れていったのは。
そして、今──俺自身がこうして生きているのも。
「兄さん」
莉緒の俺の手を握る力が強くなる。そこにはあの時と違い、確かな温もりがあるのがわかった。
「もう、嘘をついちゃ──嫌だよ?」
妹の光のない壊れた瞳。果たしてそこに俺は映っているのだろうか?
「わかってるよ。そう睨むな。だがな……」
かつてこいつを救ったことへの罪、罰、責任。
その全てが俺にあるというのなら、いくらでも償おう。
報いを受けろというのなら受けてやる。命が欲しいと望むならくれてやる。
だだ……。
「俺を相手にしようってなら、お前も、それ相応の覚悟はしておくんだな」
妹は、何も言わない。壊れた人形のように首を傾げるだけだった。
しばらくの間、何気ない沈黙が室内に舞い降りる。
それは、まさにあの病室の時と同じ……時間を忘れる程の長く重いものだった。
やがて、入り口の向こうから地鳴りのような足音。俺達は我に帰る。
そのまま勢いよく放たれるリビングの扉。現れたのは、俺達にとっては見知った顔の少女の姿だった。
「みーなーとー!」
まさに嵐のような絶叫と共に部屋にやって来たのは、幼馴染でありかつての想い人である奏。
体育会系とも言うべきテンションの高さに飛びついてくるも、すっかり油断していた俺はそのまま抱きつかれてしまう。
「えっ、奏ちゃん!?」
頭を前後左右に揺らされ、再び意識を手放しそうになる。莉緒ははっとしたかのようにネックウォーマーを首に巻き、俺達に近づいて来た。
「おいやめろ、寝起きだぞ。頭がクラクラするだろうが」
「え〜?とか言って、湊のこっちの方はカチカチだったりぃ?」
いたずらっ子のように笑う奏。なんと彼女は不意打ちに俺の太ももを撫でて来た。
そのままジリジリと、男にとっては朝に触って欲しくないもの彼女の指が這い上がってくる。
「おやおやおやぁ?流石の湊君も予想外でしたかなぁ。私だってやる時はやるんですよぉ」
まるで慣れたような手つきで俺の物へ這い上がろうとする雛。その居心地のいいくすぐったさに俺は思わず言葉を失ってしまった。
「(あー、意外と気持ちいいな。これ)」
もしかして経験あり——などと感心してる場合ではない。
「兄さん!」
「あ……」
太ももを伝う刺激に快楽を感じてたのもつかの間、発症したかのように顔を赤くした我が全裸姿の妹の怒り声によって我に帰った。
その様子に、俺は安堵する。どうやら今回は大丈夫だったらしい。
「奏ちゃんも、朝から兄さんにセクハラしないで!」
「女の子をセクハラ呼ばわりなんて失礼だなぁ。それに、そんな姿で言っても説得力ないよ?」
右手で銃の形を作り、先程の行為によってすっかり大きくなった俺のものに向かい弾丸を放つ。
まぁ、莉緒に対する意見は正論ではあるな。
「なぁんてね、冗談。たまたま近くを通りかかったから、一緒に学校行こうと思って」
「すでに冗談になってない!」
軽いノリで話す奏に、莉緒の激昂は収まらない。奏の言うように、その格好で言っても説得力などあるはずもなく。
とはいえ、この程度ならまだまだ可愛いものだろう。
「と・に・か・く!さっさと行こ、兄さん。これ以上は遅刻だよ」
「ああ、そうだな」
俺は洗面所で軽く身だしなみを整える。時間も時間な為、朝食を食べている時間もなく、そのままアパートを後にした。
「でね、湊ったら……」
「あはは、兄さんらしいね」
通学路、学校に向かう途中で仲慎ましく駄弁り合う奏と莉緒。
普段は比較的大人しく人見知りな莉緒だが、昔からの付き合いということもあり、奏とは実質姉妹のような関係とも言えなくもないか。
女同士ということもあり話も趣味も合うらしく、特に休日となれば服選び、お菓子作りなど。二人きりで会う機会も多く、時には俺を荷物持ち扱いで朝から晩まで付き合わされたこともある程だった。
「(いつからこうなっちまったんだろうな、こいつら……)」
そんなことを考えながら、数分後。学校にたどり着く。
ホームルームまではまだ10分以上の余裕があった。
「とりあえず、莉緒は職員室だね。場所はわかる?」
「うん、大丈夫だと思う。兄さんと奏ちゃんは先に行ってて。このままじゃ遅刻しちゃうから」
「わかった。気をつけろよ」
莉緒は駆け足でその場を去っていった。
色々と心配ではあるが、俺が同行すればそれこそ面倒事になりかねないだろう。
何より……。
「ついて行かなくて良かったの?」
「ただ教師に報告するだけだろ?それに、昨日の様子じゃ、俺と一緒の方が迷惑がかかる。幸い、莉緒は被害者で通ってるらしいからな」
「ふーん。なんだかんだで優しいんだ」
言葉とは裏腹に、奏は鋭い視線を向けて来る……が、すぐにいつもの笑顔を見せた。
「でも、そうだよね。莉緒だっていつまでも湊の側に居れる訳じゃないもんね。そういうところ。ちゃんと考えるてあげてるんだ?」
