第5話 力による抵抗


 俺はそのまま天野澪の掴み上げた手掌からスタンガンを振り落とした。

 彼女は顔色こそ変えぬものの、心の中に残る動揺は掴んだ左手首から十分に伝わって来る。必死に俺の拘束から逃れようともがく天野澪。思ったよりも力が強い。

 そんな天野澪に対し、俺はとっさに拘束を離すと、彼女はそのままバランスを崩し、地べたに尻もちをついた。

 

「全く。女の子に対しての気遣いが足りませんね、黒鉄君は」

「そいつは悪かった。さっきも言ったが、童貞だからな。可憐()な美少女に対面するあまり緊張で我を失っちまってたらしい」

 

 言いながら、俺達は互いに笑い合う。

 とはいえ、彼女が本性を見せた以上、こちらもその気にならねばならないだろう。

 

「で、これは一体何の冗談だ?」

「白々しいですね。黒鉄君自身、わかっていたからこそ、あなたはあえて私の誘いに乗った。そうでしょう?」

「だったらどうする?」

「どうもしませんよ。ただ、もう少しだけ確かめさせて下さい──」


 言い終わるより早く、 天野澪は拳を握り、勢いよく駆け出してきた。

 俺はとっさに右手でその拳を受け止める。

 さっきも感じたが、年頃の女とは思えぬ程に力が強い。俺は特に反撃はせずにいたが、その油断が命取りだったらしい。

 計画通りとばかりに天野澪は微かに微笑むと、高所に飛び跳ねるように跳躍した。両手を地につけ、両足を上にあげるように着地。まさしく逆立ち状態。さらには、先程俺が弾き飛ばし、地面に転がったスタンガンを拾い上げた。そのまま再度跳躍し、俺から距離を取ると共に体制を戻す。


「(こいつ……!)」


 それは並大抵の訓練では習得出来ないであろう事は一目同然。予想すらしなかった華麗な動きに、俺は思わず目を見開き、賞賛の拍手を送ってしまった。

 

「やるじゃねぇか。まさかあんたにこんな才能があるとは思いもしなかったぜ」

「黒鉄君に褒められるなんて、これ以上の事はありませんね。必死に訓練した甲斐がありました」

 

 天野澪は嬉しそうに拾い上げたスタンガンを構える。

 優位に立ったつもりだったが、これでまた状況は振り出し、またはそれ以上に悪くなってしまったと言えるだろう。

 

「しかし、その動き。あんたの父親ってのは相当な達人だったのか?」

「バレてましたか。この一年、私も必死に修行しました。他ならぬ、貴方を手に入れる為に、です」

「一年、ねぇ……」

 

 ふと、忘れかけていた一年前の出来事が脳内に浮かんだ。まさかまさかと思いつつ、不安になる。

 そんな俺の心境を察したのか、答えはウキウキと嬉しそうにしている目の前の本人から明かされる。

 

「私、少し前まではこんな子じゃなかったんですよ?小学、中学生の時は数少ない友達の輪にすら自分からは入って行けなくて、行き帰り、休み時間はいつも一人ぼっちでした。昔から男子生徒にからかわれることも多くて」

「そいつはご愁傷様だな」

 

 おそらく、男子生徒にからかわれていたというのは彼女の容姿からだろう。並みの男と張れる程の高い身長に、大人の女性に幼さを足したようなその顔立ちに惹かれる男子生徒の気持ちはわからなくはない。

 

「さて、鈍感な黒鉄君もそろそろ思い出してくれたのではないですか?約一年と五ヶ月前、入学式の当日の出来事事です。体育館裏で男子生徒にからかわれていたところ、それこそが私達との出会いだったことを」

「……ああ、あの時か」

 

 天野澪は意味深に笑う。そこまで言われて、俺はようやく全てを思い出せた気がした。

 入学初日に彼女に絡んだ男子生徒は、俺や裕也の中学時代からの同級生だったのも理由の一つだろう。

 

「名前も何も知らぬ男性からの告白、私は断りました。その人の目は正気ではなかったからです。でも、それは悪夢の始まり。どこで撮ったのかはわかりませんが、その人は中学時代の更衣室での写真……いわゆる私のヌード姿での写真を見せながら脅してきたんです。思えばその時、私は生まれて初めて心の底から恐怖という感情を体感したのかもしれません。こんな事、誰にも話せないし……相談出来たとしても、その姿は学校中に知れ渡ってしまうんじゃないかって……怖かったんです、本当に……」

 

 言葉とは裏側に、天野澪は目を閉じ、大切な思い出のように語っていた。

 

「そんな時、彼は突然現れました。特に声を掛けて来た訳でもなかったですし、最初はただのぬか喜びだと思ったんです。でも、まるで自然に、風のままに通り抜けるように現れた彼は、とっさに男子生徒のスマートフォンを私の目の前で踏み潰したんです。その時は、"あ、すまん、手と足と目が滑っちまった"などと言ってましたよね?」

「改めて聞くと結構無茶苦茶だな」


 てか、目が滑っちまったって何だよ、当時の俺……。

 

「男子生徒は相当に激怒してましたけど、彼はすっかり遊んでいましたね。何度殴りかかられても、その度に男子生徒を地面に打ち付けていく姿は今でもはっきりと覚えています」

 

 残酷だな、当時の俺よ。その時なんかストレスでも溜まってたか?

