第6話 戦いの終わり、そして始まり
「さて、どうする?これでもまだ続ける気か?」
彼女の首筋に当てられたスタンガン。現状電源は切られており、意識は健在。
しかし、これ以上の抵抗が何を意味するのかは、彼女自身が一番よくわかっているだろう。
こんな形でもなければ両者の実力が拮抗した勝負になっただろうが、用心深さ故に武器を持ち込んだ事が敗因となったとも言える。
「……残念ながら、降参するしかなさそうですね」
「物分かりが良くて助かるぜ」
その言葉と共に、俺は彼女の首筋からスタンガンを離す。同時に彼女の拘束を解き、再度距離を置いた。
「(しかし、この女。一体何者だ?)」
その細身の身体からは想像も出来ない身体能力に驚いたのは言うまでもないが、それ以上に俺が疑問視しているのはこの女が見せた異常とも言える程の怪力にあった。
あれは、まず間違いなく女性が得られる常識を遥かに超越していた。
生まれ持った握力や背筋力。一部の例外を除けば、女が男の力を上回るなどまず有り得ないことであり、その相手が俺だというのなら尚更だ。
俺は再び天野澪に目を向ける。それに対しても特に反応を見せる事はなく、両足を解放されて尚も恍惚の表情でM字開脚体制を維持していた。
この女、完全に誘ってやがる……。
「はぁ……もういいだろう?俺は帰るぞ」
どっちにしても、今は考えるだけ無駄だろう。目の前の淫乱女を残しつつ、俺は背を向ける。
このまま男としての本能に身を任せれば楽になれるだろうが、そんな事をすれば我が家で帰りを待つ妹が暴走するのは容易に想像できるので、俺は目の前の逆境を華麗にスルーして生き続ける道を選んだ。
もっとも、やり合った中で天野澪の身体にはかなり触れてしまっているので今更な気もしないでもないが。
「始まり、ですね……」
先程までとはどこか違う、冷静かつ小さな声。俺は背を向けたままで首を傾げた。
「一人の少年の心を賭けた、愛のバトルロワイヤル。果たして誰が生き残り、誰が勝利者となるのでしょうか?幼い頃から共に歩み、一度は掴み取った愛を、彼女がもう一度掴むのか?血の繋がりという一線を破った者が、このまま彼の心を掴むのか?はたまた──彼と同じように壊れ、それでも尚、想い続けただけの者か?ふふ……これからを考えるだけでワクワクします。ねぇ──黒鉄君♩」
「そうだな。だが残念ながら、そいつらの中から勝利者出ることはないと思うぞ」
皮肉な捨て台詞を残し、満面の笑みで笑う天野澪を残し、今度こそ俺はその場を後にした。
「(帰ってシャワー浴びよ)」
また面倒なのが増えてしまった事実に、俺は何度目かもわからないため息をついた。
◆
「(ふふ……本当に面白い人ですね)」
彼の去っていく背中を見送りつつ、私は呟いた。
あわよくばとも考えはいたが、やはりそう簡単でもないようだ。流石は実践経験者といったところか。
夏休み明けとはいえ、季節は9月を過ぎ。やや冷たい風がまるで刃のように私の身体を引き裂いていくように通り過ぎる。同時に、内ポケットに入れてあるスマートフォンから振動が走った。
そのまま手に取り、通話ボタンをタップする。
『俺だ。そろそろ終わったか?』
「ええ。おおよそ作戦通りに」
『そりゃあ良かった。手間暇かけた甲斐があったな』
声の主は──彼を誘き出す為に私が用意した協力者だった。
「あなたも、なかなか迫真の演技でしたね。特に彼に怯えて逃げ出す様は、役者とすら思える程に」
『……てめぇ、喧嘩売ってんのか?』
「ふふ……冗談です」
当然といえば当然と言うべきか、通話相手の方は内心穏やかではないようだった。
「それで、どうですか?調査の方は」
『あぁ、お前の睨んだ通りだよ。表向きじゃ、過労からのストレスで娘を
「では、"彼女"の方は?」
『残念ながら、名前も出てないな。あの女が残した多額の金も、今やどうなっていることやら』
「なるほど……」
ある程度予想はしていたとはいえ、流石に唖然としてしまう。
彼が妹の策略によって両親を殺めてしまったあの日……警察は予め叔父夫婦からの正当防衛と発表していた為、彼自身が咎めを受けることはなかった。
黒鉄莉緒は、保険金目当てに育ての親である叔父夫婦に命を狙われ、その場に偶然居合わせた兄である彼に命を救われた。
その偶然居合わせた彼に、決して完治することのない心の傷を背負わせて……。
「(しかし……)」
その思想。真相は、警察の──被害者である彼の妹ですら知り得ない諸悪の根源。その真実を知っているのは、当事者である彼のみ。
だからこそ、隠蔽することにしたのだろう、彼は。
「(哀れむべきか。いえ、ある意味では讃えるべきでしょうか?金額にして、二千万。あの二人が彼ら兄妹を疎ましく思っていたとはいえ、第三者に彼の妹さんを殺させようとするなんて普通は考えつきません。ねぇ── 朝神グループの御令嬢さん?)」
完全に無意識ながらも、私は手に持っていたスマートフォンが震えているのがわかってしまった。
『ん?どうした?』
「失礼。また何か情報が入り次第知らせて下さい。無論、その分の報酬は弾みます」
『あ……ああ、わかった』
協力者からの了承を確認すると同時に、私は通話を強制終了させ、空を仰いだ。
どうしようもない程の興奮、胸の高まり、心が躍っているのがわかる。
あの日から彼の一日一日を観察し、ある時は復讐への見せしめとして、またある時は同じ痛みを持つ仲間として、またある時は乗り越えるべき壁として私の中にあり続けた彼。
直接話したのは入学式以来だった。しかし、私は知っている。
彼を陥れた妹や幼馴染、恋人などよりも、よほど──彼という存在を。
「ふふ……あははっ、あはははははは!!あはははははは!!!あははははははははははははあははははははははははははッッ!!」
先程まで対峙していた彼の姿を想う。それだけで卑しい妄想が止まらない。
私の計画を見抜きながらも、動揺のかけらも見せなかった彼。
その絶対の自信に溢れた瞳で私を見て欲しい。
その口に吸い込まれていく食べ物の様に私を食べて欲しい。
俺にはもうお前しかいないのだと、私に助けてを求めて欲しい。
愛してると、囁いて欲しい。
あなたの気の済むように幾晩でも抱いて欲しい。
彼に、私を求めて欲しい。
どんなに恥ずかしいことでも、彼が望むなら受け入れてあげられる。
それこそが──私がずっと抱き続けていた、細やかな願いなのだから。
「(始まり、ですね……)」
これから待ち受ける彼との日々。それを想像するだけで笑いが止まらなかった。
あの日を境に、彼の中に眠ってしまった愛情、不安、後悔、絶望、恐怖、怨み、悲しみ、殺意。
彼女達と向き合うと決めた日に、彼自らが捨て去った感情。
その全てを引き出すのは私だ。
そして、私以外の誰一人に向かうことは許さない。
その全てを刻み込み私のものにする。
そうなれば、彼は堕ちる。
──今度は私に、永遠の感情を向けてくれますよね?
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