第3話 お前とは単なる幼馴染

 数分後、裕也と別れた俺達は学校から少し離れた人気のない公園のベンチに腰を下ろしていた。

 新学期初日なだけに始業式のみで終わった久しぶりに始まった学校生活。

 そして明日からは、退院して来た妹も復帰して来る。

 もっとも、それはそれだ。俺は隣のベンチに座る彼女に視線を戻した。

 すると、すでに視線を送っていたらしい彼女と目が合う。どうやらあちらも観察中だったらしく、俺の顔を見るなり微笑んだ。


「ん?どうした?」

「べっつにー?ただ、随分とあの子のことを気にしてるなーって」


 言葉とは裏腹に、奏の表情からは微かな怒りが感じ取れた気がした。

 彼女の言うように、よそに俺の脳内を支配するのは前日による妹とのやり取りだった。

 仕方がなかった……ああするしかなかった──などとは口が裂けても言えないだろう。

 何故あの時、妹を挑発するような真似をした?

 あの場で受け入れてさえいれば、妹の手が彼女に迫ることも防げたのではないか?

 内なる声は、自分を責め続ける。

 ただ──


「なぁ、一つだけ聞いていいか?」

「ん?なぁに?」

「お前は、俺を恨んでいるのか?」

「……さて、どうなのかなぁ」


 俺の反応を楽しむかのように曖昧に答えつつ、彼女はベンチから立ち上がる。

 すると、街の空気を味わうように息を吸い込んだ。


「本当に変わらないよね、この場所は」


 彼女は俺にとっては見慣れた街を眺めていた。

 俺達が暮らす灯火市街は、人口も少なく建物もろくにない。街というよりは、村と呼ぶに相応しい場所だろうか?

 彼女自身、子供の頃より特に変わり映えしない空気を楽しんでいた。


「私ね、これでも湊の気持ちはわかってるつもりだったんだ。だから、あなたの気持ちを尊重するべきだと思ってた。例え恋人同士じゃなくなっても、関係が終わる訳じゃない。お互いとって、たった一人の幼馴染に戻るだけだって」


 そう語る彼女の瞳は先程までとは打って変わり、どこか寂しげなものだった。


「でも、そうも行かないよね。どうやらあの時のことは、私の中で一生忘れられられない思い出になっちゃったみたいだし」

「ま、悪いとは思ってる」

「言葉が軽いなぁ。でも、さっきも言ったでしょ?湊の気持ちはわかっているつもりだから」


 寂しげな表情の彼女に、俺も思わず目を背けそうになる。

 俺達に愛情を注いでくれた祖母が死に、姉に捨てられ、何者をも信じられなかったあの頃。

 助けを求めなかった俺に歩み寄ってくれた彼女。


 だからこそ、俺は彼女に惹かれた。そして、彼女も俺を愛してくれた。

 だからこそ、終わりを告げなければならないのだ。


 俺はベンチから立ち上がり、彼女から背を向ける。


 「ねぇ、湊」


 俺は振り向かない。振り向いてはならなかった。


「私は──朝神奏は今でもあなたを愛しています、あなたが莉緒を、何よりも日常を守りたい気持ちもわかるよ。でも、それでも、私はあなたと……一緒に居たいの……」


 背を向けた俺に対し、彼女は両腕で俺の身体を包み込んで来た。その感触から、嫌でも彼女の顔が自身の背に埋められているのがわかってしまった。


「悪いな、俺はもうお前を好きじゃないぞ。今のお前との関係は単なる幼馴染でしかない。他を当たるんだな」

「駄目。絶対に諦めないよ」


 俺はあえて突放しの言葉を向けたが、彼女の俺を包む力がさらに強くなる。


「どうしたら諦めてくれるんだ?」

「今更だね。例え何を言われても、絶対に認めないよ。私の性格、湊ならもう分かってるでしょう?」

「ああ、そうだったな」


 その言葉と共に、俺は彼女の両腕から逃れる。振り返った先には、意味深な笑みで立ち尽くす彼女の姿。

 