 

「最後には、証拠として自分のスマートフォンに私と男子生徒の一部始終の映像を動画として残した事を告げました。男子生徒の後ろから写す事でその人はハレンチなヌード姿——私の醜態をも隠して世間に渡るのも防いでくれていたんです」

 

 ちなみに、あの時は気づかれない事を第一に行動していたのでヌード姿が撮れてなかったのは完全に偶然である。

 などと言っては彼女のイメージを壊す訳になるので俺は黙秘する事に決めた。これは全て彼女の素敵な思い出を守る為であり、決して己自身の為ではないのだ。

 

 わかるな?わかるだろ?黙ってわかれ。

 

「思えばこの日からでしょうか。私は彼を目で追い続けました。その学生生活は非規則かつ不真面目、入学初期には遅刻が原因で授業中に先生といざこざを起こしても超然とした態度でしたが、次に遅刻する時は必ず休み時間に登校。成績に関しては、平均点を上回っていましたからか、それからは先生と揉める事はなかったのでしょう?特に、妹さんが来てからはその生活は一変でした。表面では不遜で高飛車な印象を見せつつ、これまで通りの日常を貫こうとする。黒鉄君の本当の心はどこにあるんでしょうね?」

「おいおい、人の学校生活を覗き見か?心理作戦のつもりか知らんが、趣味が良いとは言えないぜ」

 

 何かを悟ったように微笑む天野澪。俺は軽くため息をつき、手掌を前額部に押し当てる。

 改めて自分の置かれた日常の異例さを実感させられた気がしたからだ。

 

「やはり、そう簡単には行きませんか。でも……」

 

 天野澪は手に持ったスタンガンのスイッチを入れる。

 遠目からでもバチバチと音を立てているのがわかる辺り、電流の威力も調整されてるのだろうか?

 

「黒鉄君、私ならあなたを受け入れてあげられます。貴方の強さも、悲しみも、日常の中で生きる恐ろしさも。私なら、あなたをわかってあげられます……」

 

 天野澪はゆったりとした様子で近づいて来る。その瞳からは光沢が消え、焦点が合わずに虚ろ目になっている状態。

 

 本人は頑張って良い話風かつ冷静にまとめようとしているつもりだろうが、こちらとしては異常としか言えない光景である。

 気がつけば、随分と時間は過ぎていた。これ以上は自宅にて帰りを待つ妹にも影響し兼ねないので、俺はあえて地雷を踏みに行くことにした。

 

「あんたが俺の何を知っているのか知らないが、こっちとしてはこのまま退く訳にも行かねえのさ。悪いがそれ以上の関係は無理ってことで」

「そうですか。では──仕方ありませんね」

 

 意味深な笑みと共に、天野澪は俺にスタンガンを突きつけてくる。彼女の身体能力の高さは他の比ではなく、そこには的確な狙いと速さがあったが、先程のようなテクニカルな動きはない。

 俺は身体を傾げ、いとも簡単にかわすことに成功した。


「仕方ない、か?初めて意見があったな。そいつはお互い様だ」

「っ……」


 俺はそのまま自らの右足で天野澪の両足首を引っ掛ける。彼女はバランスを崩し、目の前で転倒する──が、その反応の速さは流石と賞賛するべきか、すぐさま片手を地面つけ、逆立ち体制になる形で難を逃れる事に成功。

 さらに、広げ上げた両足は俺の顔面に目掛けて来る。彼女の渾身のかかと落としに対し、俺は両腕を前に上げ、防衛体制に移す。


「(……やっぱ、重いな)」


 力を込めた両腕が悲鳴を上げているのがわかる。二度も拳を受け止めた後に十分にわかっていたが、この女の怪力にはとことん舌を巻くレベルである。身体能力も他の男子とは比べ物にならない。


 だが、だからこそそこにつけこむことが出来た。


 さらに追い討ちをかけるように、天野澪は俺に回し蹴りを加えようとするも、今度は左腕で抱き上げる形で天野澪の両足を抑え込むことに成功した。


「な……!?」

「その馬鹿力は大したもんだ……が、肝心なところがワンパターンだな。実戦は初めてか?」


 片手を地面に、スタンガンを片手に逆立ち状態のまま驚愕の視線を向ける天野澪。

 そんな状況で身動きが取れる訳もなく、その体制を支えるのは彼女の両足を拘束する俺自身という訳になる。

 一度、二度と俺を上回る身体能力を発揮し、慢心したところを狙う騙し討ち、とっさの判断ではあったが上手くいったようだ。


 というより、この状態だと彼女の下着が丸見えである。ちなみに色は白だった。


「ふふ……何をジロジロ見ているんですか?この様な状況でもポーカーフェイスを貫くのは流石ですが、女の子としては複雑でもあります。そのまま襲ってくれてもいいんですよ?」

「我ながら随分と恵まれたもんだな」


 恍惚の表情で笑う天野澪。そんな目の前のど変態女に抱く男としての本能を抑えつつ、俺はそのまま足を下ろした。結果、俺は自らの膝の上で彼女の両足を抱き上げる形となる。

 言うなれば、今の天野澪はM字開脚と呼ばれるものに近く、第三者が見れば完全に通報されるレベルだろう。


 あまりに滑稽な状況に、俺は思わず口元を緩めてしまう。


 一人の男としてこのラッキースケベイベントを楽しむのも悪くないが、一方間違えれば今後の人生を左右しかねないのでここら辺で決めに行くことにする。


「あ……!」


 俺は自由が残してある右手で彼女のスタンガンを奪う。天野澪は必死で俺の拘束から逃れようと両足に力を込めるも、次なる俺の一手によりその抵抗は極端に弱まった。


「動くな」


 俺は天野澪から奪ったスタンガンを彼女の首筋にスタンガンを宛てがった。

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