2.

 報炉から笑みが消えた。ばきり、と指の骨が鳴る。

【……今すぐ殺されてェのか?】

「そんな訳ないじゃない」

 絡生の目も揺らがない。

 生き続ける決意をした人間は、強い。

「私の体が欲しいんでしょ。だったらこんなまどろっこしいことせず、乗っ取っちゃえば良かったのに――それこそ、記憶端子メモリバスを差し込んだ時に」

【……】

 今度は、報炉が黙る番だった。

「どうして乗っ取らなかったの」

 絡生は、肘を使って匍匐し始める。手も『Hulk Power』の異能を使った為に真面に動かないのだ。

「70人は殺害した殺人鬼。あなたになら、私如きを喰らい尽くすなんて容易いことじゃ――」

【黙れ】

 報炉は、絡生の体を持ち上げて引き寄せる。脅す為に鋭い眼光を刺すが、今の絡生には効かない。

【大体、お前に答える義理があるかよ】

「……そうね」

 絡生は、微笑んだ。一矢報いる事が出来たからか、清々すがすがしい程清々せいせいした顔だった。

「あなたに義理は無い――けど、その内嫌でも分かることだろうから」

【何――?】

 瞬間、思考の回路が繋がる。

 そう、自分も絡生にしていたこと。


【……


 絡生が報炉に対して出来ないとは限らない。

「そうしておくわ」

 絡生は、意外にも直ぐに引き下がった。

「あんなおぞましい夢を見たんだもの。これ以上は御免よ」

【……夢だと?】

 報炉は絡生の首を掴む。軋む音が絡生の頭の中に響く。

【おい、何の夢を見た】

「っ、あなたの、死刑の夢」

 ここで漸くあの夢を思い出して、絡生は吐きそうになる。

 生きたい少女に殺される夢は刺激が強すぎた。

「……っ、それだけの、夢よ」

【嗚呼、そうかよ】

 報炉は、ばきりと首を掴んでいない方の手指を鳴らす。

。お前には】

 赤い髪を苛つきから引っ掻き回しながら、絡生の首に力を込める。

 何かを言い間違えたらしい――が、所詮殺人鬼の心情など分からないと絡生は思いつつ――。


「っ、うああああああっ!!」


 突然、背後から叫び声。声を発したのは、拳銃を構える男の子。彼に隠れる様に女の子――恐らく妹だ――が敵意と怯えの混ざった目を投げかける。

 引き金を引く。短く轟音が鳴る。持ち方がなっていないからか、兄妹は反動で諸共に後ろに倒れた。

 対する絡生は。

 否。

「――ぎゃはっ」

 、赤くなった長い髪を靡かせつつ体を回転させ、パシリと何かを叩き落とした。叩かれたソレは地面にめり込んで動かなくなる。

 それは、弾丸。

 兄の撃った銃の弾丸だ。

【――Memory Bus, certified. Code: "Hulk Power"】

 遅れて脳内に、記憶端子メモリバス使用の機械音声が流れる。

「ぎゃっははははははははははははははははははははははははははははは!!!」

 地平線の底に隠れかける夕陽を背後に、報炉は笑いを爆発させた。

「あー、畜生! 痛ェ! 確かに痛ェ、こりゃ此奴が起き上がれないのも道理だぜ!」

 だが、と両手を広げ、俳優宜しく感情を体いっぱいに表す。

「ンな事はどうでもいい! 今俺様は感動してる! 此処エラーじゃ女子供も関係ない! 良いじゃねェか! どいつもこいつも人間理性的どころか獣臭くて本能的で堪らねえ!!」

 獰猛に歯を剥き出しに、顔中で喜びを爆発させる。

「生きることは食うことだ! 食わなきゃ生きられねェ! だから俺様を殺して『食糧』を得よう――そんな算段だろ? クソガキ共」

【――Memory Bus, ejected.】首の接続口から記憶端子メモリバスが抜き出される。最早そんなもの不要だと言わんばかりに。

「そりゃァ、俺様も同じなんだ。腹が減って仕方ねえんでな」

 報炉の得体の知れない笑顔に、兄の持つ銃がカチカチ震える。後ろの妹の、兄の服を掴む手も強まる。

 襲う相手を間違えた。そんな考えが兄妹諸共頭を支配している事だろう。

 だが時既に遅し。失した時は戻って来ない。

 ――陽が完全に隠れ、黒地に白の斑点の柄に塗られ行く空を、電飾の点いたトランスポーターが通り過ぎる。上層インテグラ中層アダプタを繋ぐ物資輸送船の中には、飽和せんばかりの食糧等が詰め込まれている。

 兄妹から目線を外し、上空を見つめる。

「良いよなあ、基盤政府マザーボードの連中は今日もアレを鱈腹喰らってんだろうなァ」

 嫉妬しねェか、なあ?

 報炉は兄妹に向き直る。兄は2発目の弾丸を撃つ用意が出来ていて、既に撃鉄を起こしていた。


 ――殺す。

 兄妹は覚悟を決めた。震えが止まる。

 此処で殺さねば、殺される!


「っ、ああああああああああっ!! 死ねええええええっ!! 僕たちの食材になれええええっ!!」

 引き金を引いた。弾丸が放たれる。

 だが、その時には殺すべき標的は射線上に居ない。虚しく空を切って彼方へと飛んで行った。

 あの男は何処へ?

 兄妹揃って首を右に回し、そして左に回した途端。

「よう」

 報炉の顔が至近距離に現れる。

「っ、わあっ!?」

「驚くなよ」

 兄の首を掴んで妹を引き剥がし、そのまま瓦礫の方へ投げ飛ばす。岩の凹凸に打撲され、かは、と兄は息を絞り出された。

「にぃに!」

 妹が悲痛な叫びを上げる。だが報炉は止まらない。兄の方へ近寄り、投げ出された腕の肘関節を、いとも容易く踏み折った。

「っがああああああああああっ!?!?」

「にぃに! にぃにっ!!」

「あー、もうちょい待ってろ嬢ちゃん」報炉は、この状況に恐ろしい程不釣り合いな優しい声を掛ける。「今すぐお兄ちゃんをしちゃうからな」

 ぞわり、と妹の鳥肌が立つが、報炉は構わず兄の処理を進める。



 ……足を、上げた。

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