 その瞳の先にあるのは、絶対の自信。


 他にはない飛び抜けた"力"があるからこそ、彼女は失敗の経験がなかった。ある意味、全てにおいての成功者と言えるだろう。

 この女は、挫折を知らないのだ。

 何故なら──これまで全てが、自身の思いのままだったのだから。


「離して下さい!」  

「?」


 人気のない公園に、突如として叫び声が響いた。

 何事かと目を向けると、そこには俺達と同じ星宮学園の学生服を来た男女生徒が揉め合っている姿が確認出来た。


「君、例の奴と同じクラスなんだろう?色々と大変みたいだね。相談乗るよ?」

「ですから……」


 側から見れば戸惑いの表情を見せる少女に対して、男子生徒は馴れ馴れしく喋りかける。

 少女は首を横に振って、言葉に怒気を含ませた。


「お気遣い、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。急いでるので失礼しますね」


 あくまで丁寧な口調ながら、少女は男子生徒に対して距離を置こうとする。

 一礼して、足早に男子生徒の目の前を去ろうとするが、その細い腕がぐいと掴まれる。


「遠慮しなくていいんだって」


 まさに触れば折れてしまいそうな、繊細な印象を見る者に与えるような少女の表情も、一見恐れを含んだ弱々しいものへと変わっていた。


「い、嫌……」

「何なら番号渡すから連絡してよ。それならいいでしょ?」


 男子生徒からすれば、親切心なのだろうかか?もしくは、ただの口実か。

 どっちにしても、少女にとってはこの上ない迷惑行為、俺の目から見ても今時珍しいタチの悪いナンパ行為にしか見えなかった。

 さて、ここをどう切り抜けるのか……などと能天気に構えていたところ、不運にも少女と目が合ってしまう。


「はぁ……」


 思わずため息をつく。どうやら放っておく訳にもいかなそうだ。


「悪い、先に帰っててくれるか?この話はまた今度ってことで」

「……ふーん。結局、繰り返すんだね。いいよ、それが湊の望みなら」

「ああ。お互いに、な」


 皮肉を言い合いなりながらも、奏は見て見ぬふりをするかのようにその場を去っていった。

 俺はなるべく気配を殺しつつ、男子生徒の前まで速歩で近づいていった。


「おい、その辺にしておいた方がいいぞ」


 男子生徒の背後寸前まで近づいたところで、その肩を掴む。幸い俺の気配には気が付かなかったのか、心底驚いた反応が掴んだ右手からも伝わって来た。


「あ?何だ、お前」

「いや、どう見ても嫌がられてるじゃねぇか。あんた」


 掴んだ肩は震え、男子生徒の怒りが籠った声。

 元より期待などしていなかったが、話してわかる相手じゃないことはこの時点で察しがついてしまった。


「モテねぇ男の嫉妬だねぇ。怪我したくなかったら大人しく──っ!?」


 勢いよく振り向こうとしたところ、俺はとっさに肩の拘束を離すと同時に、男子生徒の着地する足場に自らの足を置いたまま、瞬時に引き上げる。

 結果、男子生徒はそのままバランスを崩し、地に尻もちをつくことになった。


「ってぇな!てめっ──」


 当然のように激怒し、男子生徒はすぐさま体制を整えた後、その拳が俺を捉える。

 俺自身、多少の手荒はやむを得ないかと覚悟を決めていたが、その寸前、まるで金縛りにあったかのように男子生徒の拳がぴたりと止んだ。


「っ!?お前っ、親殺しの──」


 どうやら相手は俺のことを知っていたらしい。

 親殺し……その言葉から察するに、今日の生徒達の噂が大袈裟に広がっていると考えていいか。

 

 だとすれば、それを利用するのもいいだろう。

 

 俺は特に何をする訳もなく、男子生徒から目を逸らさずにいると、対照的に相手は心底怯えたように後退り……。


「ひ、ひぃっ!」


 まるで化け物から逃げるようにその場を駆け出す。途中で転び、膝を打ちながらもこちらを振り返りながらも必死に逃げていく様は恐怖の二文字に支配されていた。

 実際、あの男子生徒から見れば俺の存在は化け物にしか見えていないのかもしれないが。


「やれやれ……」


 やや不本意ながらも、暴力沙汰にならなかったことには安堵する。

 もっとも、新学期初日にしてこれでは先が思いやられるというものだが。


「えっと、黒鉄湊君……ですよね?」


 狭い路地の中で、さっきまで絡まれていた少女に声をかけられる。

 滑らかに手入れされたストレートのロングヘアーに、男である俺とさほど変わらない高い身長に、大人の女性に幼さを足したようなその顔立ちは間違いなく美少女と呼ぶに相応しい容貌だった。


「えっと、同じクラスの天野澪あまのみおです。その……助かりました」

「怪我はないのか?」

「あ、はい……大丈夫です」


 目を逸らしつつ、同年代であるはずの俺に敬語で話す少女。

 それは、親殺しと名が広まっている俺に対する恐怖心か?あるいは……。


「そうか、何事もなくて何よりだ。これからは気をつけろよ」


 俺は早急にその場を立ち去ろうとした。


「ま、待ってください!」


 背を向けたとこころで、少女に呼び止められる。

 そのまま首を傾けると、焦り声の中で、少女の口元が微かに緩んだ気がした。


「えっと……すみません、大した用事でもないのですが。良かったら」


 戸惑いの仕草の中で少女がポケットから取り出したのは、一枚の札のような物。

 白い用紙には店の名前であろうか?その隣には《男性様一名限り!》と書かれている。


「私の父が経営してる店なのですけど、見ての通り男性のみの券でして。日付の方も……」


 少女が指を指した先には小さな文字で今日という日付を示していた。


「黒鉄君が良かったら、お礼に受け取ってくれませんか?3000円分までなら無料ですから」


 小さな店ではあるが、そこに写るウェイトレスの制服は俺の目から見ても露出度の高い過激な制服を着用していた。

 わざわざ断る理由もないだろうが……。


「いいのか?」

「はい。お礼……ですから」

「サンキュ。遠慮なく貰っておく。晩飯にでもさせてもらうよ」

 

 礼儀正しく頭を下げる少女を眺めながら、俺はそのまま歩き出す。

 久しぶりにまともな同級生と会話した気がした。


「(ま、とりあえずは計画通りってところか)」


 そうして俺は、誘いを受けた。

 入学以来の一年間、事あるごとに俺の素性を観察していた女の誘いを──




 

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