「まあ、一応は兄貴だからな」
「頼もしい!少し寂しいかもしれないけど、いいお兄ちゃんだと思う」
「だろ?俺もそろそろ行くわ。昨日の続き、明日の休みにでもゆっくり話そうぜ」
「うん。今度は──絶対に邪魔が入らないようにね?」
目の前の嘘偽りのない彼女の笑顔。その先にある嫉妬。
俺はそのまま奏に背を向けつつ、自身の教室に歩き出した。
やはりというべきか、廊下を歩くだけでも周りの生徒達の視線を集めているのがわかる。
そんな生徒達の眼差しを華麗にスルーしつつ、俺は教室にたどり着く。すると、後ろ席の裕也が待ち構えるように自身の机の上に座っていた。
「おっす、湊。ギリギリだな」
「おう、流石に二日目から遅刻ってのもな」
言いながら、俺も自身の席に腰をかけた。
「そういやお前、すげー狭い部屋に引っ越したんだったよな?ってことは、何?今や狭い屋根の下、下着姿の可愛い妹と同じ布団で寝ちゃったり──ぶはっ!」
とりあえず顔面に軽く一撃を入れてやった。
「いてて。軽い冗談だって。んな怒んなよ……」
「いや、悪かった。実は引っ越してからというもの、莉緒が退院前する前から寝起きはやけに女臭い感覚があったからな。つい……」
「え?そ、それって……マジ?」
「……ああ、あの部屋……居るぞ。確実にな」
室内に舞い降りる沈黙。勿論軽い冗談のつもりだったが、冷や汗を流す裕也に対し、俺は思わず吹き出してしまった。
「んな訳ねえだろ、信じるな、馬鹿」
「って、嘘かよ!あー、焦った」
雄也はホッとしたように笑う。こういう会話はやはりいいものだ。
「本当、変わらねえよな、お前。で?どうなのよ?昨日の話、奏さんとは上手くやれてんの?」
「ぼちぼちだな。それに、こう見えても幼馴染だ。あいつのことはそれなりにはわかってるつもりだぞ」
「そうか?お前がそう言うならそうなんだろうけど」
嬉しそうな、複雑な表情を見せる裕也。その心境には察しがついていた。
こいつの立場としては……まあ、いい気分ではないだろう。
「まあいいや。それよりお前、今日の放課後って空いてる?」
「特に予定はないが、何かあるのか?」
「いや、今日から莉緒ちゃんも復帰して来たんだろ?せっかくいつもの面子が揃ったんだしさ、久しぶりに飯でもどうかなって」
「ああ、いいかもな」
それは、予め予想はしていた展開。
リスクこそあるものの、ある意味ではそれ以上のものが得られるかもしれない。
そしてそれには、こいつの存在は必要不可欠だった。
「といっても、近所の中華屋だけどな。あいつも、久しぶりにお前が来るって言ったら喜んでたぜ?」
「ん?まさか、陽菜も一緒なのか?」
「まさかも何も、最初に提案した張本人。てかあのアホ、湊と莉緒ちゃんが休んでる間も一日一日にお前が学校に来てないか聞いてきやがるし。んなこと僕に聞かれても知らねえっつーの。なぁ?」
呆れたようにため息をつく雄也。
しかし、今の俺にそれに付き合う余裕はなかった。
「どうしたんだよ、何か真剣な顔しちゃって。心配しなくても、飯代は僕らが負担してやるから安心しろって」
「色々悪いな」
「水臭えな、いいって。あ、何ならお前から行けるって伝えておいてやってくれよ。何だか断られないかなって心配してるみたいだっからさ」
「ああ、わかった」
裕也からの誘いに頷くと同時に、ホームルームを告げるチャイムが鳴り響く。
想定とは違ったが、まあ仕方ないだろう。俺は早速スマホを開き、ホームから連絡先画面へ移行し、飯会を提案した本人──裕也の妹である早乙女陽菜へのメッセージを作成した。
9/2(金) (8:42)
裕也から聞いた。飯の誘い、サンキューな。喜んで参加する。良かったら莉緒にも宜しく言っといてやってくれ
こんなところだろう。俺はそのまま送信する。
そうした内ポケットに戻したのもつかの間、数秒も待たずしてスマホは震え出した。
9/2(金) (8:42)
ありがとうございます。莉緒ちゃんにはすでに伝えました。ずっと心配してましたけど、元気そうで何よりです。私も、久しぶりにお二人とゆっくりお話しできる事を楽しみにしています!(既読)
「(随分と早いな……)」
俺が送信してから一分にも見たぬ間、下手をすれば数秒しか経っていないにも関わらずこの長文。
彼女とは裕也を通しての接点しかなく、二人きりで会うことも滅多にないが、純粋に心配し、身を案じてくれるのは素直に感謝すべきだろう。
そんなことを思いながら、俺は視線を前に戻す。
すると、中間の席に座る一人の少女の視線がこちらに向いている事に気付いた。
「ふふ……」
微かな微笑みを浮かべながらもその少女──天野澪は手を振って来る。その様子に、俺は思わずため息をついた。
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